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2010年4月22日 (木)

西島三重子の「池上線」の駅は「池上駅」~話は事実

前に「チェウニと西島三重子の「池上線」」という記事を書いた(ここ)。この歌のモデルになっている池上線の駅の名が「旗の台駅」ではないかという情報を頂いた(ここ)。理由は、詩にあるフラワーショップが、現在はケンタッキーに変わっているという事。(写真はクリックで拡大)
100422ikegamisen2_2 乗りかかった船(?)なので、教えて頂いた交通新聞社発行の「鉄子の部屋」という雑誌を調べてみた。そうしたら、あった。作詞家の佐藤順英さんのインタビュー記事が載っていた。曰く・・・
「―― 舞台は池上駅だったんですね。歌に出てくるフルーツショップなども実際にあるんですか?
佐藤 今はもうなくなって、ケンタッキーフライドチキンに変わっています。
・・・・・
佐藤 ほんとにあったことだからね。・・・だって今どき、白いハンカチを握り締めたりしないでしょ?でもこれは実話。そんなにずーっと話すこともないので、黙って立ってるってのも実話。池上線は駅と駅の間隔が短いからいくつ駅を過ぎたか、すぐわかんなくなっちゃう。だから「ごめん」ってあやまったりしていた。
・・・・・・
佐藤 ・・・それもあって、「歌の舞台はどの駅ですか?」って聞かれても、今までは教えてあげなかったんです。心のなかにある駅です。なんて答えてね。」(交通新聞社発行「鉄子の部屋」p26より)
(詳細のPDFはここ
モデルになった駅は「旗の台駅」ではないか、とのことだが、この談話を読む限り、モデルは、どうも「池上駅」らしい。そしてここに描かれている情景は、作詞者の実体験だという事も分かった。

せっかくなので、改めて色々な「池上線」を聞いてみよう。
自分の好きなチェウニのシングル盤は(ここ)で聞いた。今日はアルバムバージョンを聞いてみよう。編曲はほとんど似ているものの、違う・・・。違いが分かるかな??

<チェウニの「池上線」アルバム盤>


「池上線」
  作詞:佐藤順英
  作曲:西島三重子

1)古い電車のドアのそば
 二人は黙って立っていた
 話す言葉を捜しながら
 すきま風に震えて
 いくつ駅を過ぎたのか
 忘れてあなたに聞いたのに
 じっと私を見つめながら
 ごめんねなんて言ったわ
 泣いてはダメだと胸にきかせて
 白いハンカチを握りしめたの
 池上線が走る町に
 あなたは二度と来ないのね
 池上線に揺られながら
 今日も帰る私なの

2)終電時刻を確かめて
 あなたは私と駅を出た
 角のフルーツショップだけが
 灯りともす夜更けに
 商店街を通り抜け
 踏切り渡ったときだわね
 待っていますとつぶやいたら
 突然抱いてくれたわ
 あとからあとから涙あふれて
 うしろ姿さえ見えなかったの
 池上線が走る町に
 あなたは二度と来ないのね
 池上線に揺られながら
 今日も帰る私なの

次にオリジナルの西島三重子である。1987年盤と1994年の録音とがある。(追:2009年盤と2015年盤もある)

<西島三重子の「池上線」~1987年盤>

<西島三重子の「池上線」~1994年盤>

<西島三重子の「池上線」~2009年盤>

「鉄子の部屋」の記事によると、「西島三重子を皮切りに森昌子、高山厳など十数人によって歌われ続け、80万枚を売り上げた」とある。そのうち、高山厳を聞いてみよう。

<高山厳の「池上線」>

自分が持っている音源の残るは、ザンというグループ。ついでに(失礼!)これも聞いてみよう。

<ザンの「池上線」>

森昌子も歌っている事を知った。YouTubeで聞いてみたが、音は悪いものの、森昌子には合っている歌のように思う。そのうち音源を手に入れよう。

ひょんな事で、「池上線(その2)」を書いてしまった。それだけ、自分の思い入れが大きい歌だということだ。

池上線の「池上駅」は行ったことがない。乗りかかった船で、この歌詞に添って、現状風景の写真でも紹介出来ればよいが、行く機会がない。まあそのうちね・・・
今日は、前の記事と合わせて、当サイト最高の6つの種類の音源を紹介してしまった。

