「先に逝く者は“終活”考えよう」
今朝の朝日新聞の「声」の欄に、「先に逝く者は“終活”考えよう」という投書があった。曰く・・・
「先に逝く者は「終活」考えよう
無職 男性(66)
「就活」「婚活」などの言葉は、広く社会に定着した感があります。
「終活」とは、自分の人生の終わりに備える活動の略。人生のエンディングを自分らしく迎えるために、生前から考え、準備することです。
・・・先日のテレビでも、生前から葬式のあり方を考える、最近の家族の様子を伝えていました。
あの世に向かって生きていく年齢になる私たちは、葬式は生きているうちから心掛け準備すべきものです。「先に逝く者は残る子どもを煩わせてはならない」。考えに考え抜いて、私は「終活」を始めました。・・・・」(2010/08/18付「朝日新聞」p12より)
先日NHKで「もしも明日…家族の葬式をする事になったら」(2010年8月13日放送これ)という番組を見た。(この投書で書いている番組も同じだと思う)
ある主婦が、闘病の末に亡くなった夫の葬儀について、エスカレータ式に事が進んでいくことに疑問を持ち、家族葬を行うまでをドラマで描いていた。
確かに茫然自失の家族にとって、分からない事だらけの葬儀は、プロに任せるのが一般的。しかしそこには規格化された効率的な面と、番組にもあったが「人気があるのは・・」という業者のお勧め(都合)が存在している。そこを素人が見定めるのは容易ではない。
しかし、家族葬派、直葬派に最近寝返った自分が、改めて思ったのは、葬儀は残された人のケジメのため、という原則論。それは幾らリタイア後とはいえ、一気に周知してケジメを付けるという意味で、最低限は必要なセレモニーかも知れない、ということ。番組では、家族葬にして、知人たちに周知しなかったので、ポツリポツリと参拝者が訪れ、悲しみがかえって長引いた、と言っていた。
当blogでも、下の関連記事にあるように、葬式、遺書などの“エンディング”については度々考えてきた。しかし今回の番組を見て、自分が今までと違ったのは、この投書と同じく、“エンディングノート”なるものを、そろそろ書き出そうかな・・・と思ったこと。
それで本屋に行った時に探してみた。すると“エンディングノート”のコーナーがあった。数種類が並んでいる。しかし手にして思った。何か違う・・・・。結婚に至る思い出話や、残す言葉など、全てが手書きだ。しかも、何か項目が違う・・・。これは使えない、と即断。
自分の思っていたのは、まさに「先に逝く者は残る子ども(妻)を煩わせてはならない」という一点だけ。つまり情報の一元化、集約化。
それで自分の結論は、「USBメモリーを一つ買ってこよう」だった。
残しておくべき情報は、銀行等の各種パスワード、財産目録、家族では分からない趣味部分の財産の処分についての希望、・・・等々で、いわばデジタル的(無機質)な情報。
これにはUSBメモリーが一番。WordやExcelのファイルで残しておけば、幾らでも更新が出来るし、メモリーを保管しておく場所さえ伝えておけばそれで事が足りる。
まあ個人用パソコンを調べれば、幾らでも情報は出てくるが、他人がパソコンを見るのはなかなか大変。よって“まとめ”を電子情報として独立してどこかに置いておけば、それを見れば誰でも分かる・・・
前にも書いたが、遺書を書く気は無いので、そのメモリーに情緒的な情報はない。だからパスワードも不要だろう・・。いやいやパスワードでのロックは必要か?でも、せっかくの情報が、パスワードが分からなくて無駄になるのもつまらないしな・・・。
しかし先のTV番組でも言っていたが、こんな話を自由に話せるのも、皆が健康なうち。一旦誰かが病気になったら、とてもこんな話は出来ない。よって、今のうちに「必要な情報は、USBメモリーに入れておくからな」と伝えておく事にしよう。
さて、問題はそれをいつ作るか・・・・。こんどディスカウントで安くメモリーを売っていたら買って作る事にでもしようか・・。よって自分の場合、時期は未定である・・・・
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