昭和46年の出来事(24歳)~小柳ルミ子の「わたしの城下町」
自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの25回目。自分が23歳から24歳、つまりサラリーマン2年生になった昭和46年(1971年)の出来事を調べてみる。
この年は新入社員ながら段々と仕事を覚えて、仕事が面白くなってきたころ。6畳一間の寮の部屋に、二人。この時代は、これが普通だった。
土曜日は臨出。日曜日は昼まで寝ていて、午後は寮の仲間と街に繰り出し、どこかで夕食を食べてから帰る、という生活。もちろんテレビなど部屋に無いので、ヘッドホンで音楽を聴いたり・・・。もちろん寮の屋上にはFMのアンテナを設置した。
しかし学生時代は、それぞれの年で、何があったか直ぐに思い出せるが、サラリーマンになってからは、その時々の出来事を思い出すのが一苦労・・。何かの事件(出来事)があ っても、何年の出来事かが思い出せない。つまり、いわゆる定常状態に入った・・・・?(写真はクリックで拡大)
さてこの年は、7月30日に雫石上空で全日空機と自衛隊機が空中衝突。 成田新空港反対闘争が激化。ドルショック等々。第一勧業銀行、東亜国内航空の発足。多摩ニュータウンの入居開始。
この年の歌は、「また逢う日まで(尾崎紀世彦)」「よこはま・たそがれ(五木ひろし)」「わたしの城下町(小柳ルミ子)」「おふくろさん(森進一)」「17才(南沙織)」「虹と雪のバラード(トワ・エ・モア)」「なのにあなたは京都へゆくの(チェリッシュ)」「雨の御堂筋(欧陽菲菲)」「別れの朝(ペドロ&カプリシャス)」・・・・。今でも良く聞く歌が多い。
その中で、今日は、小柳ルミ子の「わたしの城下町」を聞いてみよう。
<小柳ルミ子の「わたしの城下町」>
「わたしの城下町」
作詞:安井かずみ
作曲:平尾昌晃格子戸をくぐりぬけ
見あげる夕焼けの空に
だれが歌うのか子守唄
わたしの城下町
好きだともいえずに
歩く川のほとり
往きかう人に
なぜか目をふせながら
心は燃えてゆく家並がとぎれたら
お寺の鐘がきこえる
四季の草花が咲き乱れ
わたしの城下町
橋のたもとにともる
灯のように
ゆらゆらゆれる
初恋のもどかしさ
きまずく別れたの橋のたもとにともる
灯のように
ゆらゆらゆれる
初恋のもどかしさ
きまずく別れたの
この歌は、小柳ルミ子のデビュー作であり、代表作でもあるが、自分にとってみると先の布施明、伊東ゆかりに続く“平尾昌晃一家”の家族が増えたように見えた。編曲はもちろん森岡賢一郎(ここ)。このコンビの歌はそれ以降良く聞いた。
この頃から、いわゆる70年代の歌謡曲の全盛期であり、この当時の歌はほとんど知っている。自分の「素晴らしい音で歌謡曲を聴く」という趣味の全盛期だった。
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