「おひとりさまの葬儀・お墓」
何度か当サイトに書いているが、自分は結婚推進派である。その理由は、結婚によって真の人生が経験出来ると思うから・・・。でも所詮人間はひとりで死んで行く存在。結局は一人なのだが、それを否が応でも現実問題として認識させられるのが、自分が死ぬ時の葬儀・お墓の問題。
世にいわゆる「おひとりさま」は多い。今は夫婦が健在でも、一緒に死ぬ事はあり得ないので、結局はおひとりさま・・・。
その“おひとりさま”の葬儀・お墓問題を取り上げた記事があった。雑誌「大法輪」の2010年5月号の記事である。曰く・・・・
「おひとりさまの葬儀・お墓
第一生命経済研究所 小谷みどり
・・・一人暮らし高齢者が65歳以上人口に占める割合は、男性が9.7%、女性が19.0%で、高齢男性の約10人に1人、高齢女性の約5人に1人が一人暮らしをしていることになる。・・・・
子供がいても、頼れない、頼りたくないと考える人は増えているが、生涯未婚のおひとりさまには、そもそも自分の死後を託する家族はいない。葬儀の担い手になるべき人が身近にいないという問題に直面しているのだ。・・・・
一方、子どもはいるが、子どもと離れて暮らすおひとりさまについては、葬儀をどこでするのかという問題がある。参列者のことを考えれば、親が住んでいた地域で葬儀をするのがいいが、子どもは近隣住民と面識がない場合が少なくないので、勝手が分からない。とはいえ、子どもの居住地で葬儀を出すと、親を知っている近隣住民がほとんどいない。その結果、どちらの地域でするにせよ、身内を中心としたこぢんまりした葬儀になることが少なくないのだ。
次に、お墓の問題を考えてみたい。日本のお墓は「○○家の墓」が一般的だが、こうした「○○家の墓」は、子々孫々での継承を前提としている。民法897条では、系譜、祭具及びお墓を継承する人(これを祭祀継承者という)を慣習に従って定めるとしているが、必ずしも苗字が一緒であったり、親族関係があったりする必要はない。事実婚であっても継承できるうえ、祭祀財産は相続財産ではないので、継承者は相続人である必要もない。
しかし実際には、「長男がお墓を守る」という旧来の価値観が、私たちの中に根強く存在していることも確かだ。たとえば、「娘しかいないので、将来は無縁墓になる」と誤解している人が少なくないのも、こうした意識があるからだろう。
さて、生涯未婚のおひとりさま(及びおひとりさま予備軍である子どものいない夫婦)の場合、死後、お墓を継承する子供がいないので、お墓が無縁化する可能性が極めて高い。一方、子供がいる死別・離別のおひとりさまの場合、継承者はいても、子供や子孫が離れた地域にあるお墓をいつまできちんと維持していけるのか、確証はない。「離れて暮らす子供たちにお墓で負担をかけたくない」と考える高齢者も少なくない。
これはおひとりさまに限った問題ではなく、人口の地域間流動が激しくなり、「生まれ育った土地で結婚し、一生を終える」という人生モデルが主流ではなくなった昨今、特に過疎化が進む地域では、お参りのない荒れた墓の増加が大きな問題となっている。
核家族化が進み、一緒に生活したことのない祖父母の墓を、血縁というつながりだけで、どこまで子孫が守り続けていけるのかという問題もあるし、長男長女の結婚により、複数のお墓を抱える家庭も今後、増加する。
こうしたことから、血縁を超えた人たちで入る「合葬墓」や、継承を前提としない「永代供養墓」への社会的関心が、おひとりさまを中心に高まっている。
寺院が運営するこうしたお墓のなかには、本人の生前申し込みを前提とし、合同供養や勉強会、サークルなどを通じて、同じ墓に入る人たちでの仲間作りを支援するところもある。最近では、自治体でも、市民であれば入る権利のある合葬式の納骨堂を建てる動きが加速している。
また、戦争によって婚期を逸した独身女性たちのグループ「女の碑の会」の納骨堂「志縁廟」(京都)、女性ひとりの老後を応援するNPO法人「SSSネットワーク」の共同墓(東京)のように、おひとりさま仲間で死後も一緒に、というコンセプトで建てられる共同墓もある。
・・・これらはすべて、死から死後までの一連の作業を誰に託するのかという問題につながる。・・・
政府は平成19年に「高齢者等が一人でも安心して暮らせるコミュニティづくり推進会議」を開催した。その報告書では、単身高齢者や高齢夫婦世帯の急増で、孤立生活はもはや特別な生活形態ではないと指摘し、人の尊厳を傷つけるような悲惨な「孤立死」が発生しないようにする必要があると提言している。・・・・
元気なときには自立した生き方を貫いてきた人が、介護や死など人の手を借りなければならない場面がやってきたとき、家族以外の誰がサポートするのか。少子化、核家族化に加え、ライフスタイルの多様化が進展する我が国では、決しておひとりさまだけの問題ではないことを私たちは思い知る必要がある。」(「大法輪」2010年5月号p122より)
前にNHKテレビで「無縁社会~“無縁死”3万2千人の衝撃~」(これ)という番組があった。孤立死を取り上げたショッキングな内容だった。しかし、決してこれらが我々と無関係ではないという現実を、我々に突きつけた優れた番組だった。
否応なしに近づいてくるそれらの“現実”。「まだまだ先の話さ・・」とうそぶいているものの、そのうちに必ず限界が来る。何かをキッカケとして、このような“臭い物”にも目を向ける事が必要なようだ。
5月の連休に、カミさんの母方の故郷に墓参りに行ってきた(ここ)。新潟のとある集落。先祖代々の墓はあったが、その子孫が移り住んだ関東からはあまりに遠く、簡単に墓参りなど望むべくもない。
この雑誌の記事を思い出して、「○○家代々」という概念が崩れている現代社会で、故郷のお墓をどう捉えるべきか、考えてしまった。
何?我が家・・・?
“臭い物にはふた”がスタンスの我が家でも、このテーマだけは良く話題になる。まあ家族内で日常の会話が多ければ、イザと言う時の準備は日常の会話を通して段々と出来上がってくるもの・・・。我が家でも、そうなったらこうなるだろう・・・、が何となく分かるから、もう少し先延ばしをしても良かろう・・・
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