「ときどき一人の至福」
先日の朝日新聞に載っていた「ひととき」の投書が、何とも“納得”・・・・。曰く・・・
「ときどき一人の至福
退職して夫は8年、私は9年。日々の2人の動きはほぼ定着してきた。
朝の雑用が一段落した8時少し前から30分間ほどかけて、2人で社交ダンスの練習をする。それが終わると、夫は「散歩に行ってきま~す」と2、3時間ほど家からいなくなる。
私は庭仕事に加えて、太極拳などの習い事や買い物へと夫に気をつかわずに出かけまわっているが、至福のときは、たまに夫が観劇などで遠出する日だ。
ルンルン気分で、好物のおかずと缶ビールをお盆にのせて庭へ。遠くの山並みを眺めたり、野鳥のさえずりに耳をすませたりしながらのランチをとる。少しアルコールが入るせいか、身も心も解き放たれる。
その一方で、夫は私と一緒のときが、きっと一番幸せだろうと自負していた。ところが、ある筋から情報を得た。夫の散歩の行き先は、自宅から2キロほど離れた喫茶店。一人コーヒーをすすりながら、至福のときを過ごしているらしい。
人は一人になりたくなる生き物で、そういうひとときが必要なのだ。でも、それは、「ときどき」だからいいのかもしれない。
奥さんを亡くした知人が「一緒にお茶を飲んでいたときが、どんなに幸せだったことか」と回想されていた。互いの自由を認めつつ、ともに過ごすひとときを大切にしていきたい。(神奈川県相模原市 主婦64歳)」(2011/02/23付「朝日新聞」p33より)
この話は実に良く分かる・・・・。
話が飛ぶが、ウチのメイ子(愛犬)。夕食の時は必ず自分の脇に侍(はべ)る。目的は、もらえるキュウリ。つまり、自分がペットと少しでも交流をあたためるために、カミさんが用意する心遣いのキュウリなのだ。メイ子は、自分のそばに座ると必ずキュウリが貰える・・・。だから前足でチョンチョンと「忘れてはしませんか?」とキュウリを要求する。それは慣れたもの・・・
大体は“食い逃げ”をするのだが、たまに逃げないで“ペットの義務”を果たす事がある。つまり、仕方なくコタツに座った自分のあぐらをかいた股の中に、すっぽりと入って撫でられる・・・。
それが終わると、自分は決まって「ヨシ!」と声を掛ける。すると、メイ子はガバッとジャンプして身をひるがえし、自分の懐からサッと逃げ出す。そして身が自由になるとブルブルと身を震わせて「あー“イヤ”だった~!」とわざとらしく・・・(←先日帰ってきた次男が、それを見て、大笑いして喜んでいた・・・。あの笑いは“あざ笑い”か??)
実はウチの夫婦も同じである。夕食後、新聞を読み終わって、いっとき雑談が済むと、カミさんが「解散!」と声を掛ける。すると自分は体をブルブルっと揺すって、2階の自室に退散する。それからが至福のとき・・・
でも本当に至福の時と感じるのはどんな時だろう・・・。カミさんは、録っておいたテレビドラマを見ながら、昼食を食べる時だそうだ・・・。
自分は、前に浜松町に通っていたとき、出社前にチェーンのコーヒー店に寄っていた。そこで、イヤホンで音楽の世界に浸っていたとき・・・。その時が至福の時だった。そして今は・・・?
そう。またいつもと同じ話だが、今は電気を消したベッドの中で、FM放送の“良い音”をイヤホンからの大音響で聞いているときが至福の時・・・。
こんな安いものはない。次から次に出てくる、NHK FMから流れてくる知らないジャンルの音楽群・・・。決して自分では買わないCDだが、音楽の世界は広い・・・、とウツラウツラしながら聞く“高級”FMチューナーからの音。そして、音楽が途切れた瞬間の“無音”の世界・・・。「幸せだな~」と感じるひとときではある。
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コメント
エムズ様
うーん どこの家も似たり寄ったりかな!?
定年退職してから早7年、カミさんの顔を見るのは3度の食事の時、そして午後2時からの健康維持の為の約1時間の二人での散歩位かな。その他は自分の趣味の部屋に殆ど滞在。音楽を聴く、プロジェクターの大画面でのDVD鑑賞、最近始めたPCオーデイオのデーター編集...図書館へ時々行って無料で本を借りて読み漁り...至福の時間も多過ぎると感覚が鈍るので、時間が不足気味の方が幸せなのかも? 贅沢な悩みと怒られそうなので、この辺で...。
【エムズの片割れより】
自分の「サンデー毎日恐怖症」も、このところ(水)休みが始まってみると、意外と行けそうな感じ・・・
人間、だれる方向は直ぐに馴染むようで・・・。トホホ・・
投稿: こひつじ | 2011年2月27日 (日) 23:18