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2010年9月27日 (月)

五木寛之著「親鸞」を読む

何とか五木寛之の「親鸞」を読み終わった。今回は、なぜか読むのに時間が掛かった。この手の小説は難しい・・・。
浄土真宗の開祖としての親鸞については、そのうちに勉強しようと思っていたが、ミーハーの自分は、“小説を読めば少しは分かるかな?”と思って読んだのがこの小説。実に単純な動機・・・。

ウーン。この小説を読み終わっても、何か達成感?がない。大きな謎解きがあるわけでもなく、ドラマがダイナミックに動くわけでもない。テーマがテーマだけに、まあ当然なのではあるが・・・
その中でも、一番表に出ていたのが、法然の専修念仏の教え。念仏を称えさえすれば、悪人でも往生できる。つまり何の悪行をしようとも、念仏という免罪符を持っているので怖くない・・・。今までは悪行をすると、地獄に落ちるというので、それが悪行のブレーキになっていたが、それから解き放たれた・・・? そんな逆説的な人々の危険な考え方に対して、法然、親鸞がそれをどう受けとめていったか・・・。そんな悩みが聞こえて来たような物語・・・。
この小説で描かれている親鸞は、まさに生身の人間。子供のことまでは出てこなかったが、妻帯までの物語はやはりこの小説の中心。親鸞は別に宗派を起こそうとは思っていなかったらしく、越後に流される所で小説は終わるが、親鸞は他の地での布教に心を燃やしていた。

前に、道元や空海の映画をみたことがある。その時も、宗教の開祖という偉人の人物像をどう描くのか、難しさを感じた。この「親鸞」も同じだ。
世に知られたエピソードをちりばめながらも、あまり唐突な行動を描くわけにもいかない。それぞれの宗派が監修をしている事もあり、品位を落とすわけにもいかない。
そんなプレッシャー?の中で書かれた小説や映画は、やはり一般の小説とは一線を画しているように見える。おとなしい・・・・。
西洋の宗教と違って、ダイナミックな史実(?)が乏しい事もあるだろう。色々な史実が分かっていれば、それに基づいて小説として誇張することは出来るだろう。しかし史料もないのに、大きな事件を起こしてあまり盛り上がっても、どうかと思う・・・。

それでは、キリスト教はどうなのだろう。昔の映画で思い出すのはチャールトン・ヘストンの「十戒」。モーゼの生涯を旧約聖書の「エジプト記」に基づいた物語として映画化したもの。そう、キリスト教は聖書という公式な物語伝説があり、エピソードは幾らでも載っている。聖書の言葉そのものが教え。仏教とはだいぶん違う。

小説の対象が宗教の場合、その人の生涯を著者がどう捉えるか。世の中で言われている人物像とは別に、自分なりの人物像を描き、それを表現するために、本人に色々なセリフを言わせる。その言葉の塊が人物になる。架空の人物なら、それが何であれ、読者は納得する。しかし宗祖となると、そう簡単ではない。しかし、それらの目線を意識し過ぎると、Image05221 まったくつまらない作品になってしまう。そのバランス・・・

休筆までして、大学に仏教の勉強に行った五木寛之氏。その筆による親鸞の人物像だが、「圧倒的感動!胸躍る多彩なキャラクター!! 各紙誌絶賛!」という本の帯とは別に、なにか距離を置いて読んだ小説ではあった。

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コメント

北海道から2回目のメールです。この小説は北海道新聞にも連載小説として掲載されて、好評を得、私も興味深く読みました。宗教観は人それぞれにより異なりますから、コメントは致しません。ただこの小説のなかで、梁塵秘抄に詠われ、私の大事にしている語彙があります。ご存知かも知れませんが、ご紹介します。
 ほとけは つねに いませども 
   うつつ ならぬぞ あはれなる
     ひとの おとせぬ あかつきに
   ほのかに ゆめに みえたもう

この今様は、京都の永観堂にもあり、とても印象に残っています。

【エムズの片割れより】
何と博学な・・・・。
確かに宗教観については、人それぞれで解がないため、コメントしても仕方がないですね。

投稿: 北海道の元気爺さん | 2010年9月28日 (火) 22:27

若い僧と遊女の道ならぬ激しい恋、親鸞と子の臨終に至るまで続く深い相克、昔懐かしい、倉田百三「出家とその弟子」を思い出しました。五木「親鸞」と併せて読んでみます。ありがとうございます。

【エムズの片割れより】
僧も人間、理想(教え)の実現は難しいようですね。

投稿: 三山sanzan | 2010年9月29日 (水) 03:24

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