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2011年4月15日 (金)

妻の「断捨離」スイッチ

先日の朝日新聞に「妻の「断捨離」スイッチ」という記事があった。なかなか感心する記事で、うなってしまった。曰く・・・

妻の「断捨離」スイッチ  田中和彦
コンサルタント会社に勤めるAさん(37)が、職場から送った段ボールの山を前に、妻は目をつり上げた。
「一体どういうこと? 会社のコスト削減分をなぜこの狭い家が引き受けるわけ?」
 モノヘの執着から離れ、身軽でシンプルなライフスタイルを目指す「断捨離(だんしゃり)」ブーム。その影響を受けた妻の剣幕に、Aさんは一言も反論できなかった。
 きっかけは、Aさんの勤務先が、オフィス移転を機に「フリーアドレス制」を導入したことだった。
 この制度、毎日決まった机で仕事をするのではなく、自分のノートパソコンと社内用携帯電話を持って、好きな席を選べるというもの。コスト削減やペーパーレス化、社員同士のコミュニケーションの活性化が狙いとされる。
 コンサルタントは日中は社外で過ごすことが多い上、組織改編や人事異動のたびに引っ越す手間も省けることから、Aさんの会社では、社長の鶴の一声で実施された。
 しかし、人間の習性なのか、いつの間にか座る席が固定化してくる。Aさん自身も、自分の居場所を失ってしまったようで、どうも落ち着かない。
 もっと大きな不満は、限られた収納スペースしか与えられなかったことだった。個人用ロッカーだけでは、それまでの仕事でたまった荷物が、収まり切るはずもない。
 不要な書類は処分せよと通達されても、過去の蓄積がいつ役立つとも限らないという考えがよぎる。すべてをデータ化するのは、手間がかかりすぎる。窮余の一策として、捨てられない資料を宅配便で自宅に送ったという次第だ。
 結局、妻に言われるまま、吟味に吟味を重ね、最低限の書類だけファイルして、すべてを焼却処分にした。さらに、この件が妻の「断捨離」スイッチをオンにした。
過去1年間に、読み返さなかった本、聴かなかったCD、身につけなかったスーツやネクタイなどが、次々とやり玉に挙げられた。
  「そのネクタイは、送別会で贈られたものだから」と抵抗した時は、「じゃあ、使うの?」と問いつめられた。「いや、でも記念だから」と返すと、「いつもらったの?」。それが12年前と知って、妻はあきれてものも言えないという顔になった。そして、ネクタイをデジカメで撮影し、「この写真が記念だから」。ネクタイは、あえなく「処分箱」に仕分けされた。
 相当量のモノと思い出が葬られたことに、Aさんは「意外にサッパリ気分ですよ」と話す。もちろん、強がりにしか聞こえない。」(
2011/04/09付「朝日新聞」b9頁より)

まず「断捨離(だんしゃり)」という言葉だが、知らなかった・・。Netで見るとWikiに「断捨離(だんしゃり)は、部屋の整理整頓と共に生活に調和をもたらそうとする、クラターコンサルタントやましたひでこの提唱する生活術」とあった。
提唱者の、やましたひでこ氏のサイトには「自分とモノとの関係を問い直し、暮らし・自分・人生を調えていくプロセス。不要・不適・不快なモノとの関係を、文字通り、断ち・捨て・離れ引き算の解決方法によって停滞を取り除き住まいの、暮らしの、身体の、気持ちの、人生の、新陳代謝を促す・・・」(ここ)という定義も・・・

なるほど・・・・
この記事にあった会社の座席の「フリーアドレス制」。自分は体験したことがないが、昔の会社の別のセクションで実施したことがある。当事者にはエラク不評だった。たぶん今はやっていないと思う。会社に行って、自分の居場所が決まっていない・・・、ということは、サラリーマンにとって心が不安定になる。メンタル的にもこの考え方は、自分は好かない・・・

さて本題の「断捨離」。自分も家で、モノをたくさん持っている。未だに仕事の関係のモノも完全には棄て切れていない。棄てよう棄てようとして、10年も経ってしまった。もちろんこれからも使う予定、開く予定は皆無。でも棄てるには勇気が要る・・・。なぜか? この記事と同じように、それぞれに何らかの思い出があるから・・・

しかし電子ファイルの時代になって、紙の資料は極端に少なくなった。自分の“昔の垢”はむしろ電子ファイル。これはあまりスペースを取らないので、まあ許すか・・・。問題は図書類。これは自分の部屋にあるだけに、まだカミさんの非難の対象にはなっていない。それがくせ者・・・
それと、なかなか踏ん切れないのが衣服。どんな衣服も、“ゴミ箱”に棄てるのは、ものすごく抵抗感がある・・・。

話は変わるが、ウチのカミさんの趣味。それは“戸吹”に行くこと。戸吹とは当八王子の清掃工場の名前である。車に不要物を満載して戸吹に棄てに行く。それに快感を覚えるカミさんではあるが、家の中は“カミさんのモノ”で溢れている。自分の部屋のモノ以外は、全部カミさんのモノと言っても良い?? だから当分、自分を非難する資格なんて無いのさ・・・

でもそれは言い訳・・。まあ、人生もこれから終盤に向かう。何かのキッカケが無いと処分出来ない。「断捨離」という言葉を知ったこともひとつのキッカケ・・・。これを機に、周囲の不要物の整理をすることとしようかな・・・。(出来るかどうか分からないけど・・・。多分出来ないと思うけど・・・)

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