布施明と小椋佳の「傾いた道しるべ」
布施明の「傾いた道しるべ」は1975年(昭和50年)10月25日発売だという。
その半年前の4月に発売された「シクラメンのかほり」と同じく、小椋佳の作品である。
八王子駅北口から正面の道を数分行ったところにダイエー八王子店がある。その脇の道 路の交差点(写真)。この歌を聴くと、なぜかこの場所の光景を思い浮かべる。(写真はクリックで拡大)
昔、独身の頃、会社の寮の仲間と一緒によく八王子に繰り出したものだ。この歌を聴くとなぜこの場所を思い出すのか・・・。たぶん、LP「布施明 ベ スト・アルバム 傾いた道しるべ」を買ったのがこの時だったのだろう。LPのメモに昭和50年12月14日購入、とある。
何度も書いているように、自分が布施明を聞き始めたのは「恋」という歌から。つまり昭和42年。一方小椋佳を聞き始めたのが昭和49年。まさにこの「傾いた道しるべ」も、自分にとっては好きな両者のコラボなのである。
旋律がまず優先する自分の耳には、「シクラメンのかほり」よりもこの「傾いた道しるべ」の方が、なぜかフィットした。少し聴いてみよう。
<布施明の「傾いた道しるべ」>
「傾いた道しるべ」
作詞/作曲:小椋 佳幸せの中で
つきあたりを見ることはありませんか
訪ねくるゆらめきは 秋の旅人
光をぬけて わきたつ まきかぜ
心の中の三叉路で
傾いた道しるべ
君の愛がささえています幸せのはずが
まゆを寄せてほほづえをついているのは
めぐりくるゆらめきか 冬の足音
誰にでもある一人のためいき
心の中の三叉路で
傾いた道しるべ
君の愛がささえています幸せの中で
つきあたりを見ることはありませんか
あー 三叉路ばかりの
あー道しるべもない 僕の道を
君も歩いてくれるのですね
過去数十年間、漫然と聞いていた「傾いた道しるべ」・・・。今こうしてゆっくりと歌詞を眺めてみる・・・。(何度も書いているように、自分はほとんど歌詞を気にしないで聴いているので、今改めて歌詞を見つめることで、人生でこの歌を“二度楽しむ”ことが出来るのだ・・・)
キーワードは「心の中の三叉路」・・・。
人生には色々な分岐点があるが、今思い出してみると、この時期、自分にとっても大きな転機の時期であったように思う。もちろん当時はそんなことには気付いていなかったし、この歌の歌詞を意識したこともない。でもその時の状況とこの歌詞の内容が、何かマッチしている・・。当時の“三叉路”に、今頃ドキッとしている自分・・・・。何とも時代遅れだ。
還暦を過ぎると何となく自分の人生を振り返る・・・。自分の人生の三叉路で、その選択はどうだったのだろう・・・。結果として後悔の選択は無かった(と思う)のだが・・・。これからも三叉路に出くわすことは当然ある。でもこのトシになると、そうそう迷わない。
35年前の、迷える自分をフト思い出させる歌である。
(付録)
小椋佳は他の歌手に提供した楽曲を、自分でも良く歌っているが、この「傾いた道しるべ」は聞いたことがない。それで小椋佳が歌ったCDがあるのか調べてみたら、あった。それで、レンタルCDで初めて聞いた。小椋佳の歌をじっと耳を澄まして聞くのだが、シンプルな伴奏のアレンジがあまりにも“現代的”で自分にはどうも・・・
<小椋佳の「傾いた道しるべ」>
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コメント
次女がうまれた年の歌です。
とてもとても惹かれた歌です。
平凡な日常でこの歌を聴いてはドラマを夢想していました。ヒロインはりんご。
投稿: りんご | 2015年3月22日 (日) 22:00
傾いた道しるべ
私の人生にも幾度となくつきあたりのない三叉路がありました。今の選択が良かったのか悪かったのか。それは永遠にわからないとおもいます。いまでも思い出すめくめく恋のおもい、あの人がご存命ならすでに喜寿の年、50年前の思い出ですが、いまでもあの人に会いたい
二度と戻ることのできない人生です。
今を一生懸命歩いていきます。少しでも人のためになるように。
【エムズの片割れより】
人生には何度も三叉路がありますが、戻らないことですよね。すべて最善の道だったと思って・・・
ウチのカミさんは、それが徹底していて、どんな時代にも、二度と戻りたくないんだそうです。考え方ですね・・
投稿: 立石 勝 | 2015年10月28日 (水) 02:39