(2010/07/01追加)
今日は会社の創立記念日で午後半ドンだったので、池上駅に“現場検証”に行ってきた。その写真がこれ・・・。
「古い電車のドアのそば・・・すきま風に震えて・・・」「あなたは私と駅を出た・・」「角のフルーツショップ・・・(今はケンタッキー)」「商店街を通り抜け・・・」「踏切り渡ったときだわね・・・」の現場!?~もちろん電車はすきま風など入らない・・・・(写真はクリックで拡大)

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(2012/04/19追)
鈴木さんから、「池上線」の記事が朝日新聞の「歌の旅人」に載っていた、と教えて頂いた(ここ)。調べると2008年4月19日付の記事らしい。しかし、今更新聞は手に入らない。でも幸いにもこの記事は単行本化されている。・・・という訳で、単行本でこの歌の背景を読んだ。
何と、上の写真の“踏切を渡った”住宅街に、作詞の佐藤さんが振られたという女性が今も住んでいるとのこと。そこを記者が取材している・・・。まあこんな事を書いている自分も“追っかけ”だが、記者に突然訪問された女性もさぞ迷惑だった!?
経緯は先の鈴木さんのコメントに詳しいので、書かないが、でもこんな歌で、今も生き続けている青春も、また楽しからずや・・・!?
朝日新聞の「歌の旅人」に載っていた「池上線」の記事のpdfはここ)。

(関連記事)
チェウニと西島三重子の「池上線」 
森昌子の「池上線」 

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コメント

はじめまして。
感謝、感激。「池上線」今後を楽しみにしております。
西島三重子、昔、埼玉浦和でのコンサートに行きました。
ところで、恐る恐るおたずねしますが、どこの駅
だったんでしょうか?
旗の台駅?記事を見ますと池上駅?
グーグルの地図ストリートビューで池上駅を見ますと、駅前にケンタッキーが写っています。
近くに大きい病院がありますね。
野暮なおたずねでしたらごめんなさい。


投稿: 風来親爺 | 2010年4月24日 (土) 20:55

風来親爺さん

コメントありがとうございます。
前の「チェウニと西島三重子の「池上線」」という記事のコメントで、“ばぁーば”さんからの情報によると、候補は「旗の台駅」ではないか、との事。
まあ色々と想像するのも楽しいかも?
ただ、作詞者が“フルーツショップが今はケンタッキー”と言っているので、、“ばぁーば”さんのいう「旗の台駅」かも??

投稿: エムズの片割れ | 2010年4月24日 (土) 23:33

エムズの片割れ様へ
私も昭和40年代の前半池上線沿線に住んでいました。戸越銀座の商店街でのアルバイト旗の台駅前の屋台の焼き鳥屋洗足池の図書館など懐かしい思い出です。池上線は首都圏では稀な情緒を持っていた路線だと思っております。

投稿: wolfy | 2010年4月25日 (日) 19:44

風来親爺さん

ご指摘により自分の記事を全面修正しました。確かに作詞者は、このインタビュー記事で「池上駅」を否定していません。つまりモデルは「池上駅」となります。
自分は「モデルは旗の台駅」との先入観があったので、勘違いしました。スミマセン・・・

========
ばぁーば さん

「池上駅」が候補らしいです。出来たら現場で(?)ご確認を!
==========
wolfyさん

土地勘がお有りのようですので、犯人捜しに参加しませんか?(笑)

投稿: エムズの片割れ | 2010年4月26日 (月) 13:32

エムズの片割れ様
変えられたのですね。
そのままでも良いなと思っていましたが。
いつか、ウオークマン(エムズの片割れ様の購入
記を参考に、初めて買いました。)を持って電車
に乗りたいと思っています。

