「不眠と刺激~目が覚めても時計は見ない」
先日の日経新聞の「こころの健康学」に不眠の話が・・・
「不眠と刺激~目が覚めても時計は見ない
その人は「時計と格闘する」と表現していたが、まさにその通りだった。夜中に目が覚める。時計を見るとまだ夜中の3時だ。「また、こんな時間に目が覚めてしまった」と焦り、布団の中で目を閉じてじっとしている。ずいぶん時間がたったように感じて、目を開けて時計を見てみる。まだ15分しかたっていない。
それを延々と繰り返しているうちに、だんだんと外が明るくなってくる。また今日も眠られなかったという後悔にも似た思いでいっぱいになり、気持ちは暗くなる。体の重さを感じながら布団の中でぼんやりとしたまま、時間だけが過ぎていく。不眠を訴える人からよく聞く話だ。問題は、ゆっくり眠るためには刺激を少なくした方がよいという原則とまったく逆の対応をしていることにある。
例えば、時計だ。私がよく患者さんに話すことだが、時計を見ても見なくても、3時は3時だ。時計を見てしまうと、それが刺激になって目がさえてきてしまう。布団の中で「寝ないと」と考えることも刺激になる。眠れていないことが気になるし、その結果良くないことが起きるのではないかと考えることにもなる。これもこころの中の刺激だ。
目が覚めても時計は見ない。なかなか寝つけないようだったら起き上がって、ゆっくりとした時間を過ごしてみる。不眠に悩んでいるときに、刺激という視点から自分の行動を振り返ってみると、新しい対応策が見えてくる。 (国立精神・神経医療研究センター 大野 裕)」((2011/07/22付「日経新聞」夕刊P7より)
前に何度か書いたが、自分もトシと共に夜中に目が覚める事が多くなってきている。これは老化現象の一つらしく、同じ年代の同僚からも同じ話をよく聞く。
この話も良く分かる。自分も前から、目が覚めたときは、なるべく目を明けない方がよい。ということには気付いていて、今は“声で知らせる時計”を使っている(ここ)。
でも、要は「時を気にするな」ということなので、この論とは噛み合っていない。
定年を過ぎると、老化現象が多くなってくる。前にこんな言葉を紹介した。
「少々のことでは、病医院に行かない。中年以降の不調は、大方は老化現象で、つける薬はない。そうだとすれば、医者に診てもらう必要もない。」(ここ)
・・とすると、それに対応する手段は無い。どう折り合いを付けていくか・・・。それだけ・・。
前に義姉が亡くなった時の記事でも書いたが(ここ)自分の衰えていく肉体をどう捉えるか・・。そっちの話かも知れない。
自分の肉体を、もう一つの自分として捉え、それを冷静に見詰めることが出来れば、自分の不眠も客観的に見詰めて評価することができ、乗り越えるきっかけになるかも・・・
すべてが「拘る」ことから来ていることは、頭では分かっているのだが、我々凡夫にとってはなかなかやっかいなテーマである・・・
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コメント
ほとんど毎日のように、楽しませていただいてます。年齢が近いせいか、私も今やほとんど3時に目が覚めます。以前は寝ようと格闘していましたが、今はその格闘を止めました。
起きてパソコンを立ち上げ、twitterを楽しんでいます。6時には散歩をし、朝食後に少し朝寝をします。勿論昼食後も昼寝を少しします。夜寝る時間は5時間くらいですが、間寝(間食があるから、こんな言葉を作ってみました)を合わせて1時間で、計6時間の睡眠時間です。理想の7時間睡眠にあと1時間。いずれ調整して行こうと思っています。
【エムズの片割れより】
自分もこの所、毎晩2時半に目が覚めます。いかん・・と思うほど・・。それに、困ったことに段々と長く寝るクセが・・・。トシと共に睡眠時間は少なくて済むと思っていましたが・・
それにしても、睡眠薬は怖いですね。本にありました。
投稿: 金子 次郎 | 2011年8月 2日 (火) 10:33