NHK「吉永小百合 被爆65年の広島・長崎」より~原爆詩の朗読
前に、「吉永小百合が朗読する“人間をかえせ”」(ここ)や、「“原爆詩集”を読んで」(ここ)という記事を書いたが、先日NHKで放送された番組「吉永小百合 被爆65年の広島・長崎」(2010/08/06放送)(これ)では、2010年7月9日に開かれた「平和の絆コンサート」の原爆詩の朗読の模様とともに、吉永さんの原爆にちなむ場所の訪問などが丁寧に紹介されていた。(再放送:[BS2]8/16(月) 後8:00-9:30)
良く知られているように、吉永小百合さんは長い間、ボランティアで原爆詩の朗読会を行っている。これを始めたキッカケが番組の中で紹介されていた。それによると、昭和60年の映画「夢千代日記」の最後で夢千代が亡くなる・・・。それを演じたことが、吉永さんに後悔として残ったという。この人だけは生きていて欲しいと願う人が死ぬ。懸命に生きている被爆者の方々につらい思いをさせてしまった・・・。
それから原爆詩と出会い、昭和61年2月22日に初めて朗読の会を開催し、それ以来24年続いているという。
この番組の中で、前にも紹介した「生ましめんかな」という詩を(ここ)、吉永さんが朗読していた。
<吉永小百合さん朗読の「生ましめんかな」>
「生ましめんかな」
栗原貞子
こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク一本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の臭い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声がきこえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です、私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己(おの)が命捨つとも
吉永さんの朗読は、何とも心に沁みる・・・。この詩は事実で、その時に生まれた女性もこの会場に来ており、また番組の中では本人への吉永さんのインタビューもあった。(写真はクリックで拡大~写真はNHKの番組から)
そして、同じく吉永さんが朗読した、大平数子さんの「慟哭」という詩も良かった。
<吉永小百合さん朗読の大平数子作「慟哭」>
アルビノーニの「アダージョ」の音楽(ここ)とともに流れる詩・・・・。実にマッチしている。
それに詩の中の「しょうじよう、やすしよう」という子供の名前を呼ぶフレーズが何とも切ない・・・。
明日は、長崎の65回目の原爆の日。共にかつての原爆の悲劇を、もう一度思い起こそうではないか・・・。
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コメント
私もこの番組途中から見ました。お盆が近づくと毎年恒例のように、原爆と戦争の番組が出てくるので、またかと思いながらもつい引き込まれてみてしまいます。つい先ほど見たシベリア抑留兵達の分裂・・・という内容もよかったです。共産主義の思想に染まったものから日本に返してやると言われ、帰ったら今度は、赤化した者に仕事はやらんと言われとても辛く苦労されたとのことです。エムズさん、見ておられましたらこの番組も、取り上げてください。
【エムズの片割れより】
昨夜のシベリア抑留兵の番組も録画してありますので、これから見ます。戦争物の番組は、時間が経っていますので、新しい視点からの番組作成が求められているのかも・・。そうでなければ、視聴者を惹きつけられない??
投稿: み~こ | 2010年8月 9日 (月) 00:45