投稿: 風来親爺 | 2010年4月26日 (月) 15:12

風来親爺様 エムズの片割れ様

有難うございました。
残念でした池上駅でしたか・・・思い出しました駅前に総合病院とケンタッキーがおる事を・・・でもこの答えをもらうまでのドキドキ ワクワクは まるでラブレターの返事を待つ様な胸がときめく楽しい時間でした。お陰様でスッキリしました。(60になっても胸がときめく事もあると知りました)
菩提寺が池上本門寺に有るのに ここ数年車で往来していたので池上駅に降りる機会が有りませんでした 池上線でお墓参りをしていたら気がついたかも知れませんね
近いうちに池上線にゆられながらお墓参りに出かけてみようと思っています。
桜の時期が過ぎてしまったのが残念ですが ゆっくり散歩しながら 池上名物の「くずもち」をかって帰りましょう 改めて「池上線」いいですね・・そして私の思い込み 勘違いに協力して下さったエムズ様 風来親爺様に感謝いたします。
今日はなぜか寝付かれなくなってしまいました。

投稿: ばぁーば | 2010年4月28日 (水) 03:17

ばぁーば さん

Googleのストリ-トビューで見ると、まさに池上駅を降りて角のフラワーショップ(ケンタッキー)を左に曲がって商店街を抜けて、左を見ると踏切。Netで現場を確認することが出来ますね。

投稿: エムズの片割れ | 2010年4月28日 (水) 22:07

エムズの片割れ様

はい、そうですね
30年前からすると駅前もずいぶん開発されましたが 駅前商店街はそのまま残っています。池上線沿線はまだまだローカル色が色濃く残った街並みが多く下町のようです。
今は歌詞の中で「踏切渡った時」の部分に気が移り 蒲田ではなくて五反田行きに乗ったんだ・・・なんて(笑)何を考えているのか?
このサイトに出会えたおかげで本当に楽しい時間が持てました。有難うございました。
実はチェウ二トは浅からぬ因縁(?)が有りまして 日本でのデビュー前から知っておりました。先日は私の作ったトッポキを食べてもらいましたが (美味しい)との事でしたので又作ろうかなと思っているところです。
チェウ二の歌は池上線に限らず全曲聞いていますが本当に上手だと思います。エムズ様のお陰で改めて気ずきました。

投稿: ばぁーば | 2010年4月29日 (木) 11:56

ばぁーばさん

チェウニさんと不思議なご縁があるとか・・
実は自分もチェウニが大好きで、アルバムCDは3枚持っています。何とも品のある歌声が好きです。

投稿: エムズの片割れ | 2010年5月 2日 (日) 22:33

“現場検証”の写真ありがとうございました。
今までも頭の中でいろいろと歌詞を想像して思いを巡らせていたのですが,これでイメージが沸きました!(^_^)!。
これからも続稿を楽しみにしています。

【エムズの片割れより】
自分はチェウニを聞いてからこの歌にぞっこん惚れてしまいました・・・。まあ自分の体験の中にこんな情景が無かったせいかも知れませんがね・・・。

投稿: sizuhati | 2010年7月 3日 (土) 06:54

エムズの片割れ様

現場検証の写真拝見しました 暑い中ご苦労様でした 初めて乗った池上線はいかがでしたか?当時の芋虫電車と違い近代的な電車になりました 私も先日久しぶりに池上線に揺られて池上本門寺にお墓参りに行って来ました エムズの片割れ様の写真どうりに歌詞を実感しながら歩き 少し遠回りしてお墓参りをしましたでも暑かった(笑)
少し前youtubeで西嶋さんが池上本門寺から(池上線)を歌う中継を見て更に納得です 私の思い込みからご足労かけてしまった様で申し訳御座いませんでした 
先月61歳になりましたが 改めて(池上線)を聞きながら遠い青春時代を思い出す今日この頃です

【エムズの片割れより】
歌詞が事実だと知って現場検証するのは、なかなか面白いもの。しかし当時の町並みはありませんが・・・
自分が行った時も暑かった。その印象しか残っておりません。

