« 「老・病・死は不幸とは決まっていない」 | トップページ | NHK FMのラジオドラマ「世界でたったひとりの子」 »

2011年7月15日 (金)

昭和47年の出来事(25歳)~藤圭子の「京都から博多まで」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの26回目。自分が24歳から25歳、つまりサラリーマン3年生になった昭和47年(1972年)の出来事を調べてみる。

しかし学生時代と違って、サラリーマンになると、その年に何があったか、からきし思い出せない。ただ仕事をしていた・・・・だけ!?
まあ“一般論”でしか思い出せないな・・・・・(写真はクリックで拡大)

S47 さてこの年は、日中国交正常化と沖縄返還の年。それに「浅間山荘事件」や「札幌冬季オリンピック」「川端康成の自殺」などがあった年。山陽新幹線が新大阪-岡山間で開通したのもこの年。6月30日には日本フィルハ-モニ-交響楽団が解散。
これらは良く覚えている。浅間山荘事件では、テレビが軒並み実況中継。最高視聴率は90%にも達したという。
S471 当時の出張では、新幹線で岡山まで行き、そこで在来線に乗り換えたもの・・・。
日本フィルの解散演奏会は未だに覚えている。そのことは「旧日本フィル解散時(1972年)の小澤征爾の「復活」」という記事で既に書いた(ここ)。

1972年6月16日(金)19:00 東京文化会館で行われた日本フィル第243回定演。小澤征爾の指揮によるマーラーの「復活」だった。演奏会が終わった後、聴衆が帰らず、何度も小澤征爾がステージに呼び出されていた光景を思い出す。渡邉暁雄指揮のこの日本フィルは、テレビを通じて、子どもの頃から自分のクラシック世界を育ててくれた原点であった。

この年の歌は、「この広い野原いっぱい(森山良子)」「瀬戸の花嫁(小柳ルミ子)」「ひとりじゃないの(天地真理)」「旅の宿(よしだたくろう)」「学生街の喫茶店(ガロ)」「せんせい(森昌子)」「京都から博多まで(藤圭子)」「喝采(ちあきなおみ)」「漁火恋唄(小柳ルミ子)」「そして神戸(内山田洋とクール・ファイブ)」「さそり座の女(美川憲一)」「ハチのムサシは死んだのさ(平田隆夫とセルスターズ)」「赤色エレジー(あがた森魚)」等々・・・
その中で、今日は、藤圭子の「京都から博多まで」を聞いてみよう。退廃的な藤圭子の歌声は、世間に沁みた・・・・。

<藤圭子の「京都から博多まで」>


「京都から博多まで」
  作曲:猪俣公章
  作詞:阿久悠

肩につめたい 小雨が重い
思いきれない 未練が重い
鐘が鳴る鳴る 憐れむように
馬鹿な女と 云うように
京都から博多まで あなたを追って
西へ流れて 行く女

二度も三度も 恋したあげく
やはりあなたと 心にきめた
汽車が行く行く 瀬戸内ぞいに
沈む気持を ふり捨てて
京都から博多まで あなたを追って
恋をたずねて 行く女

京都育ちが 博多になれて
可愛いなまりも いつしか消えた
ひとりしみじみ 不幸を感じ
ついてないわと 云いながら
京都から博多まで あなたを追って
今日も逢えずに 泣く女

改めて聴いてみると、この歌はまさに“猪俣公章節”だ。自分が好きだった猪俣公章は、森進一の一連の歌や、クールファイブ、五木ひろしなど、多くの名曲を作曲したが、残念ながら1993年に55歳の若さで没してしまった。実に惜しい死であった。

←BACK                       NEXT→

|

« 「老・病・死は不幸とは決まっていない」 | トップページ | NHK FMのラジオドラマ「世界でたったひとりの子」 »

コメント

昭和47年は数学の教師となって私立中高一貫校に就職して3年目の年で、浅間山荘事件は職員室で同僚達と事の顛末を長時間テレビに釘付けになっていたことを良く覚えています。それと中学一年生の担任を命じられ、必死でクラス経営をしていたように記憶しています。その子供達も50歳を越えるのですから・・・。NHKの朝ドラにかぶる場面があり、しょっちゅう泣かされています。7年間で教師を辞めましたので、いま教え子数名と年賀状のやり取りをしています。
教職を辞してから、研究生活に戻り、その後
職をいろいろ変えましたので、変化のあったときのことは、やはり良く覚えていますね。

【エムズの片割れより】
自分たちは、あさま山荘事件を、昼休みに食堂にあったテレビでチョコッとみました。業務中にテレビを見る雰囲気は、さすがにありませんでした。
教師という職業は、高校時代に考えたことがありましたが、やはり自分には無理でした。
まあ人生色々ですね・・・。

投稿: 金子次郎 | 2011年7月16日 (土) 04:17

カラオケ仲間に「クラシックから演歌まで」歌える歌が5000曲とうそぶいているのですが、典型的な下手の横好きです。演歌では猪俣公章とか浜圭介とか船村徹などが好きですね。メロディーが綺麗で独創的です。
17~8歳ぐらいの藤圭子が真っ青のドレスで「京都から博多まで」を歌ったのを見ましたが、何とも言えない妖艶な美しさでした。

【エムズの片割れより】
5000曲とはもの凄いですね。自分は、聞く方だったら5000曲位は知っていますが・・・
猪俣公章も浜圭介も船村徹も、オジさんにとっては歌の神サマですね。

投稿: 山下仁平 | 2011年7月16日 (土) 11:12

5000曲というのは、白髪3千丈的な大法螺でして、実際はその10分の1程度かもしれません。よく歌うのは「白い花の咲く頃」とか「あざみの歌」のような国民歌謡的なものと、「シクラメンのかほり」とか「22歳の別れ」とか「ふれあい」のようなニューミュージックと、「津軽のふるさと」とか「愛燦燦」とか「すきま風」のような歌謡曲です。
私はこのように大ヒットした曲しか知りませんが、エムズの片割れさんは、私が聴いたこともないような美しい曲をたくさん紹介して頂けるので本当に感謝しています。

投稿: 山下 | 2011年7月19日 (火) 11:26

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「老・病・死は不幸とは決まっていない」 | トップページ | NHK FMのラジオドラマ「世界でたったひとりの子」 »