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2011年8月 3日 (水)

「長寿には“生きがい”が大切」

またまた“トシ”の話で恐縮だが・・・・
だいぶん前だが、日経新聞の「今どき健康学」というコラムに、「長寿には『生きがい』が大切」という記事があった。良く言われている話だが・・・

長寿には「生きがい」が大切
 よく言われるように、日本の人口の高齢化は急だ。世界のどこの国も経験したことがない高齢化社会になりつつある。国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、2055年には75歳以上のいわゆる後期高齢者の割合が総人口の26.5%になるとされている。
 高齢化というのは単に歳をとると言うことではない。有名なサミュエル・ウルマン(19~20世紀の米国の実業家で詩人)も「人は年齢を重ねただけでは老いない。理想をなくした時に老いるのである。(人は)希望がある限り若く、失望ととともに老いる」と言っている。いつまでも若々しくあるためには、希望や理想をもつことの大切さを謳(うた)っているのだ。
 アンチ・エージングという言葉が世の中で使われるようになって久しい。米国生まれの概念で加齢による様々な肉体的な衰えを防止する老化防止、抗老化ということであり、主に美容の世界を中心に言われているようだ。
 しかし、これはよりよく年齢(とし)をとる、ということとは狙いが少し違っている。むしろ、これからの高齢化社会においてはウェル・エージングという言葉がぴったりくる気がしてならない。
 人間総合科学大学の柴田博教授によれば、ウェル・エージングのキーワードは3つある。それは長寿、QOL(生活の質)の向上、社会貢献である。
 長寿は文字通り年齢相応の幸せを享受することであリ、単なる延命を狙った「長命」ではない。また、QOLの向上は生活環境など肉体的・物質的な面だけではなく精神面も含めて日々の生活に満足感を覚えることだ。そのためには能力と意欲を生かして社会貢献をすることが必須である。いわば「生きがい」をもつことで幸せな日々を達成することが大切なのである。
 よく、年齢を重ねるとともに「円熟味を増す」と言われる。人格はもちろんだが、精神的能力など総合能力は若い時代とは格段に違うことがよくある。
 米国の心理学者エリクソンは人のライフサイクルを乳児期、幼児期初期、遊戯期、学童期、青年期、前成人期、成人期、老年期の8つに分けた。このうち老年期には英知が育つとされる。肉体的衰えはあるとはいえ、人の総合能力は生涯発達するものだ。(江戸川大学教授 中村雅美)」(2011/07/24付「日経新聞」P10より)

実に良く分かる話である。しかし“このうち老年期には英知が育つとされる。”という言葉は嬉しい・・・。

一方、これも古い記事だが先日の新聞各紙に、2010年の平均寿命の記事があった。
「女性、猛暑で寿命縮む
2010年の日本人の平均寿命は女性が86.39歳、男性が79.64歳たったことが、厚生労働省が27日に発表した同年の「簡易生命表」で分かった。09年比では女性は0.05歳縮み、男性は0.05歳延びた。女性は5年ぶりに縮み、男性は5年連続で過去最高を更新。女性の平均寿命短縮について同省は「猛暑により熱中症や心疾患などで死亡する人が増えたことが一因」とみている。
・・・・
・・女性は26年連続で世界1位。香港、フランス、スペインが続く。男性は香港、スイス、イスラエルに次いで4位たった。
 がん、心臓病、脳卒中の「三大死因」によって将来死亡する確率は女性50.88%、男性53.97%。3死因がすべて克服されたと仮定した場合、平均寿命は女性は93.17歳、男性は87.45歳になると試算された。65歳以上の期開か一生に占める割合は女性が25.9%で、男性が20.6%。・・・」(2011/07/28付「日経新聞」P42より)

やはりここで肝要なのは、先の記事の「長寿は文字通り年齢相応の幸せを享受することであリ、単なる延命を狙った「長命」ではない。」ということ。
自営業で多い“いつまでも現役で働いている人”、それに対して“ベッドの上で胃ろう(ここ)で生き長らえている人”・・・

このトシになって悟ったこと・・・。「老年期に英知が育つ」ために必須な条件は、“元気(健康)な夫婦”。この条件が少しでも崩れたとき、その家庭には暗雲が立ちこめ、文字通りの“不幸”が訪れる。
とは言っても、寿命は天から授かったもの・・・。これだけは逃げられない運命・・・、という捉え方もある。
結局、「その時」が来るまで、夫婦で生き生きと暮らす・・・。それ以外には無いようだ。毎日、“生きがいを持って生き生き”と暮らしていれば、たぶん“赤紙”が落ちてくる日も遠退くだろう。

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コメント

生きがいというものが、そんなに必要なものなのだろうかと思っています。逆に、もし生きがいがなくなったら、そのときどうするのだろうかと心配になります。私には生きがいというようなものはとくにないように思います。それでも退職して10年、多少血圧が高いものの、健康で楽しく過ごしています。健康で楽しく暮らすということも生きがいと言えるのでしょうか。このように考える私は変でしょうか。

【エムズの片割れより】
「健康で楽しく暮らすこと」が“生きがい”なのか、何かの生きがいがあるから楽しく暮らせるのか・・・、ナーンテ、“てつがく的”に考えてしまいますが、結局、健康で楽しく暮らせれば、理由なんて要りませんよね。

投稿: かえるのうた | 2011年8月 5日 (金) 15:08

悠々自適の生活を夢見てきましたが、父親の定年後の生活を見て、考え方を変えました。
父は定年後、2つの計画を持っていました。①自家農園で農作業する。②釣り三昧
農作業は始めるには始めましたが3年でやめました。向いてなかったのだろうと思います。釣りは道具を買っただけで結局行きませんでした。自宅の近くに知人友人の類が誰もいなかったのです。そこで私は、定年後、自宅の周辺にたくさんの友人がいる状態を準備しようと決意しました。50歳から行動開始。①合唱団・②環境保全のグループ、地元の二種類の集団に所属する事で数十人の知人を作る事に成功しました。その中で自由に情報交換できる友人を10人近く作る事ができました。そして、私の特技の『蛍を飼育』で仲間を20人ほど作る事ができています。老後大切なのは家族は勿論ですが、住まいの周辺に気安い友人がいることではないかと思っています。これも父親のお陰です。

【エムズの片割れより】
いやはや全くその通りで、感服しました。
自分の父は、とにかく多趣味で、将棋、プロ野球、ゴルフ、読書、麻雀等々・・・。そしてまさに麻雀をしながら脳溢血で亡くなりました。田舎にある会社だったので、友人は元の会社の同僚で、皆近く・・。
それに引き替え、自分など、近所に知り合いもいないので、弱った・・・・
それに友人を作る努力もしていないので、この話はまさにリタイア後の鑑ですね。その姿勢、ぜひ手本にしたいのですが、サテサテ・・・

投稿: 中野 勝 | 2011年8月 5日 (金) 17:47

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