歌人・永田和宏氏のエッセーの朗読
先日、NHKラジオ深夜便(2011年8月20日放送)で、歌人・永田和宏氏のエッセーの朗読があった。妻の歌人・河野裕子さんが亡くなった話である。どこかできいた名だな・・・と思 って前の記事をめくってみると、自分も2008年9月17日に「永田和宏氏の短歌の世界・・・」(ここ)という記事を書いていた。
その頃は、2000年に乳がんの手術を受けた奥様も健在だった。しかし先の放送(NHKラジオ深夜便「科学と短歌~ふたすじの道を歩む 歌人・京都大学教授 永田和宏」(2008/9/14~15放送))の直前、2008年の7月に乳がんの再発が見つかっていたらしい。そして、2010年8月12日に亡くなったのだという・・・。知らなかった・・・。
カミさんに話すと、何と(!!)知っていた・・・。テレビや新聞でも、大きく報道されていたという。
その永田和宏氏のエッセーの朗読である。少し聞いてみよう。
<永田和宏「もうすぐ夏至だ」>
この朗読に中に出てくる歌・・・
「一日が過ぎれば一日減ってゆく 君との時間 もうすぐ夏至だ」(永田和宏)
「この家に君との時間はどのくらゐ 残つてゐるか 梁よ答へよ」(河野裕子)
「あなたにもわれにも時間は等分に 残つてゐると疑はざりき」(永田和宏)
そして言う・・・
「家族とは時間を共有するもの・・・。時間の共有というのは、思い出すという共同作業なのである。半身を失ったような、という表現で伴侶を失う悲しみを言うことがあるが、それは二人で共有した時間を強引にもぎ取られてしまうことによるのだろう。・・・」
何とも、その通りである・・・
<永田和宏「後の日々」>
同じく、この朗読に中に出てくる歌・・・
「たつたひとり君だけが抜けし秋の日の コスモスに射すこの世の光」(永田和宏)
「手をのべてあなたとあなたに触れたきに 息が足りないこの世の息が」(河野裕子)
「長生きして欲しい誰彼数えつつ つひにはあなた一人を数う」(河野裕子)
「ご飯を炊く誰かのために死ぬ日まで ご飯を炊ける私でいたい」(河野裕子)
「何年もかかりて死ぬのがきっといい あなたのご飯と歌だけ作って」(河野裕子)
「生きてゆく とことんまでを生き抜いて それから先は君に任せる」(河野裕子)
「・・・・実際に河野裕子はとことんまでを生き抜いた。それならば、それから先を君に任せる、と言われた私がその後を生き抜く他はないではないか・・・」
一人残されたとき、果たしてその通りに生きて行けるのかどうか・・・。少なくても自分は自信がない。
<永田和宏「歌は遺(のこ)り歌に私は」>
「・・・自分がこれまでに残してきた歌、妻の歌、家族の歌は、何にも換えがたい私の財産であり、軌跡でもある。ところが癌が見つかり、またそれが再発してからの妻の歌は、どれもが私には悲しいものになってしまった。
「大泣きをしてゐるところへ帰りきて あなたは黙つて背を撫(な)でくるる」(河野裕子『葦舟』)
泣いている背を撫でる、ほんのわずかなことだったはずだが、それがそんなに強く妻には感じられていたことを歌で初めて知る。
「俺よりも先に死ぬなと言ひながら疲れて眠れり靴下はいたまま」(河野裕子『葦舟』)
あの夜は、確かに泣いた記憶があったが、その後の記憶はない。眠ってしまったものらしい。「靴下はいたまま」が哀れだが、それは妻が自分の居なくなった後の私を、視線の向こうに見ている哀れさでもある。
「一日に何度も笑ふ 笑ひ声と笑ひ顔を 君に残すため」(河野裕子『葦舟』)
会った頃からよく笑う少女であった。結婚してからも、いまもそれは続いている。彼女が居なくなったら、きっと「笑ひ声と笑ひ顔」ばかりを思い出すことになるのだろう。こんな歌を私に見せるのは反則だろうと思いつつも、私は泣いてしまう。最近の彼女の歌は、すでに「その後」への視線が強い傾斜を見せ、それが私を悲しくさせる。