投稿: ばぁーば | 2010年8月 8日 (日) 13:38

実は、この歌は以前から気になっていました。
父の実家が池上で、駅前の大きな病院で僕は生まれました。今は、総合病院ですが、以前は個人所有の島田病院でした。

今は、遠く離れて暮らしていますが、たまたま職場に実家が池上という同僚がいて、確認をしたところ、確かにケンタッキーの前は、フルーツショップだったそうです・・・

【エムズの片割れより】
やはりそうでしたか・・・。地元の人が言うので間違いはありませんね。

投稿: 池上生まれ。 | 2010年11月 8日 (月) 22:05

エムズの片割れ様へ
 
 ご無沙汰しております。

皆様、池上線周辺の話題で盛り上がっておられるのですが、そのことを全く共有できない私でも(東京はほとんど知りません)、この曲は、大好きなよく歌うもののひとつです。

一般的に、古い曲の詞は、叙情的・抽象的な言葉で書かれているのですが、最近のは??この曲の詞のように、ごく具体的な場所・物・行為などが表現されることが多いように思われます。何故か小生は、古い詞の形にのみ心ひかれる傾向にあるのです。

約25年ほど前のことでしょうか。大阪のミナミのスナックによく通っていたことがあります。そこで僕よりは 5、6才下の方とよく出会いました。その彼の持ち歌が 池上線 だったのです。一度も話もせず、何度か歌われるのを聞かせていただいただけですがーーー
 実にいい歌でした。経験からなのか、場所との関係があるのか、ほんとうに上手なうえに深み・趣のある歌でした。

最初は、言葉の新しさ??から、へそ曲がりの小生のこと、背を向けていたのですがーーーーー

時が経ち、そのスナックにも行かなくなった頃から、無性に彼の池上線が頭に残り、自分でも歌う曲になってしまいました。

人と人との接点、その機微、その周りを彩る風物・風景として  どこにでもあったもの・あるものと感じております。

ある曲を好きになるきっかけはーーー
  可笑しいほどいろいろあるものです。

【エムズの片割れより】
まあ歌の歌詞のウラを取ることなど、まさに邪道ですよね。情緒がなくなる・・・。でも何故かこの歌だけは、歌われている情景が目に浮かぶだけ、確かめてみたくなりました。

投稿: 能勢の赤ひげ | 2010年11月28日 (日) 13:51

今から、50年前近く、池上駅から都心近くの高校に通学していました。駅の改札口のまん前にフルーツショップがあり、店に入ってカキ氷を食べた記憶がありますね。残念ながら相手は男性でしたけど。商店街を通り過ぎても、踏み切りはありません。踏み切りは
駅のすぐそばですね。でもあの当時の池上線の電車は内装は木製で、窓枠も木でしたね。
確かに冬は寒かったですね。懐かしいかぎりです。

【エムズの片割れより】
そうですか・・・。池上駅の体験者でしたか・・。
しかし、自分と縁のある場所が歌われているとは羨ましい・・。当八王子が歌われている曲は見つかりません・・。

投稿: 中野 勝 | 2011年8月 2日 (火) 19:50

この曲については、朝日新聞が毎週土曜日に付ける「Be on Saturday」のなかの「歌の旅人」に紹介されました。確か、このシリーズの第1号だったように記憶しています(数年前です)。作詞者(佐藤さん)が金融の勉強で海外に留学している間に彼女は寂しさで熱が冷めていって、それに気付いて慌てて留学先から戻ってきたが遅かった。その帰りに作詞し、知人の西島さんに作曲して貰った。ヒットしたLP盤をもって会いに行くが、もう修復できなかった。失意のなかで山形に帰り喫茶店をやっているが、彼女が就職した電機メーカーの製品は絶対買わなかった、という。いま彼女は家庭を持って子供が大人になり、この歌が自分を歌っていることを告げたという。取材した記者のこの記事に感動しました。

【エムズの片割れより】
貴重な情報をありがとうございます。調べてみたら、「池上線」は、2008年4月19日の朝日新聞「歌の旅人」 に載っている事が分かりました。早速読んでみようと、記事を手配しました。読んだらまた報告します。

