「今」をどう生きるか~般若心経に学ぶ発想の転換(3/4)
雑誌「大法輪」に「般若心経に学ぶ発想の転換」という記事があった。この記事の一部を、4回に亘って読んで行こう。今日はその第3回。
「般若心経に学ぶ発想の転換
篠原鋭一(成田市・曹洞宗 長寿院住職)
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第三段
菩提薩捶 依般若波羅蜜多故心無罫礙無罫礙故 無有恐怖遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多 故得阿耨多羅三貌三菩提
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三世諸仏の絶対の真理―「今」をどう生きるか―
少し理屈っぽくなりますが・・・。「三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三貌三菩提」とは「過去・現在・未来の三世の諸仏は、仏陀の無上の悟りである般若の智慧によって、普遍にして妥当かつ必然なる、金剛不壊の永遠にして絶対の真理を得られた」ということになりましょう。
重要なのは「普遍にして妥当かつ必然なる」ということ。つまりこれこそが真理の原則です。
平たく言えば「なるほど、そうなんだ!」と納得のいく教えに他なりません。
私たちは、過去、現在、未来を生きるわけですが、その根本は「今」です。道元禅師は「而今(にこん)」と言われました。
現在は過去の「今」を積み重ねた結果であり、未来は現在の今の積み重ねで生まれるのです。ならば、最も重要なのは「今日」であり「今」ということになりましょう。
説法の達人と言われた亡き藤本幸邦老師の詩を思い出します。味わってみて下さい。
今朝眼がさめてありがたし
昨日は すでに 過ぎさりぬ
明日は 知らじな 今日の日を
尊く 生きて 励まなん
もし「定年」についてあれこれお悩みの方がおいでになれば次のような詩をご紹介しておきましょう。
人生に定年はありません
老後も余生もないのです
死を迎えるその一瞬まで
人生の現役です
人生の現役とは
自らの人生を悔いなく
生ききる人のことです
大切なのは今なのです。「而今」です。
こんな質問を頂きました。
「私はお金儲けや出世に失敗した敗者です。もう幸せにはなれず、生きる意味もありません。」
人はしばしば、そのように考えます。
しかし自分にとっての「幸せ」というものは、
不思議なことに自分ではわかりにくいのです。
そもそも、幸せと勝敗は関係がありません。
お金を持っている人は一見、幸せそうに思えますが、
実は「幸せ」そのものをお金で買うことは、誰にもできません。
成功することと、幸せになることは、
まったく別のことなのです。
むしろ、人生を急がず、勝ち負けにとらわれないで
「各駅停車」で生きるほうが、幸せをたくさん発見できます。
成功への「特急列車」に乗ったら見逃してしまう風景が、
しっかりと見えてきます。
いそがず、ゆっくりと生きていきませんか。
とにもかくにも「今」なんです。
「なるほど、そうなんだ!」と納得して頂けたでしょうか・・
(雑誌「大法輪」2011年5月号p55~59より)
今、また見ているTBSのドラマJIN-仁-(ここ)。第5回にこんなセリフがあった・・・。
「兄さんにとっちゃ、手足を切って生き永らえることは、大して値打ちがないのさ。先生、命の値打ちってのは、長さだけなのかい」
人生の目的は何だろう? “ただ長く生きること・・”ではなかろう。充実して生きること? 人生の充実は個々人で違う。でも言えることは、人間、やること、生き甲斐、目的が無くなったら、あまり生きていても仕方がない・・?
もちろん人間は、死にたいと思っても意志通りにはいかないので、そう簡単な話ではない。
先の般若心経でも仏教でも、“今いかに生きるべきか”を問うている。現役のサラリーマンは目的が明確。“給料稼ぎ”でも良いではないか・・・。しかし、リタイア後が問題。会社を去ったと同時に、目的を見失ったらオシマイ・・・
先日、入社以来の同僚が今月60歳定年で会社を辞めるため、送別会を行った。自分はまだ会社という組織にぶら下がっているが、その同僚はもう働かないという。独身なので、富士山麓にある自分の別荘の改修をしたりして、今後は都会のマンションとその別荘の間を行き来するのだという。
まあそれも人生・・・・
「今」をどう生きるか・・・。これはまさに根源的なテーマ。
とにかく、今を一生懸命に生きる。その繰り返ししかあるまい。
一方、身近なところでの激震で、心がポキリと折れることもある。人生、この先に何があるか分からない・・・。でもとにかく、自分や家族に“何か”があるまで、淡々と前に進むしかあるまい・・・。(ここには書けないプライベートな“人生無常”のテーマを抱えて・・・・)
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