ひょんな事から、門田隆将著「なぜ君は絶望と闘えたのか」(これ)を知り、今日の帰りのバスの中で読み終えた。この感動は何だろう?犯人Fが死刑判決を受けたから?いや違う・・・。
この本(=ドラマ)は、何を語っているのだろう。自分は「命の尊さ」を語っていると捉えた。(写真はクリックで拡大)
言うまでもなく、この事件は1999年4 月14日に山口県光市で発生した、当時18歳の少年が主婦(当時23歳)を殺害後姦淫、その娘(生後11カ月)の乳児も首を絞めて殺害したという、いわゆる「光市母子殺害事件」の、残された夫・本村洋氏(当時23歳)が司法へ戦いを挑み、司法を変えたドキュメントである。
前に、NHKで「2008年(平成20年)日本民間放送連盟賞」の、テレビ報道番組 最優秀を受賞した東海テレビの「光と影 ~光市母子殺害事件 弁護団の300日~」(これ)を見たが、その時に受けた印象と、この本から受けた印象はだいぶ違った。「光と影」は弁護団側、そしてこの本は被害者側からの取材なので、その違いもあるだろう。しかしそれらの印象の違いからも、自分は被害者側に軍配をあげる。
この事件は、あまりに有名なので詳細は書かないが、地裁での一審も、高裁での二審も、犯行時18歳30日だったことにより、少年法第51条1項の「罪を犯すとき十八歳に満たない者に対しては、死刑をもって処断すべきときは、無期懲役を科する。」の規定から、裁判官は死刑を回避し、無期懲役の判決。Fは、少年の無期は8年で出られるとうそぶく・・・。その後、上告を受けた最高裁が、3年間の沈黙の後、「広島高等裁判所に差し戻す」という判決を下した。
そして、差し戻し後の控訴審において、死刑廃止を唱える21人による手弁当の大弁護団は、一審二審では犯罪事実を認めていたにも拘わらず、「強姦目的ではなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた」「(乳児を殺そうとしたのではなく)泣き止ますために首に蝶々結びしただけ」という荒唐無稽の姿勢に転じ、2008年4月22日の死刑判決に至ったもの。
被害者の夫である青年・本村洋氏が、一人の人間として成長しながら、司法というとてつもなく大きな権力に立ち向かって行く姿には、多くの国民も共感したもの。
それをこの本により時間軸でたどって行くと、いくつかのキーワードに行き着く。
この本で、いくつか心に残った箇所があったが、それらを抜き出してみると・・・
「僕は、ひどい男です。僕は自分自身を許せない。・・・僕は弥生を抱きしめることができなかった。死ぬその時まで、僕の名前を呼んだに違いない弥生を、僕は抱きしめることができなかったんですよ」(P8より)
「初公判が間近に迫ったある日、思い詰めた表情の本村が工場長の日高のもとにやって来た。「実は、辞めさせていただきたいと思いまして・・・」と辞表を差し出した。・・・・・日高は、少し間を置いてこう言った。
「君は、この職場にいる限り、私の部下だ。その間は、私は君を守ることができる。裁判は、いつかは終わる。一生かかるわけじゃない。その先をどうやって生きていくんだ。君が辞めた瞬間から、私は君を守れなくなる。新日鐵という会社には、君を置いておくだけのキャパシティはある。勤務地もいろいろある。亡くなった奥さんも、ご両親も、君が仕事をつづけながら裁判を見守っていくことを望んでおられるんじゃないのか」
日高は、こうつけ加えた。
「この職場で働くのが嫌なのであれば、辞めてもいい。君は特別な経験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。でも、君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は、社会人たりなさい」・・・・・
日高が、預かっていた本村の辞表を「これ、もういいな」と言って、本村の目の前で破り捨てたのは、それから1年以上ものちのことである。(p93より)
「しかし、第1審で渡邉裁判長が出した判決は、個別の事情には何の関係もない、過去の判例に縛られた単なる「相場主義」に基づいたものだった。裁判官は被害者の味方ではない。むしろ敵だ。裁判の結果に加害者ではなく、被害者の側が泣く。それが日本の裁判だと、本村はこの時、思い知ったのである。」(p131より)
「記者会見場に姿を現した本村の怒りは凄まじかった。・・・「司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。私がこの手で殺します」 記者会見という公の場で「報復殺人の予告」とも言えるべき発言を行った。」(p132より)
「日弁連とそれを支持する大マスコミによって、エセ・ヒューマニズムがはびこり、いつの間にか、犯罪者に「理解」を示し、その心を慮ることが、人権を尊ぶこととされるようになっていたのである。」(p110より)