投稿: 鈴木 隆 | 2012年4月17日 (火) 18:08

鈴木隆様
朝日新聞を取っているのにこの記事には気付きませんでした。意外でした。佐藤氏が彼女に振られたのですね。今まで僕は、女性が男性に振られた歌のように思ってました。佐藤氏が立場を逆にして歌詞にしたのでしょうか。

【エムズの片割れより】
朝日新聞の(pdf) を、追加でアップしましたので、読んでみて下さい。

投稿: 山下仁平 | 2012年4月21日 (土) 21:59

関東では有名な歌だそうですが、関西ではまったく知られていません。エムズ氏とはほぼ同年齢の(22年8月生まれ)私ですが、同世代でもそうでなくても、の不思議な歌です。

情緒的な歌詞とメロディ、なつかしい日々を思い出しました

【エムズの片割れより】
そうですか・・・。関西ではあまり知られていませんか・・
地方によって、人気の度合いは色々なのですね・・・。特に、ある意味“ご当地ソング”は・・・(もっとも、この歌がご当地ソングだとは思っていませんでしたが・・・)

投稿: やまとさくら | 2013年1月 2日 (水) 14:52

エムズの片割れ様
西島三重子の「池上線」の駅は池上駅だったようですね。
池上線自体が東京周辺の方々でも何処にある路線なのか、知らない方もいらっしゃるのではないでしょうか。
自分も、この曲は、蒲田出身の子が川崎へと流れてきて、小さいスナック初出勤の夜に涙を流しながら歌ってくれたのが最初でした。
自分が遊びほおけている時間に、病弱のお母さんが死んでしまったので、それから10年経っても悔いても悔いきれないという涙でした。池上線はその子にとって池上線沿いに生まれ育った自分ともう戻ってこない母親の歌だったようです。
沿線の人達の固有の人生と共に「池上線」は残っていく曲なのではないかと存じます。
自分も、その後、西島三重子のCDで色んな曲を聴きました。彼女の透き通るきれいな声は、聴くものの心に留まり続けますね。

【エムズの片割れより】
チェウニの歌で、この歌の良さが再認識されたようで、西島三重子時代からこの歌のファンでしたので、良かったです。

投稿: 群青 | 2014年5月24日 (土) 14:52

池上線 乗っている人はおだやかで華美でなくつつましい感じでどことなく沿線には昭和の香りがしました。本門寺へつづく道にあるお店も古くて小さな店が多く感じよかったです。今回初めてたづねましたが、新宿渋谷より年配者はこのあたりのほうがリラックスできますね。

【エムズの片割れより】
自分も一度しか行ったことがありませんが、池上はお寺の町ですね。門前の店も老舗っぽく、境内も広い。沿線も、下町風ですよね。

投稿: よっちゃんです | 2014年8月30日 (土) 07:07

youtubeで西島三重子さんの池上線をよく聞いてます。昨年10月西島さんの実家の肉屋さんに、いってきました。姪さんが応対してくれ
目元が西島さんに似ていて美人な方でした。
池上線とか千登勢橋の詩が、すごく描写的で
青春期の揺れ動く淡い思い出、自分の手から
するっと離してしまった(ハンカチかも)ものへの哀愁・・・。
このサイトにたどり着き、本当の話とは!驚きと又、東京にいって歩いて来たいと思いました。又作詞家の佐藤さん事も色々知りたいと思いました。(山形に住んで居るとか)
私は今、宮城県石巻に住んでいる62歳の高齢青年です。エムズの片割れ様、このサイトを閲覧させていただきありがとうございました。

【エムズの片割れより】
コメントありがとうございました。
自分も、なぜかこの歌には惚れています。それから、これもアップしてありますが。西島さんの「もう森へなんか行かない」も聞いてみて下さい。

