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2010年10月11日 (月)

「システムに頼りすぎるな」~玄侑宗久氏の言葉

今朝の日経新聞「インタビュー領空侵犯」は「システムに頼りすぎるな」という論。芥川賞作家だという玄侑宗久氏の言葉だった。曰く・・・

システムに頼りすぎるな 心を活発に働かせよ
  作家・福聚寺住職 玄侑宗久(げんゆう そうきゅう)
――何でも「システム化」しようとする最近の日本の傾向に批判的だと聞きました。
「そうした動きは私たちの周囲でますます広がってきています。例えば医療の分野では、システム化が進んだ結果、検査データなどに頼りすぎるあまり、患者を目の前にしながら、その顔色ひとつ満足に読み取れないようなお医者さんが増えてきました」
「私に関係が深い分野では、葬祭紹介業も営む流通大手が今年5月に公表したお布施の目安なるものが大変な物議をかましました。これもシステム化の弊害といえるでしょう」
――ただ、目安が欲しい人もいると思いますが。
「お布施は葬儀の際の読経や戒名に対する対価ではありません。定まった価格などがあるはずもなく、百人いれば百通りあるのがお布施の本来の姿です。どうしたらよいのか戸惑う人はいるでしょう。しかし、どうしたらよいのか思い悩むこと自体がとても大切だと思います」
「禅では人間の心が活発に働くことが大事だと考えています。しかし、システム化が進むと、どうしたらよいのかあれこれ思い悩むことがそもそもなくなってしまう。心が死んでしまうのです。社会が変質し、余裕が失われ、人々が逡巡するのを待てなくなってきているせいかもしれません」
――なぜそうなってしまったのでしょう。
「原因の一端は情報システムにあるのかもしれません。私が寺を継いだころ、パソコンに檀家さんの情報を入力し、法事の際にそのデータに基づく話を披露して大変感激されました。しかし、大事でないこと、些末(さまつ)なことは本来忘れる方が自然なのではないでしょうか。ところが、データとしていったん入力すると、何が大事で、何が大事でないのかが分からなくなってしまうのです」
「この夏に騒がれた百歳以上のお年寄りの行方不明も、現場のナマの情報より、数字や文字などのデータ情報を重視しすぎるようになったツケが出たと見ています」
――ではそうした姿勢を改めれば問題は解決すると?
「それはどうでしょうか。システム化の背後には、もともと性善説的な日本には存在しなかった、人間は管理しなければいけないというキリスト教の『性悪説』に傾いた考え方があるからです。そして日本が長年にわたり、西洋とりわけ米国からいろいろなシステムをそのまま輸入をしてきた『無批判なアメリカ化』の結果という面が大きいと思います。私たちはそのおかしさに気づけるかどうか・・・それが問われているのかもしれません」

(聞き手から)
効率性や何かの役に立つだろうかといったことばかり気にする現代人の日常生活。玄侑さんは。日々のそうした心の持ちようが問題だという。そもそも人生には無駄な時間など存在しないのですから――。400年前の梁がまだ残る静謐(せいひつ)な古刹での一言はずっしり身にしみた。(編集委員 館道彦)
~古代中国の法事国家、秦は行きすぎたシステム化で滅びました。」(2010/10/11付「日経新聞」p5「インタビュー領空侵犯」より)

この文章を読むと色々な事が頭をよぎる。お布施の議論は、あまりに建前論の気がする。先日聞いたある人の話。「叔父の時の戒名は、**万円で9文字の立派な戒名を付けてくれたが、義父の時は、**万円でたったの*文字で寂しかった。カネで戒名が決まるのを目の当たりに見た」と言っていた。僧侶の世界は広い。色々な僧侶がいるのが現実・・・。
医者が患者の顔色を見ない、という話はその通り。前に近くの大学付属病院で、初診のとき、紙に症状を書いただけで、大仰な色々な検査に回され、検査結果が出てから初めて医師と面談した。医師にとっては効率が良いのだろうが、検査の必要の有無を、患者の顔も話も聞かないで決めるやり方に、反発を覚えたもの・・。
そうは言っても、自分がデータに左右されている事も現実。どうも理系出身のせいか、カンやフィーリングよりも、ついデータを信用してしまう。
前に突発性難聴になったとき(ここ)、毎回測定する聴力テストのグラフを見たくて、医師のカルテのデータを覗いては、「こんなデータはあまり気にしない!」と叱られたもの・・。でも「**KHzで*dB良くなった」というデータは、自分には実に良く分かるのだが、生身の人間に適用するには、それなりの見方が必要らしい。

話は変わるが、先週FMアンテナを交換してから(ここ)、連日FMチューナーのノイズ量(S/N比)のデータを採っている。昼の時間帯はノイズが少ないが、夜はなぜノイズ量が多い・・??
これは聴感上耳で聞けるのでフィーリングの話ではないが、「雑音を聞いて音楽を聴いていない?」と我ながらちょっと心配になる。

まあのトシになると、“データよりも「カン」が全て”、と思い至ってはいるものの、相変わらずデータに心が左右されている自分ではある。

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