人生での経験と“品性”
最近、“人生での経験”について思う。つまり、還暦をとっくに過ぎた自分のような年齢になると、これからの人生で“画期的な経験”や“今までに無い経験”をする機会は、自分で努力しない限り非常に少ない。・・・とすると、“自分の人生”も既に見えた・・・・!?
先日の朝日新聞「ひととき」の欄に、こんな投稿があった。曰く・・・
「死んでたまるか!
災害や原発事故におびえて暮らさなくてはならない昨今だが、96歳の私にも、死に直面した数々の体験がある。その都度、「死んでたまるか!」との思いで乗り越えてきた。
初めは小学1年のとき。豪雪地帯の新潟県で生まれ育った私は、下校途中、屋根の雪下ろしの雪の下敷きに。窒息しそうになりながらも自力で抜け出した。
東京の親戚宅で暮らしていた20代のときには、2・26事件が勃発。ラジオからは「流れ弾が危険です。身を伏せてください」との叫び声。陸軍教育総監の自宅近くだったために、生きた心地がしなかった。
悲惨な太平洋戦争に突入後は、昼夜の別なき激しい空襲。結婚して越してきた名古屋市で、逃れた岐阜県大垣市の親戚宅で、両親が住んでいた三重県桑名市で、3度家を焼かれた。
桑名市の実家が焼けたときは油脂爆弾に吹き飛ばされ、全身火だるまになった。体は焼けただれ、危うく死体置き場にリヤカーで運ばれそうになった。
歳月は流れ、いまは安穏の日々を送っている。命は自分で守るもの。人間、ダメと思ったらダメ。生きていれば、幸せな生活は必ず訪れる。(名古屋市 H.T 無職 96歳)」(2011/06/25付「朝日新聞」p31より)
自分はサラリ-マン現役時代、“転勤嫌い”で通していた。何のことはない。本音は、気が弱いので“変化がキライ”だっただけ。30歳代の頃、仕事の内容が大きく変わってコケた。そして退職の少し前、トシをとってから初めての転勤を経験し、案の定、そこで新たな体験をした。しかし、慣れた場所から動くことは、動くことそのものがストレス・・・。それが苦手だった。
「昔の人は強い」「女性は強い」とよく言われる。戦争を体験した人は、それに比べれば全てが“どうってことない”ことだという。だから強い。
昔、自分が若かった頃、家庭内である事件を起こした。それを(仲が悪かった)“人類のテキ”の田舎の親父から、「そんなこと、昔の戦争体験からすると何でもないこと」と事も無げに言われた。その言葉がいまだに頭から離れない。自分は戦争の体験は無いのであまりピンと来なかったが、それほどに戦争の体験は重いことだったのだろう。
今回の震災から100日余。被災者にとってみると、先の戦争体験に匹敵するような、悲惨な体験をされた方も多い。
一方、カミさんに言わせると、女性は死ぬ覚悟でお産をするという。お産の痛みが、それからの人生において常に基準となるらしい。だから“お産の痛みに比べれば・・”となって強いらしい。それに比べると、男の何とひ弱なことか・・・。自分も含めて、話にならん・・
それらの過酷な体験を持つ人に比べて、“順風満帆の人生”は果たして良いものか、最近疑問を感じる。人生で大きな事件が無い・・・。大きな悲惨な体験がない・・・。それ自体は非常にラッキーな事ではあるが、いざ逆境に陥ったとき、逆境への耐力があるかどうか・・・
都会で挫折を知らずに生きているエリート族。一方、派遣切りに遭う派遣社員や、先の戦争や今回の震災の経験を経た一般ピープル。有り得ない話だが、飛行機で南海の孤島に不時着した・・・なんて想像すると、どちらの方が生命力があるかは一目瞭然だ。
人生、果たして順風満帆がホントウに良かったのかどうかは、死ぬまで分からない。しかし自分や家族の死を含めて、逆境が無い人生などあり得ない。だから、これから見舞われるであろう人生の挫折や逆境(病気とか、天災とか、家族の不和とか・・・)。その時にこそ、それまでに培われた人間性や、人間としての実力が問われるもの。それは決して学歴でも、社会的ポストでもない。生きる力は、まさにこの投稿のように、挫折を乗り越えた体験の蓄積だけが育てるもののような気がする。
前に手仕事屋きち兵衛さんのコンサートで(ここ)、きち兵衛さんが「トシを取ったら、品のある老人を目指そう」といった話をされていたが、その通りだと思う。
幾多の体験によって培われた人間としての実力と品性。
過去はどうあれ、品のある、そして耐力のある老人を目指したいものだが、さてさて・・・
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