縄文時代の平均寿命は14.6歳
雑誌「大法輪」の今月号の特集は「死」(ここ)。縁起でもない話題だが、実に広範囲の視点から「死」を論じていてなかなか面白い。そこからの話題・・・
「日本の平均寿命の歴史
・・・縄文時代の平均寿命について小林和正教授が縄文人骨を分析した結果、平均寿命は14.6歳と推定している。鎌倉時代の平均寿命については、平田和明教授らが鎌倉市由比ヶ浜南遺跡から出土した人骨を分析して、24歳と推定している。江戸時代の平均寿命は農村の過去帳調査の報告によると、男が36.8歳、女子が26.5歳であり、深川で発掘された骨から推測した江戸時代後期の平均寿命は男が45.5歳、女が40.6歳であった。江戸時代では男女の平均寿命は男性が女性より長かった。出産での死が多かったことも影響しているのだろう。
明治になると、明治4年(1871年)に「検戸の法」の制定により戸籍がつくられ、さらに明治7年に医制が交付され、明治9年から全国で死亡数、死因の調査を行い、衛生統計が取られるようになると、それをもとに生命表が造られ、平均寿命が計算された。明治24年から31年(1891~1898)の平均寿命は男42.8歳、女44.3歳である。大正10年から14年(1921~1925)の平均寿命は男42.06歳、女43.20歳である。
その後、昭和10年(1935)まで平均寿命は徐々に伸びたが、戦時中に低下し、昭和20年の男23.9歳、女37.5歳と最低になった。そして昭和22年に男女とも50歳代になる。初めて人生50年になったのだ。昭和26年には60台に入り、昭和46年に70歳を超えた。昭和59年女性の平均寿命は80.18歳と80代に入ったが、男性は74.54歳であった。平成20年(2008)の平均寿命は男が79.29歳、女は86.05歳である。なお世界の平均寿命は男性が66歳、女性が68歳で、日本女性は世界1位、男性が2位である。(酒井シヅ)」 (「大法輪」2010年7月号p109より)
縄文時代の平均寿命が14.6歳というのは、子どもの死亡率の影響なのだろう。赤ん坊の死亡率が、平均寿命に大きく詠唱することは、分かっているが、この当時は子どもはなかなか育たなかったのだろう・・・・。しかし、江戸時代の農村の女子が26歳とは短い。男と10歳も違う。それだけ出産が大変だったということか? しかし戦争直後の昭和20年の男23.9歳というのは哀れ・・・。男は皆戦地で死んで行った・・・・
生物学的に、“生む性”が強くなければならないのは分かる。しかし、それは生命力であって、発言力とは違う。なのに、近代の女性の強さは何だ?“生む性”以上に、ありとあらゆる点で女性が強い・・。(大きな声では言えないが、ウチのカミさんがとうとう“自分一人で都会のマンションに引っ越す”と言い出しやがった・・。都会に住みたければ、自分が死んでから・・・、という話が転けた・・・?)
このパワーの源はどこか・・・。少子高齢化の日本。もともと神が生むためのパワーとして与えたもうものが、それに活かされないで、あふれ出ている(?)・・・、と考えるとなぜか自分は納得・・・・
誰か“神”に聞いてきてくれないか? 「現状の強い女性は、神の“当初設計図”と合っていますか?それとも設計ミスですか?」・・・と。
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