「老後の1日は千金の値」
先日の日経新聞のコラム「抗加齢を学ぶ」に、「老後の1日は千金の値」という記事があった。曰く・・・
「老後の1日は千金の値
定年から亡くなるまでの人生は楽しく、充実したものにすべきだ。養生訓の著者として知られている貝原益軒は大食を避け、腹八分目の健康を唱えているが、また長寿を楽しむ事も推奨している。
この書は彼が84歳の時に記したもので、現在でいえば100歳を超えた人の経験も踏まえた教えといえる。年をとると若い時より月日のたつのが10倍も早く、1日を10日、10日を100日、1ヵ月を1年として時を惜しんで暮らし、1日たりとも楽しまずに、むなしく過ごすのは惜しむべきであると説いている。一日一日を大事にして、いつまでも若々しく残りの人生を楽しんで過ごすべきなのだ。
やりたいことや楽しめることをせずに、何となくだらだらと生き永らえるのはもったいない。人にはそれぞれの生き方があり、楽しむべきことは個々に異なる。人生をもう一度見つめ直し、自分はいったい何か本当にやりたいのか、好きなものは何なのか考えて、手
遅れにならない間に実行に移すべきだ。あまり残っていない人生だ。ゆっくりしている場合ではない。要するに年をとってからの一日は千金に値するのだ。(京都府立医科大学学長 吉川敏一)」(2011/08/26付「日経新聞夕刊」p7より)
先日書いた「ファッションデザイナー・森 英恵さんのトーク」(ここ)の記事の出所は「天野祐吉の隠居大学」。上の記事も、まさに隠居の薦めである。
例のごとく広辞苑で「隠居」を引いてみると・・・・、
いん‐きょ【隠居】
①世事を捨てて閑居すること。致仕。今昔物語集13「只―を好む心のみ有り」
②家長が官職を辞しまたは家督を譲って隠退すること。また、その人、その住居。戸主が自己の自由意志によってその家督相続人に家督を承継させて戸主権を放棄することで、中世の武家法以来の伝統的な法制であるが、1947年廃止。
③江戸時代の公家・武家の刑の一。地位を退かせて家禄をその子孫に譲らせること。
④江戸小伝馬町の牢内囚人の顔役の称。伎、小袖曾我薊色縫「行きやア―と立てられて、見舞の初穂を喰ふ株だが」
⑤当主の現存の親の称。また、老人の称。
しかし「隠居」という言葉は、何とも心地よい・・・。隠居大学のモットーの(?)「洒脱」という言葉も心地よい。
(「洒脱」しゃだつ:俗気を脱してさっぱりとしていること。あかぬけしていてこだわりのないこと)
当サイトのコンセプトである「老後どうする??」・・・。それも隠居という言葉を得ると、何かイメージが湧いてくる・・・。
生きていて“幸せ”を感じる瞬間。先の記事ではないが、それは人によって価値観が違うので、当然違う。自分の最近では、もう何度も書いているが、夜ベッドでFM放送のラジオドラマを聞いている時に幸せを感じる。“これは良い音だ・・・”と。
これは一例。温泉宿で温泉に入りながら“ああ幸せ・・・”と感じる人もいるだろうし、仕事の後の“一服”に幸せを感じる人もいる。
でもそれらはストレスの最中(さなか)では、とても感じられない。昨日、前に録ったNHKの“100年インタビュー「女優 黒柳徹子」”(2011/08/06放送)を見ていたら、こんな話をしていた・・。
黒柳さんがNHK専属で5年ほど働いたとき、過労で倒れて入院した。退院する時に院長先生に「死ぬまで病気をしたくないが、どうしたら良いか?」と明け透けに聞いたのだそうだ。すると医師は「そんな質問は初めてだ」と言いながらも、「一つだけある。自分の進んでやる仕事だけをおやんなさい」と言ったとか・・。「肉体の疲れは寝れば治る。しかしイヤだと思っている気持ちは溜まっていく・・・・」。それから黒柳さんは、それを心掛けたという。
50年以上前の話だと言うが、これはまさにストレスの話・・・。
現役サラリーマンでは、そんな事は望むべくもないが、そこはリタイア(間近)サラリーマンの特権で、我々シルバー族は可能かも・・・?
このコラムのように、これからの貴重な余生を、心安らかな隠居生活としたいものだが、サーテ、所で何をする??(おっとっと、またこのblogのテーマに戻ってしまった・・・・)
でもこれを機に、当blogのコンセプトを「老後をどう過ごす?」から、「余生の隠居生活をどう楽しむ?」に変更しようかな・・・?(←うん、こっちの方が前向きだな!)
●メモ:カウント~215万
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コメント
余生の隠居生活をどう楽しむ?の余生をどのように読むか?余った人生と読むのか?余裕の人生と読むのか?まあどちらでもよいのだが、お金をアクセク稼がない生活の中で、本当にやりたかった事をやれば好いのだが、いつの間にかやりたいことが解らなくなってしまうことがある。やりたいと思ったときにやらないと、後からだとやる気が失せてしまうのだ。昔、あれほどやりたかったのに、もう今はやる気が失せてしまっている事が多々あるのだ。私は木彫を昔からやりたかった。年金生活になって、やってみた。そうしたら、50肩になってしまった。しかも両肩である。
従って1年間は両肩が痛くて、彫刻などできやしない。両腕の筋力・指の筋力・握力がないと彫刻など出来やしないのである
【エムズの片割れより】
何とも、他人事ではない・・・
最近は「何でも出来る時にやっておく」と、思うようになりました。体力も含めて「思い立つ日が吉日」。後で後で・・と思っていても、その時にギックリ腰かも知れず・・・
投稿: 金子 次郎 | 2011年9月 7日 (水) 09:18