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2011年6月28日 (火)

「悪口は勝手に言わせておけばよい」~ブッダの教える発想の転換(3/5)

雑誌「大法輪」2011年5月号に「ブッダの教える発想の転換」という記事があった。なかなか耳の痛い話ではあるが、5回に亘って読んでみよう。今日はその3回目。

ブッダの教える発想の転換
   菅沼 晃(東洋大学名誉教授)
・・・・・・
<悪口は勝手に言わせておけばよい>
 「バラモンよ、君はこのように罵詈雑言(ばりぞうごん)をあびせかけて私を非難しているが、私は君の罵詈雑言を受けとらない。だから、バラモンよ、それは君にもどり、君のものだ」(『相応部経典』第七「バラモン相応」)
 ブッダが布教活動を始めたころ、ラージャグリハの竹林精舎で説法していたとき、アッコーサカというバラモンから、罵詈雑言を投げつけられて非難されたことがありました。このバラモンは周囲の人びとが次々に仏弟子になってゆくことに腹を立て、ついに我慢できなくなって竹林精舎に出かけていって面罵したのです。
 「言葉の暴力」といわれるように、罵(ののし)り謗(そしる)ることは、本質的には殺人や傷害と変わるところがありません。怒り・憎しみ・恨みが外に向かって表されるとき、身体的には暴力や傷害などの行為となり、口で言う場合には罵り・誇りの言葉となり、心に思うときには怨念となっていつかは動きだし、相手を傷つけるからです。
 何かの言い合いがあって、相手に悪口雑言を浴びせられた日の夜。「あのとき、こう言ってやればよかった」と思って眠れなくなることがありますが、ブッダはアッコーサカ・バラモンの罵詈雑言を「そっくり君にお返しする」と言って、あっさりと退けました。
 「昔からいままで、人びとは黙って座っている人を非難し、多く語る人を非難し、少ししか語らない人を非難する。この世に非難されない人はいない」(『真理の言葉』二二七)と言われるように、ブッダは人間が社会生活のなかにいる限り悪口を言われる存在であることを認めたうえで、「言い返してはならない」といっているのです。
 私自身も職場の会議で、理不尽な理由によって非難され罵倒されたことがあります。そのようなとき、ブッダの言葉を思い出して「今の言葉は、そっくりあなたにお返します」と言ったことがあるのですが、どうも通用しなかったようでした。現実にはなかなか難しいこととは思いますが、「言い返して何になる」というブッダの言葉は常に心に止めておきたいと思います。」(雑誌「大法輪」2011年5月号p49より)

この論もなかなか手厳しい・・・。
確かに人間社会で、誹謗中傷は日常的なことかも知れない。しかし、心にはあまり良い影響を与えない。人の悪口を言っているときは、何だか心がスッとするのだが、何とも後味が悪い。結局自分で発した言葉は、自分に返ってくるという事なのだろう。
誹謗中傷の原因は価値観の違い。物事に対する価値観が違うから、非難することになる。上の記事のように、面と向かって非難しないまでも、人は人を評価し、色々な勝手なことを言う。しかし、人から評価されるほど不愉快なことはない。自分は自分なのだ。それを、自分の知らないところで、そして別の価値観で評価され、色々と言われるのを聞くとゾッとする。
その点、政治家はマスコミ始め、表舞台で堂々と評価される。それにも拘わらず、菅首相は今までの首相と違って、実に打たれ強い。それだけ見ても大物。まあそれは、裏舞台でヒソヒソ言われるよりはマシかも・・・

先日の朝日新聞の「民主党の弱さ~黙々と汗かく人が少ない」という記事に、こんな言葉があった。
「・・・小沢一郎氏の政治資金問題と分派活動、鳩山由紀夫、菅直人両氏のリーダーシップ不足……。さらに深刻なのは、与えられた任務を果たすフォロワーシップとも呼ぶべき「政治の作法」が欠けていることだと思う。「作法」にうるさかった竹下登元首相の語録を引きつつ、民主党の現状を考えてみよう。
 ▼汗は自分でかく。手柄は人にあげる
 例えば原発の再稼働問題。菅首相は浜岡原発の停止要請を発表し、得意満面だった。一方で点検の済んだ原発の再稼働に向けた地元自治体との話し合いは、海江田万里経済産業相に委ねている。竹下流であれば、停止要請といった目立つ仕事は経産相に任せ、首相は地元との折衝に汗を流すだろう。菅氏の「手柄は自分」の体質が、民主党全体に及んでいないか。・・・・・・
 ▼世間の評価は自己評価の半分と心得よ
 自分が80点の仕事ができたと思っても、世間から見たら40点というケースがある。人の評価は難しいのだ。・・・」(2011/06/25付「朝日新聞」p4より)

「悪口は勝手に言わせておけばよい」。確かにそうだ。でも悪口を言われなくて済むのなら、それに越したことはない。それは「人徳」の問題かも・・?
上の記事だけを読むと、菅首相は悪口を言われるタイプで、竹下登元首相は悪口を言われないタイプなのかも知れない。(竹下氏に人徳があったかどうかは知らないが・・・)

そろそろ我々も、「徳」を考える世代に入ってきた。表舞台はもとより、裏舞台でも「罵詈雑言」という言葉と縁のない暮らしをするためには、どう生きたらよいのか?
「徳」という言葉を前に、たじろぐ自分ではある。

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コメント

この仏陀の言葉の解説として
「外から入って来る言葉はあなたを汚しはしないが あなたから出てゆく言葉があなたを汚す」と言うのを聞いたことがあります。

【エムズの片割れより】
実に良い言葉ですね。まったくその通りです。自分も自重せねば・・・

投稿: マンスール | 2011年7月 7日 (木) 14:48

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