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2010年5月 2日 (日)

お祖母ちゃんのお墓で、お祖母ちゃんへの手紙を焼いた

4月30日と5月1日の2日で、新潟に旅行してきた。目的はカミさんのおばあちゃんの墓参り。カミさんの母方の故郷は新潟県五ヶ浜。家はもう無い。もちろん知り合いもいない。しかし先祖代々のお墓だけはある。(写真はクリックで拡大)
P10700361 そのうち一度行ってみたいね、という話だけはあったが、行く機会がなかった。それがひょんな事で、5月連休にどこにも行かないのも寂しい、という話になり、行ってみることになった。新幹線で新潟まで行き、そこからレP10701711 ンタカー。場所は最近新潟市に合併された五ヶ浜という海岸沿いの小さな集落。新潟市内から車で小一時間。海岸線にある尾根の裏側に数十の集落が広がる。そこにお寺がひとつ。浄土真宗の明楽寺という。

カーナビがお寺まで連れて行ってくれる。しかし新潟は道路が整備されている。田んぼの真ん中を農道が走る。制限速度が50Kの(高速)農道だ。また市内は有料道路と見まがうばかりの“ハイウェイ”・・・。
五ヶ浜に着く。集落に歩いている人はいない。案の定、お寺の住職も住んでいないらしい。シーンとした境内。墓地にタヌキが歩いているのにはビックP10700241 リ。お寺に銅像を見つける。これはお祖母ちゃんの父親、つまりカミさんの曾おじいちゃんの銅像だという。昭和の初期、漁師だった曾お祖父ちゃんは徳のあった人で、それで銅像が建てられたという。しかし今は、台座の銘板も外れ、名前を示すものは何も無かった。
それからお祖母ちゃんのお墓を探すのが一苦労。ほとんどの墓が、同じ名字なのだ。それほど大きな墓地ではないので、順番に見ていったら、やっとカミさんが見つけた。銅像の曾お祖父ちゃんの名前を見つけたのだ。予想に反してお祖母ちゃんの名前は無かった。「**家先祖代々」という墓だった。“昭和15年10月**建之”とある。
P10700291 お墓は荒れ放題。カミさんは20年前にお袋さんと一緒に、まだ小さかった子供を連れて一度来たことがある。子孫は全て関東にいるため、たぶん墓参りに来ることはないのだろう。だからもしかするとその時以来の20年ぶりの墓参りかも知れない・・・。
今日は、途中で店が見つからなかったため、お線香もお花も用意していない。明日出直すことにして帰りかけたとき“村人発見”。「この辺でお花屋さんはありますか?」。あるわけがない。だいたい店が一軒もないのだから・・・。
状況は分かった。明日、掃除道具を一式持って来よう・・・。

次の日、掃除道具を持って来た。昨日と同じか、タヌキが今日はお寺の庭を堂々と歩いてP10701651 いた。お墓の掃除。落ち葉を掃き、墓石の苔を落とす。何とかキレイになったので、(浄土真宗だけど)般若心経を二人で唱える。そしてカミさんが持って来た「お祖母ちゃんへの手紙」を焼いた。
新潟に行く話になったとき、自分が「せっかく行くのだからお祖母ちゃんへP10701581 の手紙を書いてお墓で焼いたら?」と言ったら、カミさんがその案に乗った。お祖母ちゃんが亡くなったのは、子供が3~5歳の頃だったろうか。もう30年近くも前のことだ。
焼く前に“お祖母ちゃんへの手紙”を読ませてもらった。カミさんは、亡くなってから30年間の出来事を報告していた。その後の両親のこと、子供が育ったこと、そして自分が小さかった頃、お祖母ちゃんに可愛がってもらったことのお礼・・・。
カミさんは、小さい時に、誰からもあまり可愛がってもらった記憶がないという。しかし、子供の時にお祖母ちゃんと一緒に撮った写真を見た友人から、「こんなにキレイな服を着て写真館で撮るのは、可愛がっていた証拠」と言われ、それで自分がお祖母ちゃんに可愛がられていたのだと、今更ながら気が付いたのだという。しかし、まるでそこにいるかのように、お祖母ちゃんに語りかける手紙。まさに我々が生きてきたこの30年間の報告だ。
それらの出来事を一緒に思い出し、読んでいてなぜか涙を誘う・・・・

たぶんもう二度と来られないだろう新潟のお墓。何かの歌で、“お墓には誰もいない”と歌われていたっけ。でも、昔の人を偲ぶ場所はお墓しかない・・。
お祖母ちゃんが、この手紙を読んで喜んでくれたかどうかは分からない。でもカミさんは念願が叶ったという。
まさに命連綿・・・。時は流れていく・・・。過去の人間を忘れ去りながら・・・・。
しかし、死んでから数十年後、一人でも一瞬でも良い、自分を思い出してくれる人がいるかどうかは、生前の行いによる。お祖母ちゃんは、唯一カミさんを可愛がってくれた存在だったという。だから何時までもその心に生き続ける・・・。

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コメント

ご無沙汰です。
今日はいい話を読ませていただきました。

私も父方は隣町出身です。
が、父が新しく墓地を買っていますので。
そこへは年に3回はおまいりします。(一寸遠いので)

ところが、妻は三重県から来ています。
仕事の関係で結婚以来37年義母は亡くなって
20年。1年に1度里帰りをするのがやっとです。

最近は5月に帰るようにしています。
今月末に鳥羽の旅館を予約して、
お墓参りにいこうと思っています。

これからも薀蓄あるお話を期待しています。

投稿: 兼太郎 | 2010年5月 2日 (日) 19:20

兼太郎さん

そうですか・・。新潟ですか・・
しかしどこも遠いですね・・。
しかし墓参りも義務と思うと、益々遠い・・・。
でも将来、自分のお墓に義務以外で来てくれる人がいるとも思えないのが、ツライところです。

投稿: エムズの片割れ | 2010年5月 2日 (日) 23:03

多分、片割れさん?のかみさん、の従弟です。
お墓の写真から見て、間違いないと思いますが、子供の頃何度か夏休みを一緒に過ごした記憶があります。

あのお墓は、毎年お盆前に私の父親の弟の息子(まあ私から見て従弟)がお掃除をしながらお参りしています。
私は仕事の関係で毎年お盆が過ぎてからのお参りです。

私の父親は次男ですので本来父の兄がお盆様のお迎えに行くべきかと思いますが、おじとその長男はやはり仕事の都合上大体6月にお参りするようです。
やはり、厳しい日本海の秋から冬を過ごしたお墓は、だいぶ荒れていた事かと思いますが、けして忘れられている訳ではありません。
一族が皆関東に生活している実状から言って将来的に御先祖とどう折り合いを着けて行くかは、これから私たちの世代が真剣に考えていかなければならない時が迫ってきたな、と考えてながら訪れたお墓でしたが、自分の子供たちに五ヵ浜を説明するため、ネットで検索していたらこのブログに出合いました。
これも、ある意味、御先祖様のお導き?かと思い、コメント入れさせていただきます。
奥さまにも宜しくお伝え頂ければ、ありがたいです。

【エムズの片割れより】
いやはやビックリです。これも仏さまのご縁でしょうか・・・
遠いのにお参りに行かれているとか、知らない事とはいえ、大変に失礼しました。
しかしどの家庭でも同じですが、遠いお墓の扱いは、これからの世代の共通の問題ですね。でも例え行かれなくても、故人を思い出してさえいれば、それが供養になるのかも・・・。
今回は“ビックリ”するコメントをありがとうございました。

投稿: toshgya | 2010年9月 8日 (水) 13:21

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