「日本の司法では、少年がどんなにひどい殺し方をしても、被害者が「二人」では死刑にならないという。どんな証拠を出しても、「相場主義」には勝てないのである。」(p170より)
「最高裁での上告審弁論に“死刑反対派”弁護士の安田弁護士と足立弁護士が欠席した。理由は研修用模擬裁判のリハーサルのため・・・・。濱田裁判長は、この5月一杯で最高裁判事の退任が決まっていた。弁論を6月まで延ばせば、この事案は濱田の後任が担当になる。濱田が退任すれば、新たな合議が始まる。弁護人の意図は透けて見えていた。」(p183より)
「だがその年の10月、全国から集まった21人の弁護士によって、控訴審弁護団が結成された。」(p192より)
「シナリオ通り、役者が舞台で演技をしているようにしか思えなかった。」(p198より)
「本村の意見陳述で、・・・・・私が君に言葉を掛けることは、これが最後だと思う。最後に、私が事件後に知った言葉を君に伝えます。中国、春秋戦国時代の老子の言葉です。“天網恢々、疎にして漏らさず”」(p218より)
(「天網恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏らさず」=天の網は広大で目があらいようだが、悪人は漏らさずこれを捕える。悪い事をすれば必ず天罰が下る意。)
この本を読み終わって、最後に残った感触は「弁護士って何だ??」
控訴審が始まるや、全国から手弁当で21人も集まった大弁護団。最高裁から、死刑回避のための反省という最後のチャンスを与えられながら、その機会を自ら失うべく事実をねじ曲げ、事実無根の言い訳に終始した(素人でも分かるバカバカしい)弁護方針・・・。結果、自ら死刑を招き入れた責任・・・
最高裁の口頭弁論のボイコットによる時間稼ぎ、という最高裁をも愚弄する前代未聞の手段を筆頭に、とにかく死刑回避が出来れば何をやっても良い、という弁護姿勢に、弁護士活動って何だ?と思った。
この本のエピローグで、F本人もこの弁護方針には不満だったと吐露しているのが哀しい・・・
先に書いた東海テレビの「光と影 ~光市母子殺害事件 弁護団の300日~」。一度見ただけで消してしまったが、機会があったらもう一度見てみたいもの。そしてこの弁護団の理屈をもう一度味わってみたいもの。
最初にも書いたが、この本は命の大切さを理解するのには格好の本だと思う。
(2010/04/10追)
ある弁護士さんからこんなコメントを頂いた。
「被告人の真の利益とは何か。被告人の意思に反しても被告人の真の利益を守ることが弁護士なのか・・・。それとも通らない主張でも被告人とともに被告人の主張をしてあげることか良いのか・・・。
弁護士は、検事でも裁判官でもない。絶対的真実を解明する立場にはない。あくまで、被告人の立場に立って被告人の利益を守ることにある・・・・。
「本当は殺人も強姦もしていない」と言った場合にはどうするか(今回事例)。「そうしたことを主張しても無駄だから、素直に認めなさい」ということは、弁護士にはできない。弁護人の弁護の放棄になる。被告人の人生なのだから、そして被告人のための弁護なのだから、被告人の主張に沿ってできる限りの法的主張をすることになる。今回の大弁護団も死刑の廃止を主張しているのではなく、本事件そのものの弁護をしている。弁護方針を決めたときには最高裁判所の判決が出ていなかったので、最高裁判所の判断が被告人には分からなかった。第1審、第2審と反省していなかったのに、最高裁の判決により死刑になることが予想された途端に、急に反省いたしましたというほうが良いと分かっていたとしても、人間は変われない。それが「人間の業」というものだと思う。」
確かにこの話も分かる。
最高裁の弁論決定によって、本人が死刑を予感し、「強姦するつもりはなかった」「(ふたりを)殺すつもりはなかった」(p182)という姿勢に転じたことが、弁護方針決定の始まりだった事も分かる。
しかし結果として、最高裁は「死刑の選択を回避するに足りる特に斟酌すべき事情があるかどうかにつき更に慎重な審理を尽くさせる」という反省のラストチャンスを与えてくれたにも拘わらず、被告“側”はそれを活かせなかった。弁護団がFに“真の反省をすれば、死刑を免れることが出来るかも知れない”と諭したのかどうか、それは分からない。
確かにFが辿る道は、これ(死刑)以外は無かったのかも知れない。しかし、大弁護団でも誰でも良い。もしFに諭す人がいて、Fが真の反省をしていたら、本村氏の3300日もまた別の意味を持ったのかも知れない。
この事件は我々に、まさに“人間の業”を考えさせたものであった。
(関連記事)
光市母子殺害事件、最高裁の上告棄却(死刑)判決に思う
光市母子殺害事件の死刑判決に思う
最近のコメント