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2010年12月29日 (水)

「あした、あした」心の薬

先日「気分一新 自分を元気づける言葉」という記事を書いたが(ここ)、前に同じようなテーマで、スポーツ欄にコラムがあったことを思い出した。探してみたらバックの底から新聞の切り抜きが出てきた・・・。
(実は、通勤電車の中で新聞を読みながら、blogネタとなりそうな記事があると、ビリビリとその部分を破って、カバンにしまうのである。でもほとんどの場合、忘れてそのままになってしまうが・・・・)
曰く・・・

チェンジアップ  豊田泰光
“あした、あした”心の薬
外野フェンスに上り“本塁打”をもぎとった美技が、プロ野球の今季を代表する好プレーと評価され、表彰を受けた広島の天谷宗一郎が、面白いことを言った。
「捕れたからよかったが、もし(目測を誤って)打球が前に落ちていたら、大ひんしゅくだった」。怖いのはケガより、勇んでフェンスに上がって、見当違いに終わったときの恥ずかしさ、とはいかにも日本人らしい。
これがアメリカなら「下手だねえ」とは言われても、必死のプレーということで、責めたり恥じ入ったり、とはならないのではないか。
日本人は恥という感情を成長のバネにしている面があるが、一方で強すぎる恥の感覚により、回復不可能な心の傷を負うこともある。
西武時代から、1度のミスで一生浮かばれなくなった選手を何人もみてきた。あのときの関口清治さん(のちの近鉄監督)も危なかった。西鉄リードの九回2死満塁で、左飛を落球した。走者一掃となり、逆転負け。宿舎で泣いてわびる関口さんに、軍隊帰りの先輩などは「もしいくさであれば、部隊全滅を招くミスだ」という言い方で責めた。
責任感の強い関口さんは本当に死んじゃうんじゃないかと思うくらいふさぎこんでいた。その後関口さんは勝負強い打撃で信頼を取り戻していったが、立ち直れたことの方が不思議なくらいだった。
恥を忘れたら進歩はない。天谷ら若い人が羞恥の感覚を持つのもいいことだ。しかし、それは決して体にいいものではないから、必ず中和剤を用意しておきたい。
我々の時代、恥に対する中和剤となっていたのが「あした、あした・・・」という言葉だった。あしたがある、また取り返せばいいじゃないか、というものだ。言い訳を許さないのが西鉄の強さの根底にあったが、傷の手当ては必要だった。
一匹オオカミだった私をなぐさめてくれる同僚はいなかったから、失策を犯したときは一人つぶやいた。あした、あした、と。自分で言うだけでも結構効き目があるので、それぞれ薬箱に常備しておくといい。(野球評論家)」(2010/12/09付「日経新聞」p41より)

誰でも人生におけるピンチというのを、何度かは体験するもの。しかしその対処法を間違えると、うつ病にもなりかねない。その時のため、自分に言い聞かせる言葉を見付け、それを“心の薬箱に常備しておく”、という発想は面白い。まあ、そんなことができる人は、まずうつ病には罹らないかも知れないが・・・。

自分の人生のピンチは何度位あっただろう。小学校3年生の時に一度あったな・・・。(ここ
それに大学1年の時、30歳の頃、50~54歳の頃にそれぞれあった。詳細は書かないが、まあ結果としてそれらを乗り越えて来たわけだ。還暦を過ぎたこのトシになると、もうそうそうピンチは無かろう。あるとすれば、自分や家族の健康問題だな・・・。

自分の場合、それらのピンチの時に、何かの言葉を思い浮かべただろうか?あまり記憶にない。自分の座右の銘は?「臭いものには蓋」・・・? おっとっと、これは家訓?であって座右の銘ではない。・・・まあこんなものさ・・。

しかしこのコラムを読んで、確かにその時に備えて自分を奮い立たせる言葉をあらかじめ見付けておくことは大事なことだと思う。自分も、これからのピンチに備え、(遅きに失してはいるものの)開き直りの言葉を見付けることにしようか・・・。

(付録)
良く言われる。「引用の文言を良く書くね・・・。時間がかかって大変でしょう」
実は「音声認識 音声入力 ソフト“ドラゴンスピーチ2005”」(これ)というソフトを使っている。
これが結構優れ物で、マイクに向かってしゃべると、WORDに文字がどんどん書かれて行く。一通りしゃべった後、WORDに書かれた文字を修正していく。まあそれが裏舞台なので、どうぞご心配なく・・・

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