昭和39年の出来事(17歳)~青山和子の「愛と死をみつめて」
自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの18回目。自分が16歳から17歳、つまり高校1年生から2年生になった昭和39年(1964年)の出来事を調べてみる。
この年は、東京オリンピックと「愛と死をみつめて」の年? 東京オリンピックについては、前に書いた(ここ)。
この年の出来事を調べてみると、大きな出来事が多かった。まず4月8日から「ミロのビー ナス展」が開かれた。もちろん自分は見に行っていないが、記憶にある。6月16日午後1時1分、新潟大地震。(自分は茨城だったが)高校2年の昼休み直後の教室・・・。その時の大きな揺れを今でも覚えている。9月30日には義宮が結婚され、「常陸宮」となる。そして10月1日に、オリンピック開催を控えて、東海道新幹線が開通した。夢の超特急の実現である。続く10月10日~10月24日に「東京オリンピック」が開かれた。戦後日本を脱する大きなイベント。そして12月から朝日新聞に三浦綾子の「氷点」が連載された(1964年12月1日~1965年11月14日)。2年後の1966年にはテレビドラマ化され、大きな話題となった(ここ)。(写真はクリックで拡大)
この年に流行った歌謡曲は、「ああ上野駅」(井沢八郎)、「ウナ・セラ・ディ東京」(ザ・ピーナッツ)、「幸せなら手をたたこう」(坂本九)、「愛と死をみつめて」(青山和子)、「夜明けのうた」(岸洋子)、「アンコ椿は恋の花」(都はるみ)、「学生時代」(ベギー葉山)、「柔」(美空ひばり)・・・と、まさに百花繚乱。今でも聴かれている曲が多い。
今日はその中から昭和39年7月発売で、この年のレコード大賞を受賞した青山和子の「愛と死をみつめて」を聞いてみよう。言うまでもなく、「愛と死をみつめて」(河野実・大島みち子著)とは、顔の軟骨肉腫に冒され1963年8月に他界した女子大生・大島みち子と、その恋人との間に交わされた書簡集で、この年のベストセラーである。
<青山和子の「愛と死をみつめて」>
「愛と死をみつめて」
作詞:大矢弘子
作曲:土田啓四郎
まこ
甘えてばかりで ごめんネ
みこはとってもしあわせなの
はかないいのちと しった日に
意地悪いって 泣いたとき
涙をふいて くれた まこまこ
わがままいって ごめんネ
みこはほんとにうれしかったの
たとえその瞳は 見えずとも
ふたりでゆめみた 信濃路を
せおって歩くと いった まこまこ
げんきになれずに ごめんネ
みこはもっと生きたかったの
たとえこの身は 召されても
二人の愛は 永遠に咲く
みこのいのちを いきて まこ
高校2年のこの年の自分は、まさに受験勉強だけ・・・・。全国の生徒たちは、それぞれオリンピックの見学に行った(はず・・)。少なくても一生に一度の(?)経験のため・・・。しかし受験校の自分の高校は、もちろん行くはずもなく、体育の時間のテレビ観戦だけ。でも体育館にポツンと置かれたテレビを見に行く人は少なく、皆教室で自習していたように思う。
いちばん思い出が多い時期、大いなる“青春”が何も無いまま過ぎて行く・・・・(思い出す光景は、ただ図書館での勉強・・・。遠くに座っている数少ない女子高生も“勉強中”・・・・←ああ、つまんない)
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コメント
片割れ様へ
この年より私は専売公社の「64」を愛煙し始めました。図書館の隅にいた憧れの君は、
同窓会誌に「どなたか○○さんの消息をご存知の方はお知らせ下さい。」と指名手配になっていました。
【エムズの片割れより】
そうですか・・・。当方の高校の図書館で勉強していた“憧れの君”の消息は・・・・。色々多かったので分かりません!!
投稿: wolfy | 2010年5月29日 (土) 07:45
エムズの片割れ様
愛と死をみつめて
青山和子さんの唄と映画ドラマも
1964年版ミコ(吉永小百合)、マコ(浜田光夫)2006年版ミコ(広末涼子)マコ(草薙剛)両方拝見しました。書簡集も読んでみた。
壮絶な死への闘いと、死に逝く自分を見つめる苦しさに身の引き咲かれる思いがした、もちろんマコへの感謝のために......
Y、Yより
【エムズの片割れより】
2006年版というのもあったんですか・・
しかし、残った男性はその後結婚し・・・という話を聞いて何か割り切れなかった・・・。でも今考えると当然ですよね。
投稿: yuji yokozeki | 2010年5月29日 (土) 11:23
エムズの片割れ様
私も同感です。
当事者(ミコ 大島みち子様)の立場から考えるとどうでしょうか?いずれにしろ当時はすごいインパクトでした。現在はインターネットとメール社会ですが心情を吐露する手段は日記と手紙による通信手段が真実の姿でないかと思いますが如何でしょうか? y、yより
【エムズの片割れより】
メールで「憧れの君」に直送出来る現代は、何とも味気ないものですよね。
結論も直ぐに出てしまうし・・・。つまらない・・・
投稿: yuji yokozeki | 2010年5月30日 (日) 11:36
同志社に進んで学生運動にオルグされた4回生の先輩が大島みちこさんのお兄さんと親友だったことから、このお話は時々聴かされていてとてもショックでした。学年は私が2年下でしたが同じキャンパスで学生時代の一瞬を過ごしたという思いが、この歌を聴くと未だにこみ上げてきます。テレビドラマでな大空真弓さんが演じていましたね!手紙でのやり取りが切ないですね!!
【エムズの片割れより】
当時、話題になりましたよね。
その男が、後に別の女性と結婚したと聞いて、ケシカランと怒ったりして・・・
投稿: ゆく | 2014年7月16日 (水) 18:42
『愛と死をみつめて』は確か1964年の初めラジオドラマで知りました。まだベストセラーになる前でした。配役は、この年の秋に放送されたTVドラマと同じでマコ役が山本学、ミコ役が大空真弓でした。ラジオドラマを聴いてから本を買い、さらに『若きいのちの日記』も読んでむしろ『若きいのちの日記』の方に感動しました。
実は青山和子の歌は私には不満というか腹が立ちました。作詞者には男にすがって生きる女が可愛いという女性観があってあのような詞になったのでしょうが、大島みち子さんはそういう人では無かったしむしろ河野実よりずっと大人だったと思いますから。
【エムズの片割れより】
自分は、“マコ”が5年ほどで別の女性と結婚したことを知って、「そんなものか・・・」と思ったのを覚えています。
投稿: 片島諒 | 2015年1月25日 (日) 10:12
5年ほどで別の女性と結婚したことを知って・・
書こうと思ったのですがやめていました。
「ぼくどうして涙がでるの」伊藤文学・紀子 昭和40年1月
「限りある日を愛に生きて」草薙実・紀子 昭和49年3月
「愛すれどいのち哀しく」草薙実・紀子 昭和49年10月
3冊の本が手元にあります。
「ぼくどうして涙がでるの」はふるさとにいた頃でテレビドラマも観ていました。
紀子さんが亡くなられて間なしに再婚された、
と母が教えてくれて なんじゃらホイ! でした。
https://www.youtube.com/watch?v=RtRnCrU1wOk
【エムズの片割れより】
同じような話が他にもあるのですね。
投稿: なち | 2015年1月27日 (火) 09:51
テレビドラマを観たのは昭和42年の
「限りある日を愛に生きて」でした。
投稿: なち | 2015年1月27日 (火) 11:02