映画「告白」を観る
映画「告白」を観た(これ)。「娘は事故死ではありません。このクラスの生徒に殺されたんです。警察に訴えても、少年法に守られた犯人はたぶん保護観察処分・・・。あなた方は人を殺しても罪に問われない。でも、このままでは終わりにはできない。」
前からカミさんが貰ってきたチラシを前に、見に行こうという話はあった。でもなかなかカミさんが行こうと言わない。(自分一人では映画には行かないのである)
それが、友達から「いい映画だ」と言われて、俄然見に行く気になった・・。(自分に劣らずミーハーなのである)(写真はクリックで拡大)
観た感想をひとことで言うと○。“良い映画か?”と問われると「いい映画」とか「悪い映画」と言うには、何かが違う・・・・。
つまり、自分が今まで観てきた映画のジャンルとは違う気がする。スジが面白いとか、ハラハラするとか、そんな受け止め方とは明らかに違う。
スジ的には、最初から松たか子(森口先生)の幼い娘を殺した犯人は分かっている。でも最初から犯人が分かっているドラマ、“コロンボ”とは明らかに違う。そして、別に特別な種明かしがあるわけでもない。強いて言うと、松たか子(森口先生)の復讐の方法が種明かしかも知れないが・・・
最初から最後まで、松たか子の“すごみ”が画面にあふれる・・。他のカワイイ系の女優ではこうは行かない。そして、自分の子どもを殺された復讐が着実に実行されて行く・・・
テーマは、「少年法に守られた中学生の殺人犯」。少年法の理不尽・・・・。その壁を、子を奪われて怖いもの無しになった松たか子が一人挑む・・・
この構図は「光市母子殺害事件」と同じだ。この事件でも残された夫は、少年法に守られた判決を聞いて、その直後の記者会見で夫は、「司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。私がこの手で殺します」と言った。(ここ)
画面に品(?)はない。血しぶきが飛び散る人殺しの場面が多い。そして物語の背景として、携帯の時代、Netの時代が色濃く映し出される。それに最初の場面から“イヤ”になる。先生が話をしていても誰も聞いていない。給食の牛乳パックが教室内を飛び交い、イジメの連続。
しかしそれを淡々と受け入れる教師たち・・。今の中学校は、これが現実なのだろうか?
この映画を別の視点で捉えると、劇場で観た方が良い映画だと思った。
劇場での映画鑑賞には、色々な楽しみ方がある。3Dに代表されるような劇場ならでは・・・の、音響を含めた大迫力など・・・。この映画は、そんな迫力とは別世界だが、TVで“ながら”的に観るような映画ではない。映画館で、その世界に浸って(埋没して)観るべき映画のような気がした。
最後に、この映画を観て思ったことふたつ。
1)高校の頃、学校の先生になろうかと思ったことがあった。でも先生にならなくて本当に良かった・・・。この映画が現在の教室の実態とすると、あまりに悲惨・・。教師は並の人間では務まらない・・・。
2)江戸時代の「仇討ち制度」の復活は出来ないものか・・? Netを検索するとこんな記述があった。「江戸時代は,国は被害者の思うようにはこまごまと何もしてくれない代わり,その仕返しとして被害者の身内が加害者を『殺してよい』仇討ちの決まりが認められていた。」(ここ)
今度の参議院選。どこかの党が「少年法を廃し、江戸時代の『仇討免状』の復活の法制化推進・・・」とかいうマニフェストを掲げたら、自分は文句なく投票するのだが・・・・
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コメント
エムズの片割れ様へ
私は日本で最後にあだ討ちされた人物と同じ名前ですが、エムズ様の意見に賛同します。
投稿: wolfy | 2010年6月27日 (日) 11:06