超一流?映画「ヒアアフター」を観る
映画には、やはり一流作品から三流作品まで色々あると思う。今日観てきた「ヒアアフター(来世)」(これ)は、超一流の作品ではないだろうか・・・。 ストーリーが良く分からないままにカミさんと行った。だから観ていて少し筋が混乱した。「ヒア アフター」のオフィシャルサイトを覗いてから観に行けば良かった・・・。(写真はクリックで拡大)
物語は、<ロンドン>の「双子の兄を失った少年」、<パリ>の「死を垣間見た女」、そして<サンフランシスコ>の「死者と繋がる――特別な能力に 苦悩する男」の3つが同時並行的に進行する。そしてその3人がロンドンで相まみえる・・・。(ストーリーについては、あえて書かない)
映画が終わった後、珍しく席を立てなかった。自分の心の中を整理するために??
「この映画は一体何だ?」「この映画をどう捉えたら良いのか・・」「この感動は何だ??」・・・
これはイーストウッド監督の言う「この作品はいろいろな問題提起はするが、答えはないね。答えの探求は観客に委ねられるんだ。観る側は自分自身の人生や、過去の経験や、それらから来る信念に照らし合わせて考えなければならない。・・・」(パンフレットのイーストウッドのインタビューより)の結果かも・・・
ロビーに出て、「パンフレットを買おうかな」と言ったら、カミさんが「珍しいね。買って来たら?」と言うので、珍しく買ってしまった。 そのパンフレットの冒頭の「イントロダクション」を読んで、やっと自分の心の整理が出来た。曰く・・・
「スティーブン・スピルバーグの心を動かした、1本の脚本。それは死に直面することによって、生きることの素晴らしさを見出す3人の男女の物語だ。・・・
死を深く見つめて初めてわかる、今この瞬間を精一杯生きることの素晴らしさ。大切な人を亡くした喪失感と、人とつながることのできない孤独を抱えてきた3人が、手を差し出せば、握り返す人がいる幸せにも気付いていく。・・・」
「死後の世界があるかどうか、真実は誰にも分からない。ただ、人は与えられた人生を精一杯生きるべきだと、僕は常に信じている。」監督クリント・イーストウッド
この映画のテーマは、あくまでも如何に生きるべきか・・・。死を見つめることで、今の生を考える。このスタンスはまさに仏教の考え方そのもの・・・。
カミさんに言わせると「奇をてらっていない映画」。確かに、面白いストーリーでもないし、なぞ解きがある訳でもない。実に淡々とした展開。でも終わってみると不思議な感動・・・
でも、物語が霊能者という特殊な世界の話なので、スピリチュアルなものを頭から信じない人が、この映画をどう感じるかは分からない。まあ自分はそれを信じている方なので・・・
死者とコンタクトできる日本で言う「いたこ」。しかし、世の中には如何にまがい物が多いか。そして真の霊能者は「爪を隠す」・・・。
先日、「また会える「死」の世界」(ここ)という記事を書いた。死後の世界は、正直言って怖い・・
でもこの映画は、死後の世界は決して暗黒ではないと言っている。それは救い・・・。
この映画で描かれる死者とのコンタクト。それは決して後ろ向きではなく、前に進むための会話・・・・。
亡くなった人と何らかのコンタクトを取り、その結果としてそれが前向きに生きるキッカケとなるなら、それも良いのでは・・と思う。<ロンドン>の少年の物語で、そう思った。
それに加え、ラストシーンがあたたかい。今まで住んでいた“過去(死者)の世界との関係”ではなく、主人公達の未来の世界を予見させるあたたかさ・・・。
津波のリアルな映像も特筆に値する素晴らしさだが、真に不思議な感動を呼ぶ映画・・・。(ついでに、来世のシーンは「未知との遭遇」で宇宙人が現れるシーンに似ていた)
自分が超一流の作品だと感じた今日の「ヒアアフター」ではあった。
先日観た3D映画ならではの映像・・・、と言われた「トロン」もつまらなかった。そもそも3Dも飽きた・・。結局自分は、このような奇をてらった映画よりも、今日の作品のようにじっくりと見せる内容の濃い映画をこれからは選ぶような気がする・・・。
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