「福澤心訓」はウソ・・・
兄貴の事務所の玄関に、開設以来30数年間「福沢諭吉の心訓」なる額が鎮座している。この心訓は、特に兄貴が若い頃から心酔していたもので、事務所の開設祝いにどなたかから頂いた物だという。曰く・・・・(写真はクリックで拡大)
福沢諭吉の「心訓」
一、世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つ事です。
一、世の中で一番みじめな事は人間として教養のない事です。
一、世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です。
一、世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむ事です。
一、世の中で一番尊い事は人の為に奉仕して決して恩に着せない事です。
一、世の中で一番美しい事はすべてのものに愛情をもつ事です。
一、世の中で一番悲しい事はうそをつく事です。
この訓は、自分が知った訓の中で、最も古いものだ。初めて目にしたのは、学生の頃だっただろうか・・。実に分かり易く、戒めにとむ。
ところが・・、だ・・・・。これが福沢諭吉の作というのは真っ赤なウソだという。
慶応大のサイトにはこんな記述が・・・・
[慶應義塾豆百科] No.98 福澤心訓
「世に「福澤心訓」なるものがある。全部で七か条からなり、「一、世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事をもつことである」云々で始まるもので、福澤先生の数多い箴言のなかでも、今日では世人に最も良く知られた言葉となった。ここで述べられているのは、きわめて平易な表現で、しかも現代人にもそう抵抗なく受け容れられる教訓であることから、意外に多くの人々によって語り継がれ、結婚式でのスピーチなどにも、しばしば引用されるようになっているようだ。
けれども残念ながらこの心訓は福澤先生の言葉ではない。どこかの智恵者が勝手に、それもどうやら戦後になってしばらくしてから作り上げ、それをさも先生の発言であるかのように「福澤心訓」などと勿体らしく銘打ったにすぎない真赤な偽作である。
そう思って読むと、この心訓にはなかなか味な表現がある。末尾の一項「一、世の中で一番悲しいことは嘘をつくことである」と。この心訓の作者は、最後に「嘘」をつくことは「世の中で一番悲しいこと」だと、自ら記したのは、皮肉といえば皮肉である。もちろん塾内の福澤関係者もこうした偽作の横行に決して手を拱(こまね)いていたわけではない。『福澤諭吉全集』第20巻の附録で、富田正文が「福澤心訓七則は偽作である」と断定したのをはじめ、新聞、雑誌でこの心訓を福澤の言葉として引用された記述にぶつかるとその都度、筆者にあてて心訓の偽作であることをお知しらせする労をいとわないできたつもりである。一体先人の箴言といったものは、普及させようと努力してもなかなか人口に膾炙しないのが常だが、心訓の場合、「偽作だ」「偽作だ」と声を大にして訴え続けているにも拘わらず、これを福澤先生の言葉として受けとめて座右の銘にまでして下さる奇特な人の方が、偽作だとする関係者の否定をはるかに上廻っているのが現状で、しかもその普及には業者が介在し、立派な額入りにして有料で配布する商魂のたくましさに、いささかお手上げといったところである。だが少なくとも塾生のご父母・塾員諸兄姉にだけは、「福澤心訓」は偽作であることを今一度あらためて指摘しておきたい。よく美術工芸品などで、作者の判然としない作品を「伝何某」とよぶ習慣がある。差し当たり心訓なども「伝福澤」とでもいっておくより仕方がない現状かも知れない。けれどももう一度だけはっきり言っておきたい。「世の中で一番悲しいことは嘘をつくことである」と。」(ここより引用)
【膾炙】(かい‐しゃ)(なますとあぶり肉とが万人に好まれるように)広く世人に好まれ、話題に上って知れわたること。(広辞苑より)
なかなか愉快な解説である。しかしこの慶大のスタンスは「福沢先生の作だなんて“迷惑”・・・」。
確かに、ことの真偽は重要で、著作権も絡んでくる!?? しかし、誰が最初に流布したかは分からないが、それが世に広く受け入れられているということは、誰もが「なるほど・・」と納得している証拠。つまり福沢諭吉の作だと言われて、皆がおかしいと思っていない。
(ここ)によると、「心訓」が作られたのは1967年の頃らしい。先の額が玄関に飾られたのは1983年頃なので、その道では“老舗”という事になる。
しかし「その普及には業者が介在し、立派な額入りにして有料で配布する商魂のたくましさに、いささかお手上げといったところである。」という記述を読むに、この写真は少々恥ずかしい。
しかし40数年前の流布の方法は何だったのか?雑誌?新聞?これらは証拠が見付かっていない。今ならさしずめネット。ネット上で情報(ウワサ)を流布することは、いとも簡単。どんなウソも簡単に流れる。だから読み手の技量(能力)が(だまされないように)試される。しかし、半世紀前だと、相当に信じられる情報でないと途中で挫折して流布されなかっただろう。よって、かなり皆が納得して流れて行ったのだろう。それ故、これは福沢諭吉作(伝)で良いではないか。
