「国際的リーダー層の供給装置」
先日の日経新聞のコラム「大機小機」に、留学生についての記事があった。曰く・・
「国際的リーダー層の供給装置
日本人留学生の減少を懸念する声が多い。若者の覇気不足のせいにされているが、彼らにとってはリスクとリターンを計算した合理的な行動なのだ。むしろ海外雄飛にインセンティブを与えられない社会の仕組みに問題がある。
明治時代のリーダーは意外なほど海外で研さんを積んでいる。資金と時間を投資するだけのリターンが期待できたからだろう。財界の重鎮・池田成彬、岩崎小弥太はハーバードやケンブリッジを卒業している。党人政治家・星亨はロンドンで国際弁護士の資格まで取った。野口英世、新渡戸稲造の夫人は外国人だから、さらに本格的だ。
敗戦後には、米国へ行けば大きなチャンスをつかめそうだったから、多くの俊秀がフルブライト留学生に応募した。1970~80年代にビジネススクールへの留学生が増えたのは、補助金や雇用保証が付いている企業派遣の留学生が多かったからだ。
一方、日本では早くから「人材の国産化」が始まっている。明治時代にはすべての分野で先進的学問を欧米から輸入していたが、大隈重信は「何としても『学問の独立』が肝要だが、それにはわが国語をもっていかなる幽玄深奥の学理をも究め行くようにせねばならぬ」と考えた。早稲田大学の校歌にある「学の独立」の第一の意義は、母国語で高等教育を行いたいとの願望だったようだ。
必死のキャッチアップの努力の結果、日本はモノづくりでは世界一の水準を達成した。ヒトづくりでも、日本で教育を受けた日本人が日本語で日本人を教える自給自足体制ができあがった。高等教育の教材も一応日本語でそろっているから、外国語上達の必要に迫られない。医者も弁護士も政治家も官僚も経営者も、こうして養成されてきた。それはそれで大成功だった。
ところが、そのうちリーダー志願者は外国語での知的訓練で楽をする分、周りに仲間を集めることに精魂を傾け、おみこしに乗る形で日本社会のボスとなった。しかし、何でも自給自足で済ませられるようになった結果、日本社会は世界の中で最も閉鎖的になっている。
特にリーダー層の生い立ちが国産・自前で完結するのは、これからのグローバルな競争では致命的な弱点になる。世界に向けて自国・自社の立場を自ら主張できる政治家や企業経営者を供給する仕組みが喫緊の課題だ。(パピ)」(2011年1月29日付「日経新聞」「大機小機」より)
日本で、平均以上の良い生活をしたいと思う人は、官僚や一流企業のサラリーマンなどを目指す場合が多い。しかしその道への入り口は、結果として国内の一流大学にしか門戸は開かれていない。つまり、乞われている人材(試験科目)が、国内の一流大学出身者(用)なのだ。
およそ人材ほど、優劣の評価が難しいものはない。同じ人間でも、ある分野の人が評価すると優秀でも、別の分野の人が評価すると劣等生になる。だから人間は、自分を高く評価してくれる所を目指す。就活がまさにそれに対する活動だ。
しかし、ちょっと空想してみよう。例えば高校生の自分の息子の出来が良かったとする。本音は、これからのグローバル時代、できれば米国へ留学させたいと思う。しかし最終的に日本の一流企業に入れようとすると、日本の一流大学に入る必要がある。よって貴重な高校生時代の時間を、留学などでつぶすわけにはいかない。そんなヒマがあったらとにかく受験勉強させるだろう。その勉強が世の中で、今後活きるかどうかなどお構いなく・・
それが日本の現実・・・。日本では、留学してグローバルな人間に育っても、それが組織・日本の先端にはなり得ない・・・。まさに「人材の(閉鎖的)国産化」はその通り。
先日の新聞に富士通の「一芸採用」についての記事があった(ここ)。適性検査なし、志望動機も問わず、おとなしい学生は採りません、という一芸採用。
こんなことが未だに新聞記事になる。それが日本の現状を露呈している。全ては推して知るべし・・。 今朝の日経新聞にも「ユニクロ、新卒8割外国人 来年1050人、海外展開に対応 本社の管理職登用に道」(2011/02/03付「日経新聞」p9より)という記事があった。
日本企業のグローバル化は、まだこんな段階・・・。日本はオタクの国なのだろう・・・。
おっと、先日の記事ではないが、物事は明るく前向きに捉えるんだっけ・・!?(ここ)
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