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2011年9月12日 (月)

「肉を増やさす智慧を増やせ」~ブッダの教える発想の転換(5/5)

今夜は十五夜、「中秋の名月」である。カミさんとメイ子(愛犬)の夜の散歩に付き合ったが、6年ぶりという快晴の空に満月・・・。こんなにも明るいのかと、改めて見上げてしまった。月の光は、家々の屋根を白く照らしている。でもやはり月は、家の屋根の上ではなく、林の木々の上に登っている月が格好良いな・・・。しかし中秋の名月も、毎年日が変わるのでなかなか難しい。そう言えば前に毎年の中秋の名月の日を調べたことがあったっけ・・・(ここ

さて、雑誌「大法輪」2011年5月号に「ブッダの教える発想の転換」を今まで5回に亘って読んできたが、今日はその5回目、最終回である。相変わらず耳の痛い指摘である。

「ブッダの教える発想の転換
   菅沼 晃(東洋大学名誉教授)
・・・・・・
<肉を増やさす智慧を増やせ>
 「この学ぶことの少ない人は、牡牛のように老いてゆく。彼の肉は増えるが、智慧は増えない」(『真理の言葉』一五二)
 この余りにも痛烈なブッダの言葉を聞くと、思わず「自分はこれまで人生について本当に学んできただろうか。牡牛のように老いてゆくのだろうか」と、考え込んでしまいます。
 その「牡牛のように」ということの理由が、「彼の肉は増えるが、智慧は増えない」ということなのですから。「学ぶことがなければ、お前は牡牛のように老いて行く。お前の肉は増えるが、智慧は増えないのだ」と、ブッダはこの私を厳しく戒めているのです。
 私たちは歳を重ねると、何事もわかったつもりになり、ともすると謙虚に学ぼうとする意欲を忘れがちになります。しかし、初心に帰ってブッダが遺した言葉を読み返すと、その教えの一つ一つが、私たちの日常的な発想の転換をうながすものであることに気づきます。どれでもよいから、ブッダの言葉をじっくりかみしめること。それが発想の転換につながることは間違いないと思います。」(雑誌「大法輪」2011年5月号p49~52より)

確かに、「私たちは歳を重ねると、何事もわかったつもりになり、ともすると謙虚に学ぼうとする意欲を忘れがちになります。」という指摘は当たっている。
シルバーになって、「何か新しいことを学ぼうとしているか?」という問いも耳が痛い。

「時間がない」・・。そう、自分の場合、すべては時間のせいにしてきた。内心、時間があっても出来ないことは出来ない・・、と分かっているくせに・・・

誰も知っている真理だが、忙しい時は、何でも早々に片づく。しかしヒマな時は、全てのスピードが落ちて、何も片付かない・・・。社業も同じ。忙しい人の所には、益々仕事が集中するのは、どの組織でも見られる共通の真理。

さて、「ヒマになったら・・」と自分が言い訳をしてきた項目は何だったろう・・と思い返してみると・・・。
「部屋の掃除」「読書」「録画してあるテレビ番組」「料理の手習い!?」「旅行」・・
昨日の「夫とコーヒーこそ『特別』」(ここ)の記事にあった「・・たとえ明日命が絶たれても「私の人生は幸せでした」と胸を張って言えるだろう。・・」という日常生活を早く送れるよう、心せねば・・・、とは思うのだが・・・・。何か焦りを感じるこの頃ではある。

今まで、「恨みを捨てれば敵は消滅する」「怒ればあなたは必ず負ける」「悪口は勝手に言わせておけばよい」「死を『前に見よ』」「肉を増やさす智慧を増やせ」と読んできた。
少しでも日常生活に、このブッダの言葉を活かしたいものではある。

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コメント

ついつい仏陀の教えとなると、コメントを書きたくなってしまうので、お許しください。仏陀の教えは極めて当たり前のことで、誰もが理解できるのですが、実践を続けることが難しい。3歳の子供でも理解できるが、百歳の老人でも実践できない。というな内容です。でも実践は単純です。智慧を増やすとはどういうことでしょうか?智慧と言う言葉の意味をきちんと飲み込む必要があります。
恐らく、智恵と言う言葉の意味は、『至上を求める意志によって得られた事柄』と言う意味であろうと思います。至上を求める事とはどういうことか?現状よりもより良いことを求め続ける事、と言う意味でしょうか?即ち少しでもより良いことを続けていく事が大切。『継続は力』を仏陀は『より良く継続するは智慧を増やす事である』と解釈した事なのでしょうか?

【エムズの片割れより】
確かに継続は難しいですよね。
「当たり前のことを当たり前にやる」事は、ビジネス社会でも最高に難しいこと。
智慧という言葉には、深遠な意味を感じます。

投稿: 普賢 | 2011年9月13日 (火) 09:48

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