投稿: 高橋 隆一 | 2015年1月 6日 (火) 05:03

池上線のうたの設定が知りたくて、ネットを探したら、このブログを拝見できました。

何度聞いても、歌の女性を抱きしてあげたくなり、どうして男が愛を貫けなかったのか、その設定を知りたかったのです。

朝日新聞の記事を拝見できて、探していたものが見つかりましたが、そういう事実があっての歌とは、本当に驚きでした。

アップして頂いて、ありがとうございました。

男女とも純愛、そして男性の方がずっと純粋のままだったんだと知り、さらに切ない気持ちが増してしまいました。

一生、忘れられない歌になりました。

【エムズの片割れより】
たぶん現実世界では、9割が「片想い」のような気がします。
その方が、詩が出来ますよね。負け惜しみですが・・・

投稿: はこね | 2016年10月14日 (金) 18:33

素敵なサイトに誘っていただき、ありがとうございます、
私にとっての【池上駅】は錦糸町駅です、
ほろ苦い初恋の想い出です、
「…あとからあとから涙あれて…」の歌詞は私の心を打ちます、

彼女は、きっと達者に暮らしているでしょう////////

【エムズの片割れより】
ご馳走さま~(^o^)

投稿: 悠志 | 2017年7月16日 (日) 19:08

エムズの片割れさま

  おはようございます
    ご無沙汰しております

 突然 4時前に目が覚め 
  もう 今日は眠れないだろうと思い
  インターネットの前に

 歌でも流そうか エムズの片割れさまのサイトに どんなコメントがついているのだろう 
 などと考えながら侵入

 最近のコメント欄の横には 7列の 池上線 が見えるではないですか

 そうだ 池上線 を聴こうという気になり

 西島さんがすきなのですが 今朝は 高音美声の高山厳さんできこう

  スタート という具合でした

 僕も 昔 コメントしたかなぁ などと思いながら 先の方々の投稿を読み進みました

 あれ これ 自分の文章?? と驚きとともに
 自分のコメント発見  またそれが 11月28日 おい おい どういう偶然  丁度 7年前にこの  
2010年4月22日 (木)西島三重子の「池上線」の駅は「池上駅」~話は事実  に書かせていただいていたとは   
  不思議な不思議な話です

 大阪 ミナミの三っ寺筋にあった 伸舟 でのできごと 書きましたね

 伸舟でお会いしていた人たち との思い出
また その人々にその後に起こった事象の数々
 人生苦難 ばかりですね
 それでも 生かされている 自分の役目がそれぞれに与えられているのでしょうね

 などと 思いながら 時間が過ぎていきます

【エムズの片割れより】
そうですか・・・。7年前ですか・・・
とにかく、最近は時間が過ぎるのが早いこと早いこと・・・・
「この調子じゃ、あっと言う間に死んじゃうよ」が最近の口癖・・・。
毎日、自堕落に過ごしているせいでしょうか・・・ね。

投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年11月28日 (火) 05:45

エムズの片割れ様
多彩な歌のアップに感銘しつつ楽しませて頂いております。
今日は  池上線とはかかわりのないコメントをお許しください。
思いもかけず 能勢の赤ひげ様のお名前に接し感慨を深く致しました。
尋ね人に逢えたような思いです。
能勢の赤ひげ様の健在ぶりが窺えて安堵しております。

投稿: りんご | 2017年11月30日 (木) 16:14

先日何気なくBSチャンネルの歌番組をみていたら(番組タイトルも憶えていない)西島三重子さんが出ていらっしゃてこの歌ができたいきさつを話していらっしゃいました。彼女は野口五郎さんの「甘い生活」に感化されて野口さんに歌っていただきたいとこの曲を書いたそうで詞は後付けだということでした。そういわれてみると出だしの部分など「甘い生活」に似てるなと納得した次第です。彼女が悪びれる様子もなく野口五郎の「甘い生活」に影響を受けたことを話しているのを見て、野口五郎に対するリスペクトも感じられて好感が持てました。

【エムズの片割れより】
BSの番組を調べてみたら、6月12日放送の、BS日テレの「そのとき、歌は流れた〜時代を彩った昭和名曲〜▽千昌夫、西島三重子」という番組ですね。
自分も見たかったが、もう無理。
野口五郎の「甘い生活」は当時から良く知っていましたが、縁があったとはオドロキです。
情報、ありがとうございました。

投稿: 中田孝司 | 2024年6月14日 (金) 09:44

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