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2010年10月29日 (金)

「おかげさま」の仏教思想(2/6)

雑誌「大法輪」を読んでいたら「日常語に含まれている大切な仏教思想」という記事があり、心に留まった。その全文を6回に亘って読んで行く。今日はその2回目。

「日常語に含まれている大切な仏教思想
     大本山護国寺貫首 岡本永司
私たちが日常使っている言葉の中に深い仏教思想が含まれていることが多くあります。その一端をご紹介させていただきます。
・・・

おかげさま
第二番目は「おかげさま」であります。この言葉もよく使われておりますが、文字通り陰の力、即ち目にはっきり見えない力ということであります。
私たちは生きて行く上で実に様々なご縁や支えによってはじめて生きることが出来ます。はっきりと目に見えることでは家族や同僚、周囲の人々や諸々の物の力を蒙っておることは申すまでもありません。しかしそれらは氷山の一角と言えるほどわずかなことであります。私たちの生命を保つための食物にしても、それを生産している人々のことはほとんどわかりません。それらを運ぶ人々や国のことも知り得ません。また私たちを寒暖から守る衣類にしても、自分が働いたお金で買ったのだと言うかも知れませんが、そこに至るまでの道のりはわかりません。ほんとうに目に見えないところで働いている人や限りない物の力や支えによって生きることが出来るのであると痛感させられます。
そればかりではなく、私たちが生存に不可欠な大地、水、空気等々の大自然の恵みなくしては一日たりとも生きることはできません。更に私たちには人類発生以来綿々と続いている目に見えないいのちがあり、これは先祖代々のお陰をいただいておることになります。そして心の支えとなる諸仏諸菩薩の大威力を蒙っております。つまり私たちがいま生きていられるのは、一人一人がピラミッドの最頂点にいるようなもので、その裾野は限りなく広く深い底辺を持っていると申せます。そのほとんどすべては陰の力であると受け止めれば、自(おの)ずから人や物に対する見方、考え方が仏法で説く報恩謝徳の精神に立脚し生きる方向が定まると思います。」(雑誌「大法輪」2010年11月号p23より)

先日の第1回目が「ありがとう」(ここ)。そして今回が「おかげさま」。つまり“感謝”である。

日々“感謝で暮らす”ということは、確かに理想的な生き方だとは思う。しかし何とその実現の難しいことか・・・。

先日、会社で、各拠点が自分のところの悪さ加減は棚に挙げて、他の部門の非難ばかりする、ということが問題になった。他の部署から受けている支援を「おかげさま」とは捉えず、それらのミスに対して文句を言う口先ばかりがとがっている・・・、と。
確かに人間の原理として、「自分は悪くない」というスタンスは仕方がないこと。でもそこがスタート点だと、何も改善されない。原理的に“自分は悪くない、全ては他が悪い”という事は、“自分は何も悪くないので直すところがない”ということなので直しようがない。
でも、まず自分の悪さを意識するということは、凡人にとっては非常に困難なこと・・・。

でも「おかげさまで」という言葉は、聞いていて清々しい。
手仕事屋きち兵衛さんが、コンサートのトークの中でよく「品の良い老人になろう」と言う(ここ)。人間トシを取るほど、他人の支援が必要になる。その時に「おかげさま」という言葉がどれほど、支援している周囲の人を元気付けるか・・・
ヘソの曲がっている自分など、「おかげさま」は一番苦手な言葉だが、まあ長期戦で少しでもこの言葉が口から出るように努力したいと思う。(のだが、まあムリかな~~?)

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