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2010年8月17日 (火)

時代に翻弄された唱歌「お山の杉の子」

NHKハイビジョン特集「日本のいちばん長い夏」(2010年 7月31日放送)を見ていたら、聞き慣れた唱歌「お山の杉の子」が流れてきた。・・・・・と、歌詞が戦時色・・・
この「お山の杉の子」は“小国民文化協会の懸賞募集の入選作品を、審査員だったサトウハチローが補作し、昭和19年11月「小国民文学」で発表した軍事保護院献納小国民歌”だという。(出典:西東社「童謡・唱歌こころの歌」p40」

オリジナルの歌詞は、・・・

「お山の杉の子」
  作詞:吉田テフ子
  補詩:サトウハチロウー
  作曲:佐々木すぐる
(1)
昔 昔の その昔 椎の木林のすぐそばに
小さなお山が あったとさ あったとさ
丸々坊主の 禿山は いつでも みんなの笑いもの
「これこれ杉の子起きなさい」
お日さまにこにこ声かけた 声かけた
(2)
一二三四五六七 八日 九日 十日たち
にょっきり芽が出る 山の上 山の上
小さな杉の子顔出して 「はいはいお陽さま 今日は」
これを眺めた椎の木は
あっははのあっははと 大笑い 大笑い
(3)
「こんなチビ助何になる」 びっくり仰天 杉の子は
おもわずお首を ひっこめた ひっこめた
ひっこめながらも考えた 「何の負けるか いまにみろ」
大きくなって 国
(皆)のため
お役に立ってみせまする みせまする
(4)
ラジオ体操一二三
(ほがらかに) 子供は元気に(で)のびてゆく
(三年五年十年と)
昔々の禿山は 禿山は
今では立派な杉山だ 誉れの家の子のように

              (誰でも感心するような)
強く 大きく 逞しく
椎の木見下ろす大杉だ 大杉だ
(5)
大きな杉は何になる 兵隊さんを運ぶ船

(お舟の帆柱 梯子段)
傷痍の勇士の寝るお家 寝るお家
(とんとん大工さんたてる家 たてる家)
本箱 お机 下駄 足駄 おいしいお弁当たべる箸
鉛筆 筆入れ そのほかに
うれしや まだまだ役に立つ 役の立つ

(たのしや)
(6)
さあさ負けるな 杉の木に 勇士の遺児なら なお強い

(すくすく伸びろよ みなのびろ)
体を鍛え 頑張って 頑張って
(スポーツ忘れず)
今に 立派な兵隊さん 忠義孝行 ひとすじに
(すべてに立派な人となり 正しい生活ひとすじに)
お日さま出る国 神の国
(明るい楽しい このお国)
この日本を護りましょう 護りましょう
(わが日本をつくりましょう つくりましょう)

先の放送では、このうち(1)(3)(6)番を歌っていた。
<オリジナル歌詞の「お山の杉の子」>

戦後、戦意昂揚の歌詞が変えられ国民的な愛唱歌となったが、これらの歌詞が色々ある。

Wikiによると、最初のレコードの発売は昭和19年12月で、歌は安西愛子、加賀美一郎、寿永恵美子、日蓄合唱団だったという。
そして戦後、歌詞を変えて吹き込み直したのがこれ・・・。
(1)~(4)番を歌っている。

「お山の杉の子」安西愛子、川田孝子、伴久美子、杉の子こども会~昭和25年?>

そして、今歌われている歌詞がこれ・・・・

<「お山の杉の子」クラウン少女合唱団>

作詞の吉田テフ子の住んだ徳島県穴喰町は杉山が広がり、彼女の家の山にシイノキがあったという。たぶん、そんな彼女の意志とは関係なく、進駐軍の検閲の許可を得るために改作が繰り返されたようだ。(郡修彦氏著「親子で楽しむ日本の童謡」p130によると、昭和21年末に第一次改作の歌詞による録音が行われたが、進駐軍の検閲不許可により日の目を見なかったとか・・・)

ひょんな事で、「お山の杉の子」を勉強してしまった・・・。誰でも知っているこんな明るい歌にも、こんな戦意昂揚の背景があったとは・・・
今日は、昼に38.5℃もあった。連日猛暑が続いている。そして夏が終盤に近付くにつれ、段々と戦争の番組も少なくなり、戦後65年目が過ぎ去ってゆく。

*ギックリ腰・・・ご心配をおかけしましたが、急速に回復中で、明日一日養生して、8/19から“現役復帰”予定です。これから自分も立派な体験者。一人前に体験談を語るぞ!エッヘン・・??

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コメント

現役復帰、おめでとうございます!連日の猛暑、応えますね。車内冷房から一歩外に出るたびに、その温度差に圧倒されてしまいます。熱風に、くらくらくるっ、てこのこと。歯を食いしばるしかありません。     戦後65年目の猛暑の夏。実体験のない戦争ですが、風化させない、忘れ果てないためにも、「お山の杉の子」歌ってみます。 

【エムズの片割れより】
非常に有名な唱歌にも、色々な“過去”があるようです。なかなか奥が深いですね。

投稿: 三山sanzan | 2010年8月18日 (水) 01:19

「お山の杉の子」、カラオケで歌ってきました。「兵隊さんを運ぶ船」ヴァージョンでした。学生時代、コンパで軍歌や戦時歌を歌っていたのを思い出しました。今から思えば、無自覚もいいところですが、勇壮な歌詞や哀切なメロデイーに惹かれていたのでしょうか。22日には、戦禍を忘れない、という趣旨で、反戦、平和、愛、などに因んだ歌を一人カラオケで9時間ほど歌い続けることにしています。

投稿: 三山sanzan | 2010年8月20日 (金) 05:30

「お山の杉の子」私たちの学校に巡回して来た軍服姿の唄のおじさんは、歌詞3番までしか教えてくれませんでした。戦後、替え歌化された事も知らず、歌う機会は全くありませんでした。私は三年生で終戦を迎えました。国の役に立たず、幼いながら悶々としていた低学年児童への応援歌と捉えていたのです。なつかしい歌です。今でもときどき歌っています。

【エムズの片割れより】
子どもは何でも吸収するので、怖いですよね。今放送している朝ドラでも、何でも素直に受け取る戦時中の子どものことが出て来ますが、教育とは怖いものだと思います。

投稿: 村松 晴信 | 2014年9月18日 (木) 16:56

三池から唐津の母の姉の家に疎開に行かされて居た時毎朝小山の杉の子の歌でラヂオに起こされていたのを懐かしく思い出します

【エムズの片割れより】
歌は、聞いた当時の光景をよみがえらせてくれますよね。

投稿: 倉田明彦 | 2015年7月29日 (水) 17:17

安西愛子さんが亡くなりましたので、お山の杉の子の元歌に勝手ながらLINKさせていただきました。

【エムズの片割れより】
小学校低学年(昭和30年代初め)、自分にとっては「歌のおばさん」でした。その方が、政治家になろうとは・・・

投稿: 春田明郎 | 2017年7月 8日 (土) 11:52

懐かしいなぁと思って聴いてみましたが、こんな背景の下に今の私達の花粉症があるのか…と。ちょっと悲しい

投稿: wakame | 2019年5月 3日 (金) 00:19

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