原発の交付金と避難命令・・・
今朝の日経新聞のコラム「春秋」に、電源3法による交付金についての記事があった。曰く・・・
「炭鉱の閉山で経済が立ちゆかなくなった「ヤマの町」を支えようと、かつて国は、巨額のカネを旧産炭地の自治体に投じた。公共事業や失業対策、鉱害復旧。様々なかたちでの国費投入は、石炭6法と呼ばれる6つの法律が根拠だった。
石炭が「6法」なら原子力は「3法」である。発電所を受け入れた自治体を潤す3つの法律、電源3法だ。交付金の額がハンパではない。資源エネルギー庁によれば、たとえば出力135万キロワットの原発を造る場合は、まず運転開始までの10年間に449億円が地元へ。その後も年々20億円ほどが投下されるという。
全国の地元自治体に渡る交付金総額は年間約1200億円。ほかにも立地市町村や周辺への「原発マネー」はいろいろあるから、過疎に苦しむ地域にとっては本当にありがたかろう。ハコモノの建設を競い合い、○○プラザとか△△センターといった豪華な施設が鎮座することにもなる。もちろん、福島も浜岡も。
地域の自立を導くならば、こうした交付金も無駄ではない。が、どうだろう。かえって原発マネーから抜け出せぬ悩みをもたらしたのが30年余に及ぶ国の立地対策だ。むかし6法いま3法。エネルギー政策のきしみを紛らわす仕掛けでもあろうか。未曽有の事故とその衝撃波は、見過ごしてきたものを見せている。」(2011/5/12付「日経新聞」「春秋」より)
この交付金・・・。フクシマでは1F、2Fで計10基とすると、4000億円??
額が大きすぎてピンと来ないな・・・
しかしその代償(?)となってしまった原発事故の影響は、あまりにも大きい・・・・
そして、今のフクシマでは「普通の日常生活」が許されず、代わりに賠償金というカネが与えられる。
裁判でも何でも、全てはお金に換算される。確かに、交通事故などで肉親を殺されても、命が戻らない現実の前には、お金以外にあがなう手段は無い。
しかし避難した人たちは、賠償金も何も要らないので、とにかく普通の生活を返せ、という思いだろう。特に老人にとっては、日常の普通の生活は“明日の命”の問題。
先日亡くなったウチの伯母も、90歳を超えたとき、玄関で転んで1週間入院しただけで、誰とも話さなかった影響か、痴呆が始まり、それから一気に症状が進んでしまった。老人にとっては環境の変化が死活問題になってしまう。
最近、思う・・。人間にとって、多額のお金はホントウに必要か・・・?と。
もちろん、最低限の衣食住費は必要だ。しかしそれ以上のお金は、人間それほど必要ではないのでは・・・? つまり、幾ら多額の賠償金を貰っても、普通の人にとっては、生活はそう変わらない・・。
それよりも、以前の・・・、となる。
先の記事にあった、交付金で作られた幾多の“○○プラザとか△△センター”も、たぶん現地にはたくさんあるのだろう。しかしそれらの豪華な設備は、今は人気(ひとけ)のない無用の長物に変わってしまって・・・
賠償金というカネと、何事にも代え難い“普通の生活”。いつもの日常生活がいかに大切か、改めて思うこの頃である。
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