「ゲンパツの言語学」
先日の日経新聞に、まさに原発報道における自分のモヤモヤを晴らしてくれたような記事があった。曰く・・・
「ゲンパツの言語学
ドイツ文学者・エッセイスト 池内 紀
東日本大震災で被災した福島第1原発をめぐって一つのことがはっきりしてきた。政府、官邸、原子力安全・保安院、東京電力、原子力安全委員会、国際原子力機関、さらに原子力問題の専門家などがメディアに発表するにあたり、パターン化した言い方があることだ。総じて「ゲンパツの言語学」と名づけてもいいような気がする。
放射能が流れ出ている。それは「高濃度の放射性物質を放出」であって、たとえ基準の数千倍の高い濃度を測定しても、つねに「局所的」に高い値を示したまでのこと。いずれ海水や河水に拡散して、「相当に薄まる」。
大気中の放射線量は「ミリシーベルト」というなじみのない単位により、人が浴びても「直ちに人体に影響しない」が、「念のため」の措置が告げられる。つづいて必ず日常生活でもけっこう放射線を浴びており、「通常、自然界に存在する程度の値」である旨の説明が加わったりする。そしてどこかからべつの意見が出されると、「情報共有がスムーズに図れていない」となる。原発の状況については「かなり深刻」で、危機を脱するには「時間が必要」といたってあいまいだが、東電による封じ込めの作業については、「液体状の合成樹脂をまいて飛散を防ぐ」といったことまでもが大きく報じられる。
この言語学が何をめざしているか明らかだろう。事実をはっきり述べず、遠回しの言い方でやわらげ、当初のような悪い状態ではなく安定に近づいているというムードをつくり出すこと。ながらく外国語を教えた者の目には、この言語学を通して、原子炉を冷やしつづける以外、手のほどこしようのない実状がすけて見える。」(2011/04/13付「日経新聞」夕刊p1より)
話は飛ぶが、日本語は世界的にもモヤモヤしている言語だと、良く言われる。その代表例が「前向きに対処する」という言葉。これは一般的には政治家や官僚が「NO」の意味で使う。前に政治家が訪米した時に、通訳がこの言葉をそのまま「YES」と訳し、物議を醸したことがあるとか・・・
しかし今回の原発事故における情報開示の評判は、はなはだ宜しくない。特に世界各国からの評判が良くない。そこには東電の“政府を気にしながら・・・”の背景もあるらしい。だから昨日(4/13)の東電・清水社長の1ヶ月ぶりの記者会見が、“具体的な回答が少なく、同じ内容の質疑が続いたため、会見は約2時間に及んだ。”(ここ)という。
これは、枝野さんが、元エネルギー庁長官が東電への天下りしたことに関し、「法律上、天下りに該当するかどうかに関わらず、社会的に許されるべきではない」(ここ)と、自分の言葉で語ったのとは対照的・・・。
本当は東電の社長も、「自分はこう思うので、自分の責任で政府を説得する」なんていう言葉を期待したいものだが、まあ無理だろうな・・・。
一方では、「避難地域に10年、20年住めなくなる」という総理の(?)本音の発言(?)が、非難の集中砲火を浴びていた。こうなると、まあ政治家はムニャムニャを繰り返すしかないのかな・・・なんて理解したりして・・・
それにしても、放射能汚染で避難を指示された地域の人々には、心が痛む。人の命と同様に、これらは到底お金ではあがなえない。先祖代々の土地を、そして住み慣れた家を出て行けと言う・・。そして避難所と称する場所は、だだっ広い体育館にただ布団を敷いただけ。そこで生活など、出来るわけがない。そして、やっとプライバシーが確保出来る仮設住宅が与えられたとしても、環境激変は同じだ。避難地区で「少しでも寝たきりのばあちゃんを動かしたら、死んでしまう」と避難を拒否した家族があると聞くが、良く分かる・・・。
前にチェルノブイリで、こどもたちの甲状腺ガンが急増したが、今後の福島での放射能の影響も、否定のしようがない。旧ソ連のこの事故では、500以上の町や村が地図上から姿を消したという。((ここ)より)
日本でも同じような事態にならないとは、まだ誰も言えない・・。人の命を別にすると、震災の被害は街の復興で元に戻せる。しかし放射能汚染だけは、じわじわとそこに住んでいる人々にダメージを与え続ける。例え避難したとしても、その避難先で“環境激変”というダメージを与え続ける。
それを受ける人は、単に自宅が原発から近かったというだけの理由で・・・
でもやはり原発は人類にとって必要なエネルギー源なのかも知れない。・・・とすると、“原発事故は起きる”という「想定」の中で考えるしかあるまい。 すると、本土から数十キロ離れた無人の孤島に原発を作り、そこで事故を起こしても、避難民がいない、という形で作るしかあるまい。まるでフランスの世界遺産「モンサンミシェル」のような・・・
そんな原発計画を提案する原発メーカーは無いもの だろうか・・・
東芝は10年間で、日立は30年で廃炉処理をする案を提出したというが(ここ)、汚染された普通の人が住んでいた土地は、いったいいつになれば再び住めるようになるのだろうか・・・
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