歌を残せるのは、何ものにも換えがたい財産だと思ってきたが、しかし、遺された連れ合いの歌を読むのは、また何ものにも換えがたい切なさと悲しみ以外のものではないことを知って愕然とする。
「歌は遺(のこ)り歌に私は泣くだらう いつか来る日のいつかを怖る」(永田和宏)
それら悲しみの歌、二度と帰らない二人の時間を痛切に思い知らされるこれらの歌を、ふたたび以前のように自分の財産だと思える日は来るのだろうか。」
どの歌も、心が痛む。
ふと先日亡くなった義姉のことを思い出した(ここ)。医師からのガンの宣告のその時、一緒に聞いた弟からのメール・・・。
「Mさん(義姉)は、ショックが大きいと思いますが、いたって冷静です。Mさんがいないと、兄貴は、生きていけないのを知っているので、兄貴のことを心配しています。冷静・平静で心の乱れを、感じません。大した人です。」
前にも書いたが、義姉はその通りの受け止め方で、静かに亡くなって行った・・・
そして残された人は・・・・・
仏教で言う四苦八苦の「愛別離苦(あいべつりく)~愛するものと分かれる苦しみ」(ここ)。
それは、誰にでも必ず来る苦しみ。原理的に、それを避けることは出来ない。
仏教の原点は、「人生は苦である」。(苦諦(くたい=苦という真理):迷いの生は一切皆苦。老・病・死に代表される苦に満ちている。)
誰も避けることの出来ない苦。最初に「人生は苦である」という言葉を聞いた時に、「ん?」と思ったものだったが、年を取るに連れ、近くの人が亡くなって行く現実を見るにつけ、「人生は苦だ」という言葉が、段々と分かってきたような気がする今日この頃である。
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コメント
仏に仕える身が、もっともらしいことをいうのは、はばかられるのですが。人の死を悲しむ自然の心を、釈尊は四苦八苦と説いています。それは所詮六道の話なんです。四聖である、声聞・縁覚・菩薩・仏に関してではないのです。死とどのよう向き合うか?釈尊は執着を捨てよ、と説きます。悲しみ苦しみから抜け出すには、苦しみきり、悲しみ抜くことが大切なのです。それを抜け切ると、全てを受け入れる心が現れてきます。人の死、自分の死をそのままの形で受け止める準備ができてくるのでしょう。そのとき、人は至上を求めたくなるのでしょう。それが菩薩道であり、仏道とも言うのでしょう。仏への道なのです。
【エムズの片割れより】
なるほど、“悲しみ切る・・・”のですね。その後に見えてくる・・・。良く分かりました。
投稿: 普賢 | 2011年8月23日 (火) 21:31
私が心筋梗塞で廃人同様になっていたとき、二人の女友達が揃って乳がんになりました。今から6年前のことです。彼女達は早期であったため、死を免れました。しかし壮絶とも言える戦いをしていました。私は半年間近く歩く事もままならない状態から、自力でリハビリをして、1年後には普通の生活が何とか出来るようになりました。彼女たちもまるで不死鳥のごとく、その後は圧倒的なエネルギーで今まで以上に活動的になりました。癌は最後まで諦めてはいけません。日本人には浄土思想が特に文化に根付いているように見受けられます。日本人の美意識のなかに、浄土への信仰の美があるようです。滅びていくものの哀れさを美として捉える。でも私は最後まで諦めたくありません。死に逝く美より生き抜く穢を選びます。
【エムズの片割れより】
全ては「生きる」ことへの意志力のようです。たとえ病気になっても、“そんなヒマがあるか・・”という気持ち、意志であれば、病気の方が退散!? 逆に、病気に自分の気力が最初から負けてしまうと、病気の意のまま!?
自分もその辺りを良く考えたいと思います。
投稿: 中野 勝 | 2011年8月24日 (水) 13:17