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2011年7月 2日 (土)

中学の同級生からの、突然の電話

我が家の電話機は、しゃべる(ここ)。誰からの電話かをしゃべるのである。
その電話機が今朝「茨城県から電話です」とのたまう・・・。電話帳に載っていない番号は、市外局番から判断して、その県名をしゃべるのである・・・。

電話に出てビックリ。「R市のSだけど・・・」。中学の時の同級生からだ。頭の中は50年前に一気に飛ぶ・・・。頭のピントはバッチリ・・・。
聞くと、今日は出社しているが、非常勤での勤めもそろそろ終わりで、懐かしくなって電話したという。「どうしている?」から始まって、話は弾んだ。お互いの勤めの話や、健康問題、そしてリタイア後の生活まで、話題は共通。
糖尿を持っているが、酒は飲んでいるという。好きなモノを絶ってまで、長生きはしたくないと・・。そして話題は会社が終わってどうする??  聞くと、無趣味なので、ボランティアでもしようかと・・・。車の運転ぐらいしか出来ないので、爺さん婆さんの病院への送り迎えとか・・。それは喜ばれるぞ、と自分は反応する。

そしてリタイア後の“やること”・・・。自分が核心の質問をする。「ところで料理はするのか?」。予想に反して(?)「けっこうやるよ」という返事。「山に行くので、山では食い物を自分で作るしかない」・・・。なるほど・・・・。「そう言えば、会社の同期で、定年後“主夫”をしている奴がいるが、そいつも山が趣味だった。なるほど、山か・・・」。そして言われてしまった「料理も面白いぞ。やってみたら?」・・。仕方なく生返事・・・・

この男とは、学生時代以後、1度会ったことがある(1度しか会っていない?)。記録を調べたら2003年2月19日のことだった。某自動車会社に行ったやはり中学の友達から「たまたま上京するので、会おうか・・」と40年ぶりに電話が来たのがキッカケ。それで今日電話があったSにも声を掛け、3人で会った。それ以来の電話・・・
そのとき、カミさんが「男の人は40年近くも会っていないのに、それでも友達なの?」とあ
きれていたのを思い出した。「何十年会っていなくても、友達は友達なのさ・・・」とうそぶいたもの・・
しかし、それからもう8年も経ってしまった。でも人間の頭はスゴイ。50年前の事でも色々な場面を思い出す。そして色々なことを思い出しながら、話が進む・・・

Sが言っていた。「先日、中学の仲間と会った。40年ぶりだと言ったら、50年だろ、と言われてしまった。中学を卒業してもう50年も経ってしまった・・・。そしてもう5人も亡くなっていた・・・」
Sとは中学1年の時の1年間しか一緒でなかった。クラス委員長や生徒会長などをやった学校のリーダーだった。しかし中学2年の時に市内の中学の再編に伴い、彼とは別の中学になってしまった。そして彼は、地元に出来た新設私大に行ったが、実力があったのだろう、就職した地銀の支店長を10年も勤め、言いたいことを言い過ぎて子会社勤めになったと言っていた。
それもそろそろ終わり。そして皆、肩書の取れた平等な爺さんになる・・・。

しかし今日の突然の電話。誰かの頭の中に自分の名前がまだ残っていることは喜ばしい。まだ自分はまだ“生きている・・・!?”。しかも電話の“中身が無い”のも嬉しい。だいたい突然の電話は、誰々が亡くなったとかいう内容が多いもの。その点、中身が何も無い電話は良いものだ。
今度、田舎に帰ったら、声を掛けて一緒に飲もうかな・・・。
こんな話題も事件になる“何も無い”平穏な日常。これこそが“幸せ”の極致なのではないだろうか・・・。

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