「夫とコーヒーこそ『特別』」
最近、こんな記事がどうも気になる・・・。昨日の朝日新聞の「ひととき」に、こんな日常の一コマが・・・。曰く・・
「夫とコーヒーこそ「特別」
休日の午後のひととき、食器棚の奥から淡いピンクとブルーのペアマグカップを出して、夫と私のためにコーヒーをなみなみと注いだ。「カップがきれいだと、いつものコーヒーもおいしく感じるね」と夫。
貧乏性の私は、これまでいただいた食器類は普段は使わず、「お客様用に」「特別な日のために」と大事にとっておいた。
でも今年初め、乳がんの再発を告知されてから考え方が変わった。「特別な日のために」ととっておいたら、とうとう使わないままになってしまうかもしれないのだ。そして気づいた。休日も仕事に出ることが多い夫と、日曜日の昼下がりにこうしてゆっくりコーヒーを味わう、そんなひとときこそ、私にとって「特別」なのだ、と。
がんを抱えながらも日常生活を続けられる幸せをかみしめる日々。あと何年元気でいられるかわからないけれど、たとえ明日命が絶たれても「私の人生は幸せでした」と胸を張って言えるだろう。この気持ちは健康な体のままだったら気づかなかったかもしれない。
普通の生活を送ることができる幸せに感謝しながら今日も初めて使うペアカップにコーヒーを注いだ。(宮崎県延岡市 K.A 主婦50歳)」(2011/09/10付「朝日新聞」p33より)
この話は良く分かる。何度か書いているが、自分もこの投稿者と同じく、「そのうちに・・・」という考え方は止めようと思っている。この方と同じように、「そのうち」が来ないままオシマイになる事が有り得るから・・・
それに、“何も無い日常生活”がどれほど幸せか・・・。
これは自分の備忘録だが、今日の夕方、ラジオ深夜便のMP3ファイルをラジオサーバーからウォークマンに転送している最中に、パソコンがブルースクリーン。このPCでは初めて! 東芝のサポートに電話して、復帰はしたものの何となく後味が悪い。外部機器との相性か、それとも何かPCに起きた?? 東芝サポートは、何度か起きる場合は、初期化が必要・・・。ああ、また時間が掛かる・・・。でもデータのバックアップはしたので、とりあえずは一安心。常にやっていると思っていたデータのバックアップも、チョット目を離すと、しばらくやっていない・・・。何と日常生活に埋没していることか・・・
話は戻るが、子どもの頃、家には「よそゆき(余所行き)」という言葉があった。母が言っていた。「この服は“よそい(ゆ)き”なので普段は着てはいけない・・・」と。つまり、新しい服は、どこか特別なところに行く時に着る、ということ。でも我々子どもは反対だった。「よそゆき、よそゆき、と言っている間に、体が成長して着られなくなったらどうする・・・?」。
いつの間にか、“よそゆき”は死語になった・・・。
やれることは、後回しにしないでやっておく。そう思っているこの頃だが、こんな事も関係しているのかな・・・??
この所、やけに“熱中すること”を探しているのである。何かに没頭していたい。ほとんどが趣味の世界の話だが・・・。これも人生の焦りなのだろうか・・。結局、現役時代を含めた自分の今までの生活が、“どこかで合点が行っていない”という自分の心の表れかも知れない・・・?だから焦っている??
まあ、それでも順番にやって行くしかない。まず体力のあるうちにやっておくべき事は何だろう? 海外旅行がその筆頭か・・・。海外旅行も、トシと共に段々と面倒になる。これこそ老化の現れではあるのだが・・。次は?・・・・
先の投稿記事にもあるように、人生、毎日が充実していて、いつ死んでもOKという生活が理想なのは分かる。でもそんなことは夢・・・・
そんな時が来ようとは、到底思えない自分である。
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