昭和43年の出来事(21歳)~布施明の「愛の園」
自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの22回目。自分が20歳から21歳、つまり大学2年生から3年生になった昭和43年(1968年)の出来事を調べてみる。
この年、自分は大学3年になった。学校近くの下宿に移り、新しい生活が始まった。夜はも っぱらヘッドホンで音楽を聴いていた。友人から借りたLPレコードをSONYのTC-255というオープンデッキに録音し、繰り返し聞いた。この年と翌年の2年間は、マーラー(ここ)と布施明とブルー・コメッツ、そして森山良子だけ(?)を聞いたように思う。ヘッドホンはSTAXのコンデンサーヘッドホン(イヤスピーカー)SR-3。その後、SR-Xを買ったが、いつ頃買ったのか良く覚えていない。(写真はクリックで拡大)
この年は府中で3億円事件が起きた年。12月10日朝、東芝府中工場のボーナス3億円を 積んだ現金輸送車が、白バイを装った男に奪われた事件で、死傷者無し、犯行時間は3分。結局犯人は捕まらずに時効。何とも歴史に残る名(?)事件となった。
金嬉老事件やメキシコオリンピックもこの年。金嬉老事件では、お陰で寸又峡温泉が“すまたきょう”と読んで貰えるようになった・・。と現地の人が言っていたのを思い出す。
食料品では、インスタントラーメンの「出前一丁」「サッポロ一番みそラーメン」が発売され、「ボンカレー」や「かっぱえびせん」もこの年に発売されたという。どれも現在に続く長寿商品である。
そして7月からは郵便番号制度が実施され、今の携帯電話の流れにつながるポケットベルのサービスも始まった。
全国的に学生運動が激化し、東大安田講堂の占拠などで東大の卒業式が中止、年末には次の年(昭和44年)の東大の入試の中止が発表された。自分の学校でも、授業中止が相次いだ。
東京オリンピックのマラソンの円谷選手が自殺したのもこの年(ここ)。
テレビでは、テレビアニメの「巨人の星」の放送が始まった(ここ)。
映画では「2001年宇宙の旅」。この頃は、“夢の未来”の21世紀だったようだが、もう21世紀も10年も経った。その現実は・・・?
この年のヒット曲としては、「君だけに愛を」(ザ・タイガース)、「伊勢佐木町ブルース」(青江三奈)、「花の首飾り」(タイガース)、「天使の誘惑」(黛ジュン)、「恋の季節」(ピンキーとキラーズ)、「ブルー・ライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)、「好きになった人」(都はるみ)、「愛の園」(布施明)、「今は幸せかい」(佐川満男)(ここ)、「ゆうべの秘密」(小川知子)、「恋のしずく」(伊東ゆかり)(ここ)、「小さな日記」(フォー・セインツ)(ここ)、「知りすぎたのね」(ロス・インディオス)などなど、名曲(否、自分の良く聞いた歌)が目白押し・・・。
中でも、ピンキーとキラーズはその斬新なスタイルで一世を風靡したもの・・・
またまた布施明で恐縮だが、今日は「愛の園」を聞いてみよう。どうしてもこの歌は挙げたいのだ・・・
<布施明の「愛の園」>
「愛の園」
作詞:山上路夫
作曲:平尾昌晃そこには花が 咲いている
愛の花が 咲いている
いくら摘んでも 花はつきない
どこに どこにあるの 愛の園
ふたり ふたりだけの 愛の園そこには夢が あふれてる
愛の夢が あふれてる
眠る二人を 夢がとりまく
君と 君と行こう 愛の園
ふたり ふたりだけの 愛の園そこにはいつも ふたりだけ
愛し合ってる ふたりだけ
ちょうどアダムと イヴのように
君と 君と生きる 愛の園
ふたり ふたりだけの 愛の園
布施明の初期の作品は、自分の学生時代の色々な思い出につながる。「霧の摩周湖」(ここ)、「恋」(ここ)、「愛の園」、「愛のこころ」(ここ)、そして「愛の香り」(ここ)の初期の5曲は、どれも自分の宝の歌だ・・・。
大学の掲示板で家庭教師のバイトを見つけ、3人目を教えた。1年の時も、2年の時もやっていたので、ほぼ4年間やっていたと思う。確か週2回で月に3千円位だったと記憶している。他のバイトはあまりやらなかったが、それでも交通量のカウントなど、懐かしい・・・。どれも金欠病の学生にとっては助かった・・。
旅行はもっぱらユースホステルの利用で、2年の時の北海道を皮切りに、九州、四国、山陽などに行った。小説は山本有三と石川達三に凝ったのを覚えている。
あまり勉強はしなかったが、“天敵”の語学の試験勉強だけはやった。1年のとき、ドイツ語で留年した友人を見て、怖くなっただけ・・。だから、語学だけは授業にも真面目に出た。でも結局英語もドイツ語も身に付かなかったが・・・。
段々と“自分”を意識するようになった年頃であった。
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コメント
エムズ様へ
金嬉老を逮捕した警官が、私の遠い親戚です。ただ一人の郷土で誇れる身内です。
【エムズの片割れより】
そうなんですか・・・。大事件でしたね・・・。
投稿: wolfy | 2011年1月22日 (土) 21:11
昭和43年、高校を卒業し社会に出た年です。特別な年で、なつかしく読ませていただきました。当時の歌はまだ最近のようでもあり、そんな前だったかしらと思ったりします。森山良子さんのコンサートへは何度も行きました。友人は翌年の東大受験ができませんでした。大きな出来事でしたね。
工場は違いますが、東芝に勤めてましたので、当時は大騒ぎでした。
でもいい時代だったと思います
【エムズの片割れより】
そうですか・・・。(府)でないとすると(日)?(青)?それとも(堀)とか(柳)の方かな??
当時とは様変わりですね。
投稿: 雪の華 | 2011年1月22日 (土) 22:29
はじめまして「にほんブログ村」から来ました。
府中3億円事件、私の勤務先の独身寮んも聞き込みがあったそうです。
ちなみに、私は森山良子のフアンでした。日本のジョーン・バエズと言われていた頃が懐かしいです。
【エムズの片割れより】
森山良子は、いまだハツラツと活躍されているのが心強いですね。
投稿: 貧乏稲荷 | 2011年1月23日 (日) 11:40
良い時代でした。
でもフォークルの 悲しくてやりきれない
が当時の自分の心境でした。
タイガースのジュリーが好きでした。
今も好きです
カラオケで当時の歌を唄うと若い頃の感覚が戻るようです
【エムズの片割れより】
そうですね。最近は我々の心情を代弁してくれる歌がない??
投稿: コスモス | 2011年1月24日 (月) 16:56
西城秀樹さんの 愛の園 は 知っていました。布施明さんの この歌 初めて聞きました。音楽同好会(名前検討中
3億円事件 東芝府中工場の社員のボーナスだったんですね? あの当時の3億円という金額は すごいお金ですね。犯人は どういう人生なのだろうか?因果 宿業
法律 警察 ~ 個人情報
事件研究会(名前検討中
【エムズの片割れより】
西城秀樹にも同じ名前の歌があったとは知りませんでした。初めて聞きました。何とも切ないメロディーで、印象に残りますね。
投稿: Gメン☆村石太P | 2011年2月25日 (金) 10:12