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2010年4月19日 (月)

読む法話~「命」にまつわる言葉

雑誌「大法輪」2010年5月号に「葬儀・法事で聞きたい法話」という記事があり、なるほど・・と思った。そもそも法話とは、お寺でお坊さんのお話として“聞く”もの。それを“読む”のもどうかとは思うのだが・・・・・

いのちをことほぐ
   静岡県沼津・龍雲寺住職 村越英裕
わたしたちは自分一人で生まれてきたわけではありません。ご先祖さまのお陰です。ご先祖さまというのは遠い過去の亡くなった人々だけのことではありません。一番、身近なご先祖さまは両親です。二人です。その父と母にも父と母がいます。おじいちゃんとおばあちゃんです。合計で四人になります。さらに、さかのぼっていくととてつもない多い人々になります。このリレーがどこかで途切れていたら、今、私たちはここにこうしていません。
たとえばいのちのリレーのバトンを受け取ったとき、身体にいのちが宿ります。命が宿ると書くと「宿命」です。「宿命」ですので、両親は選べません。兄弟や祖父、親戚、生まれた家、ご先祖さま、そしていただいた身体も性別も選ぶことはできません。「宿命」は変えることができません。しかし、「ああ、この両親でよかったなあ」、「この家でよかったなあ」、「この子が授かってよかったなあ」と、ご先祖さまからうけついできたいのちに感謝することはできます。この感謝の心を持つと心が豊かになります。
さて、宿された命は生かされなければいけません。命を使うと書いて「使命」です。「使命」は「宿命」と違って、自在に変えることができます。人生は一回です。いのちも一つです。たった一人しかいない自分。生き生きとしたいのちとして使いたいものです。
いのちは運ぶこともできます。いのちを運ぶと書いて「運命」です。いのちを運ぶと出会いが生じます。「運命」の出会い、ご縁です。この無数の縁によって、私たちは生かされています。
やがて、いのちには終わりがきます。いのちが終わることは「命」に「終る」と書いて「終命」とはいいません。「寿命」といいます。なぜ、いのちに寿なのでしょうか。
寿命の「寿」は「ことほぐ」と読みます。「寿ぐ」とは「声を出して、ほめたたえること」です。命つきたときに、愛しい人からは、「会えてよかった。また、会いましょう」と大泣きしながら、叫んでもらえることです。大切な人からは、「元気でいてください。そのうちそちらへ往きます」と涙をこらえながら言ってもらえることです。集まった人たちみんなからは、「ありがとう」と声をだし、微笑んでもらえることです。
世の中に、なにかのいのちとして生まれることは難しいことです。まして、人のいのちとして生まれてくることは奇跡といえることです。この奇跡と奇跡との出会いが、今、ここにあります。だから、私たちは、雨が降っても風が吹いても、最後までいのちを生き抜かなければいけません。
寿命という文字の中には、生き抜いたいのちを一人でも多くの、慶んでもらう願いが込められています。
「ことほぐ」、このきれいな日本語を故人に送り、みなさんで受け継いでいって欲しいと願います。」
(「大法輪」2010年5月号p123より)

漢字は表意文字。だから言葉には色々な意味があふれている。この「命」に関する文字も、このように考えて行くと、先人の智慧があふれているようだ。
この話を聞きながら、思い出すのが手仕事屋きち兵衛さんの「命連綿(いのちれんめん)(ここ)という歌。まさにここで言っていると同じ事を歌っている。

自分の体験で、法話の内容を覚えているのは一度だけ。(ここ)めったに真の法話に接することはできない。しかし、ここに書いてあるような法話に接すると、何か心が和む・・・。
しかしお坊さんも大変だ。短い時間で、聴く人がなるほど・・と思えるような、いわゆるトークを要求される。しかも、同じ話をそう何度も使えるものでもない。それなりに自分の“思い”がないと続かない。
しかしこれは、決して坊さんだけの話ではない。我々シルバー族ともなると、人生のベテランとして、自分の経験から若い人に何か言いたくなるもの・・・。それを“自慢話ではない”若い人のタメになるような話をするには、それこそ「修行」が必要になる。
自分もそのうち、聞く人が辟易せずに聞けるような話をする事が、出来るのだろうか・・・・

(関連記事)
手仕事屋きち兵衛の「命連綿(いのちれんめん)」
通夜の法話の事

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コメント

こんばんは。偶然にこちらにたどり着きました。命とはなんなのか?なぜ寿で寿命なのか?生きる意味を求めるのはなぜなのでしょうね?ありがとうございました。

投稿: LENNON | 2010年4月19日 (月) 22:13

LENNON さん

コメントありがとうございます。何とも哲学的なテーマですね・・・。焦らないで、一緒に考えて行きましょう。

投稿: エムズの片割れ | 2010年4月19日 (月) 22:43

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