昭和44年の出来事(22歳)~由紀さおりの「夜明けのスキャット」
自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの23回目。自分が21歳から22歳、つまり大学3年生から4年生になった昭和44年(1969年)の出来事を調べてみる。
この年は自分の就職試験の年。当時は4年生になってからの就職活動だった。就職活動といっても、別に活動はしなかった。各企業から大学に各2名くらいの枠が与えられ、その枠に入れれば受験できた。そして受験では、あまり落ちた人の話を聞かない。いわゆる推薦校制で、推薦する大学側もそれなりの人を受験させ、その人を受ける企業側も、相当ひどくなければ採る・・という良き時代だったように思う。
就職試験は確か5~6月頃で、正式に採用通知が来たのは、夏休み前だったような気がする。よって自分の場合は、就職試験は一回受けただけだった。
でも中には、宗教関係で興信所の調査員が学校に来たり、面接試験で落ちた人もいて、まあ色々・・・。でも今の学生のように、就職活動に時間をかけなくて済んだ良い時代だった。
ふと思い出した・・・。自分とほとんど会話が無かった親父から、一度だけ「就職するなら電電公社((NTT)にしろ」と言われたことがあった。「いやオレはメーカーに行く」と言った。そう言えば自分の科に電電公社から来た教授がいて、弱電系のトップクラスの連中を電電公社に送り込んでいたっけ。まあ自分には関係ないけど・・・。重電系では成績順に御三家の日立、東芝、三菱・・・。
ふと思い出す。この年の夏のある日、友人の下宿を訪ねたら、この歌のレコードがあった。「ルールールルルー・・・」。由紀さおりの「夜明けのスキャット」だった。そして、由紀さおりがあの童謡歌手の安田章子と聞いて、ヘエーっと思ったもの・・・。(写真はクリックで拡大)
<由紀さおりの「夜明けのスキャット」>
「明けのスキャット」
作詞:山上路夫
作曲:いずみたくルルル・・・・・
ララララ・・・・・愛し合うその時に
この世はとまるの
時のない世界に 二人は行くのよ
夜はながれず 星も消えない
愛の唄ひびくだけ
愛しあう二人の
時計はとまるのよ
時計はとまるの
前年から吹き荒れていた東大紛争。その余波で、とうとうこの年(1969年)の東大と東京教育大学(現筑波大学)の入試が中止された。自分の大学でもストなどがあり、何とも騒がしい年だった。
この年の事件としては、「人類初の月面着陸に成功」、「沖縄72年返還決まる」、「東大安田講堂での学生放水排除」、「マツモトキヨシ市長発案による、松戸市のすぐやる課誕生」、「五百円札の発行」、「パンティストッキングの発売」、「東名高速道路開通(東京-小牧間)」、「週刊ポスト・週刊少年チャンピオン発刊」、「TVで“8時だヨ!全員集合”がスタート」、「NHK FMの本放送開始」、などなど・・・・
この年の歌謡曲は豊作だった。「白いブランコ(ビリー・バンバン)」、「 風(シューベルツ)」、「長崎は今日も雨だった(内山田洋とクールファイブ)」、「時には母のない子のように(カルメン・マキ)」(ここ)、「禁じられた恋(森山良子)」、「夜明けのスキャット(由紀さおり)」、「 港町ブルース(森進一)」、「ある日突然(トワ・エ・モア)」、「フランシーヌの場合(新谷のり子)」、「恋の奴隷(奥村チヨ)」、「昭和ブルース(ブルーベル・シンガーズ)」、「いいじゃないの幸せならば(佐良直美)」、「人形の家(弘田三枝子)」、「悲しみは駈け足でやってくる(アン真理子)」、「愛の化石(浅丘ルリ子)」、「黒ネコのタンゴ(皆川おさむ)」、「白い色は恋人の色(ベッツイ&クリス)」、「空よ(トワ・エモ・ア)」、「今日でお別れ(菅原洋一)」(ここ)等々・・・・
何とか就職も決まり、卒研以外では麻雀などで遊んでいた時期だった。夜は下宿で、相変わらず音楽を聞いていた・・・。当時凝っていた布施明、ブルーコメッツ、マーラーにワーグナー・・。
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コメント
最近は、由紀さおりが出した「1969」というアルバムが世界的に売れているという評判が高いですね!昨日のNHKのクローズアップ現代でもこの話題が取り上げられていましたが、ごらんになりましたか?「1969」には、由紀さおりのこの「夜明けのスキャット」もちろん、石田あゆみの大ヒット曲「ブルーライト横浜」等1969年にヒットした歌謡曲がカバーされているようですね。1969年、私は何をしていただろうか?私は1966年に大学を卒業して就職し、1968年に新しい部署に移り、2年目を迎えました。あのころころの上司、同僚の顔が浮かんできますね。
投稿: KeiichiKoda | 2012年2月22日 (水) 10:09
上のコメントへの追加です。「石田あゆみ」ではなく、ひらがなの「いしだあゆみ」が正しく、「ブルーライト横浜」ではなく、かたかなの「ブルーライト・ヨコハマ」が正しいようです。ところで、エムズの片割れさんの日本の歌の中には、この曲がはいっていないようですが、どうしてでしょうか?また、この年1969年は歌謡曲の豊作だったと書かれていますが、例にあげられた曲の中に、いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」がはいっていないのはどうしてでしょうか?
【エムズの片割れより】
何とも難しい質問で・・・。特に理由はありません。
「ブルーライト・ヨコハマ」も昔良く聞きました。その後、いしだあゆみは大女優に・・・。未だに“細い”というイメージです。
投稿: KeiichiKoda | 2012年2月23日 (木) 10:17
昔、今のTBSラジオで「夜のバラード」という番組がありました。
確か明治製菓の提供で(^^♪チョコレート・チョコレート、チョコレートは明治・・・というCMに続き、オープニングのテーマ曲が流れます。
このテーマ曲が夜明けのスキャットでした。
まだ、レコード化はしてませんでしが、爆発的なヒットソングとなり、いきなり由紀さおりをメジャーに押し上げた記憶があります。
深夜の入り口で貨車の連結器の音が静けさの中で鳴り響きポエムのナレーションが流れる青春時代の良き思い出の番組であり、素晴らしい曲と思います。
アップを頂きありがとうございます。
投稿: 牧山雄男 | 2020年10月15日 (木) 22:16