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2011年1月28日 (金)

「知的障害者―捜査の全面可視化を急げ」

今朝の新聞各紙に、村木さんが「検察の在り方検討会議」に出席した記事が載っていた。朝日新聞には・・・

村木元局長、取り調べ可視化を提言 検察の在り方会議
郵便不正事件で無罪判決が確定した厚生労働省の村木厚子・元局長が27日、事件を受けて法相が設置した「検察の在り方検討会議」(座長・千葉景子元法相)に出席。大阪地検特捜部の取り調べを受けた体験から、「検察の調書がまともなものか担保するために、取り調べの可視化は必要だ」と語った。取り調べの際に弁護士が立ち会うことも認めるべきだと提言した。・・・」(
2011/01/28付「朝日新聞」p33(ここ)より)

一方、先日の同じ朝日新聞の社説に重いテーマの記事が載っていた。知的障害者に対する検事の取り調べについての論である。曰く・・・

知的障害者―捜査の全面可視化を急げ
放火事件でいったん起訴した男性について、大阪地検堺支部は起訴を取り消した。異例のことだ。
公判前に否認に転じた男性の弁護士が、取り調べの様子を記録したDVDの提出を検察に求めた。
そこには、男性が何度も説明に詰まりながら検事の質問をおうむ返しにする様子などが録画されていた。「自白調書」を確認する際に検事が誘導していたことは明らかで、これが取り消しの決め手となった。
男性は昨年1月、職務質問された際にライターを持っており、周辺で相次ぐ不審火を自供したとして大阪府警に逮捕された。
男性には知的障害があった。福祉サービスを受けるための療育手帳を所持しており、捜査官も知っていたが、特段の配慮はみられなかった。
そのため、弁護士が府警と地検に取り調べをすべて録画する全面可視化を求めた。物事をうまく説明できず、質問の意味を理解しないまま容疑を認めるおそれがあると考えたからだ。
ところが府警はこれに応じず、地検も取り調べの最後の場面を録画しただけだった。だから検事の誘導は証明されたが、どの時点で不当な取り調べが始まったかといった点は分からない。
起訴した検事の責任が重いことは言うまでもない。それにしても、決裁した検察幹部がDVDを見なかったのだろうか。郵便不正事件と同様に都合の悪い証拠には目をつぶったのか、それともチェックが甘かったのか。
検察も府警も捜査の経緯を徹底的に検証して公表しなければならない。
取り調べは原則として全過程を録画すべきだ。とりわけ知的障害者の事件は、全面可視化を急ぐ必要がある。
今回のように裁判員裁判の対象事件に限って検察は、一部可視化に取り組んでいる。しかし、窃盗など対象外の事件で調べられる知的障害者も多い。取り調べは密室で行われ、捜査官による誘導を立証するのは難しい。
知的障害者の取り調べには弁護士のほか、本人の障害の特性をよく知る親族や支援者の立ち会いを認めてはどうだろうか。冤罪(えんざい)を防ぐだけではなく、事件の真相を究明するうえでも必要な措置だ。
何より、取り調べにあたる警官や検事が容疑者の知的障害に気づいたら、普段にもまして適正な捜査を心がけるべきである。
障害に対する基本的な知識を身につけるため、捜査関係者を対象に、専門家による研修を進めてもらいたい。
大阪弁護士会は知的障害者の刑事弁護マニュアルをつくり、相談窓口も設けている。参考になる動きだ。
自分を守る能力が弱い知的障害者の捜査では、人権により配慮するのは、当然のことだ。」(
2011年1月25日付「朝日新聞」社説より)

この記事を読みながら、“有り得る”、いや“たくさんあるだろう”と感じ、ゾッとした。
村木さんのような現職の官僚幹部の“健常者”でさえ、このありさま。
まして知的障害者が、怖い警察官や検察官相手に、自分の無実を訴えることなど出来るわけがない。つまり警察に連行されてパニックになり、警察・検察の言いなりになってしまう。そしてオウム返しの供述証書が作られてしまう・・・。そしてその調書“だけ”に基づいての判決・・・
今回はたまたまDVDがあったので異例の展開となった。でも今回の府警のように、幾ら弁護士が録画を求めても、警察が拒否すれば、全ては闇の中に葬られてしまう現実・・・。まさに“怖ろしい”としか、言いようがない。

前に、映画「筆子 その愛」の山田火砂子監督が、「刑務所に入っている人のうち23%が知的障害を持っている人だ」と言っていたことを書いた(ここ)。
確かに、生きるために刑務所に入る人も居るかも知れない。しかし、警察・検察の誘導尋問に乗って、えん罪で服役している人もたくさんいるのかも知れない。
それらの“現実”に対して、日本の社会は、このような社会的弱者を救う手立てをどう取っているのか・・・。事実をキチンと見極める努力をどの程度しているのか・・・・
現状は、「“調書で”本人が有罪と認めている」という型どおりの返答しか得られないのだろう。

検察庁の改革の道筋が未だ見えない。特に可視化の問題が分かり易い。物事は「正」もある反面、必ず「負」の部分もついて回る。屁理屈で、何とでも反対意見が言える。要は、それで“何もしない”のか、それとも少しでも“前進する”のか、である。
先日、検事総長が替わった。検察の現場は未だ危機感が乏しいので、それに対するショック療法だという。これで少しは検察の現場も正気に戻ったのだろうか・・。

繰り返すが、この社説で指摘されていることで一番怖ろしいことは、「療育手帳を所持しており、捜査官も知っていたが、特段の配慮はみられなかった。 」という部分。容疑者がどのような人かを理解しようとせず、“自分のストーリー”に乗せることだけが仕事と割り切っている検察官の姿・・・。まさに言語道断。
もっとも、先の村木さんの記事(ここ)で、「村木さんは逮捕後の取り調べで、担当検事から「私の仕事はあなたの供述を変えさせることだ」と言われてショックを受けた。「たくさんの検事によって『事件に関わった』という調書がなぜ作られたのか。チームで調書が作られたことを大変恐怖に感じた」という。」という部分を読むと、知的障害者の調書など、赤子の手をひねる以上に、たやすいこと。

そして現実は、たかだか“取り調べの可視化”で揉めているという。色々な理由を述べているが、検察・警察組織の保身にしか見えない。世界の例をそのまま導入しても良い。とにかく何かしないと、日本の弱者は、保身という国家権力によって踏みつぶされてしまう。

「検察の在り方検討会議」の議論もあろうが、先ずは交代した検事総長の改革に向けた(現場の保身を押さえる?)リーダーシップに期待したいところだが、どうだろう・・・

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