平成の市町村合併~様変わりの茨城県
先日、カミさんが100円ショップで九州のある県の地図を買ってきた。いやはや立派な地図。今まで本屋で売っていた地図と何も変わらない。ここまで詳細に載っていて100円とはとにかく安い。それで、ついでの時に我が故郷(?)の茨城県の地図を買ってきてくれるように頼んだ。 買ってきた茨城の地図を見てビックリ。聞いたことのない市がたくさんある。自分の昔の“土地カン”は完全にマヒ・・・・(写真はクリックで拡大)
常陸大宮市、那珂市、桜川市、筑西市、小美玉市、行方市、かすみがうら市、板東市、常総市、つくばみらい市、守谷市、稲敷市等々、何だこれは・・・
WIKIを読んでみると、1999年に85あった茨城の市町村は、2010年3月には44まで減ったという。市が+12、町が-38、村が-15。
これは「平成の大合併」といって、2003年から2005年がピークだったという。色々な事情があったのだろう。でも自分が今住んでいる市も、茨城の実家のある市も無風状態だったので、興味がなかった。でもその間に、世の中はどんどん変わっていた・・・。
それにしても何か寂しい。“茨城県人”を卒業してからもう40年も経つので、今更言える資格は無いのだが、でも心はなぜか茨城・・・。
高校野球の記事を見ても、東京よりは茨城の高校の方が馴染み。しかし、昔住んでいた頃は県内のほとんどの高校名は知っていたが、今は分からない。高校の新設とともに、地名そのものが変わり、到底付いて行けない。
潮来や神栖のように、昔の町名がそのまま残っている所は分かり易い。しかし“つくばみらい市”などは、ピンと来ない。それに水海道市が無くなっている。水海道一高の名はそのままか?
まあ40年も前に“去った”自分など、茨城にとっては“過去の人”。それはそれで良いのだが、心情的に何か物寂しい秋・・・・
そうか。この寂しさは、このところ急に秋らしくなったので、季節の影響かもね・・・・
今度は地元の東京の地図を買ってこよう。それにしても、ちょっと油断している間に、世の中は様変わりだ。クワバラクワバラ・・・・
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コメント
しばらくぶりの投稿です。30年ほど前から私も茨城県民ですが、問題の新しい市の名前は、元の名前がわかりやすいものもあるのですが、わかりにくいものもあってピンと来ないものが多いですね。私が住んでいる水戸の近辺の常陸大宮市、那珂市、桜川市などはわかりますが、遠くなると元の名前が推測できなくなります。小見玉市はまだわかります。東京の「大田(区)」が「大森」と「蒲田」から、千葉県習志野市の「津田沼」が「谷津」、「久々田」、「鷺沼」からそれぞれ一文字ずつ取られて作られたのと同じなので。(小川町、美野里町、玉里村が元。)でもそれ以外は難しいですね。高校等の名前は、卒業生にとってはとても愛着があるので、残す必要があると思います。平成の大合併は予算上の特典があったので多かったようですが、合併の弊害もあるのでこれからは慎重にする必要があると思います。
【エムズの片割れより】
いやはや勉強になりました。それで「太田区」ではなくて「大田区」なんですね。「津田沼」も「小見玉」もそうなんですか・・。こちらでは国分寺+立川=国立があります。
でも市の名前から離れた高校の名前は少し寂しいですね。
投稿: 水戸のミッキー | 2010年10月 2日 (土) 15:33