ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「身も心も」
誰も“至福のとき”という時間は持っているもの。自分の場合、PINK FLOYDのコンサートのLDやDVDをかけて、ヘッドホンで大きな音で聞いているときかも知れない・・・。
小椋佳、井上陽水もコンサートもNHKで良く放送されるため、録画しては聞いているが、ピンク・フロイドのコンサートにはかなわない。スケールが違う。音量が違う。
そんなロックの音楽で、同じような雰囲気の日本の歌では、3曲が頭に浮ぶ。1曲は井上陽水の「傘がない」(ここ)、そして沢田研二の「許されない愛」(ここ)、そしてもう1曲がこのダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「身も心も」という歌なのである。またバラードと捉えると布施明の「愛は不死鳥」も思い出す。先ずは少し聴いてみよう。
<ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「身も心も」>
「身も心も」
作詞:阿木燿子
作曲:宇崎竜童犬の遠吠えひとしきり激しく
身体起こして時計を見れば
夜はまだまだその色を変えずに
月の明かりが手許を照らしてる
言葉はむなしいけど
ぬくもりなら信じよう
涙は裏切るけど
優しさなら分かち合える
身も心も 身も心も
一ツに溶けて 今
俺の腕の中で眠る人よサイレンかすかに遠くから響いて
夜の帳の幕引き係
眠りのその中で聞き分けたのだろう
頬をすり寄せ胸にすがりつく人
月日は移ろいやすく
やすらぎなら信じよう
愛とは呼ばずあなたに
愛しいそう打ち明けよう
身も心も身も心も
一ツの命 今
俺の腕の中で夢みる人よ身も心も身も心も
一ツに溶けて 今
俺の腕の中で眠る人よ
この歌は、1977年9月5日の発売という。初めて聞いたのはNHK FMで、「長い曲なので普通は全曲通してはなかなかかけられないが、今日は全曲かけます」とわざわざ断って放送していた。それ以来の付き合い。確かに自分が持っている音源は、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの2種類と竜童組の2種の編曲があるが、どれも長い。オリジナルは7分半もある。上の音源はその録音の、間奏を省いた短いもの。
いつもの通り、自分の音楽の聞き方は、旋律だけ聴いて歌詞はあまり気にしないので、今日も歌詞についての議論はなし。阿木燿子さんには悪いが・・・
この歌が、宇崎竜童の曲の中でその程度の位置を占めているかは分からない。しかしこのドラムスのリズムが何とも心地よい。
前にも書いたが、もし生まれ変ったら、趣味でも良いのでドラマーの真似事をしたいな~、なんて夢想するこの頃ではある。
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今日の記事と関係ないけど、今日は3月3日ひな祭り。下の写真は、ウチの居間に飾ってある、ひな祭りの飾り色々・・・。女の子が居ないのに、まるで娘がいるみたい・・。と良く言われるそうだ。女の子が生まれなかったことに対する、、神さまへのせめてものイヤミさ・・・!(写真はクリックで拡大)
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コメント
「傘がない」と「許されない愛」の間にこの曲を置けば、その三つの曲が似ているとする感覚が分かるような気がします。
この曲は沢田研二の声で聞きたいですね。
投稿: イーさん | 2010年3月 5日 (金) 00:51
私は、歌は歌詞から入るので、最近の歌はぐちゃぐちゃ長ったらしい説明のような歌ばかりでつまらないと思っていました。メロディ重視の人たちが増えてきているのですね。歌詞が悪くなっているのも納得です。私が歌詞がわからなくても聴いて居られるのはナットキングコールの声だけなのです。エムズさんの説明で音感の良い人たちが増えて居ることがわかりました。でもちょっと淋しい気もします。
投稿: 白萩 | 2010年3月 5日 (金) 12:09
イーさん
まあ似ていることが重要ではなくて、この曲の感じが好きなので、似ているように感じるだけだろうと思います。
音楽の世界も広いが、本当に自分の聞く範囲は狭いと思います。
白萩さん
詩から入るか、曲から入るかは、人の“得意”によると思います。ウチのカミさんや息子は、詩から入るので、ビックリする位、歌詞を覚えています。自分など、校歌も社歌も、歌詞はとうとう覚えませんでした。
投稿: エムズの片割れ | 2010年3月 7日 (日) 20:49