妙に、慶応のスタンスの“意固地さ”が気にかかる。
もし“これはエムズ君の作・・”ナンテ流布されたら、内々「光栄だ」と思って、自ら進んで流しちゃうけど・・・。
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コメント
「福澤の心訓」ですが、
わがふるさとJR中津駅の中の
店舗群で数十年前から
「てぬぐい」として販売されております。
もちろん額としても、、、
投稿: ampouie | 2010年10月19日 (火) 00:36
私が福澤諭吉の「心訓」に初めて出会ったのは、小学校低学年の頃でした。とある有名なお寺さんへ家族三世代で初詣にお参りした際、参道のお店の軒先に印刷物として「ご自由にどうぞ」と。父がいたくその内容を気に入り1枚頂戴したのを、もう50年近く前のことですが覚えています。その後額に収めれ、下町の我が家の家訓的存在として飾られていました。その後ご縁があって慶應義塾で学ばせていただき、この心訓が福澤先生の「おさだめ」の考え方を作者不詳で意訳したものに近いということを知りました。初詣という大きな季節に大きなお寺さんの参道で配布されたこと、そのことにより現代のネットのごとく、多くの方々から認知・信頼・信認されたように思います。また、おそらくその店主は福澤先生の生き方に多大な影響を受けた塾生OBだったのではないでしょうか。
【エムズの片割れより】
このような訓は、結構流行っているらしく、居酒屋のトイレで、小便器の前に貼ってあることがありますね。でも、上の心訓はそんな所には貼って欲しくないもの・・
投稿: chinaglove | 2016年7月 9日 (土) 07:49
残念ながら福澤心訓なるものが福澤諭吉の文章である可能性はほぼゼロです。(書かれている内容が立派なことであるかは別として)
試みに福澤の代表作「学問のすすめ」「福翁自伝」の最初の1ページを見ただけであり得ないことが分かると思います。私達は普通部(中学)生の頃から分かっていました。
例えば、キリストの語った新発見の言葉なるものが発表されて、その原文がヘブライ語でもアラム語でもなく日本語だったら、信じる人がいるでしょうか?(ついでにダビンチコードもレオナルドダビンチが英語を話していないと、あのトリックは成立しない…)
内容がいくら立派でも、こんな明らかなニセモノが堂々と流布されて多くの人を騙しているのは残念です。
【エムズの片割れより】
ふと、ベルンハルト・フリース作曲の「モーツァルトの子守歌」を思い出しました。
実際の作曲者が誰であれ、「モーツァルト作曲」で違和感が無かったようです。
しかし、この心訓は、“あり得ない”とのこと。
我々“慶応ではない”者は、諭吉の本性を知らないため、つい信じてしまって・・・
投稿: 慶應太郎 | 2016年12月 5日 (月) 13:44
冷や水を浴びせてしまったようで、何だか申し訳ないような気持になりました。
「モーツァルトの子守唄」で親しんできたのだから(良いじゃないか)… と言えばそんな気もしますが。
せっかくの機会なので、ぜひ福澤諭吉の原文を読んでみてください。 本物の良さを知っていただければ嬉しいな…
福澤諭吉は幕末から明治の人なので、文体も堅苦しい漢文調から口語体に近いものまで様々ですが…
先ず第一に『学問のすすめ』
初編の冒頭部分です:
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。(中略) されども今、広くこの人間世界を見渡すに、賢き人あり愚かなる人あり、貧しきもあり富めるもあり、(中略)その有様、雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。
その次第、甚だ明かなり。『実語教』に「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由て出来るものなり。
(これが明治5年〜1872年)
次に『福翁自伝』の結び:
私の生涯のうちに出来してみたいと思うところは、
全国男女の気品を次第々々に高尚に導いて真実文明の名に愧ずかしくないようにする事と、
仏法にても耶蘇教にてもいずれにしてもよろしい、これを引き立てて多数の民心を和らげるようにする事と、
大いに金を投じて有形無形、高尚なる学理を研究させるようにする事と、 およそこの三カ条です。
(これが明治31年〜1898年)
どちらも私の大好きな一節です。
【エムズの片割れより】
ありがとうございます。
なかなか難しいですね。
それにしても、昔は偉人が多かったですね。
それに引き替え、今、偉人と言える人は居る?
電通では元社長?
いやはや寂しい時代になったものです。
投稿: 慶應太郎 | 2016年12月17日 (土) 18:30