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2010年3月 6日 (土)

第4回NHKラジオ深夜便「こころのエッセー」賞から

今回で4回目というNHK「ラジオ深夜便 こころのエッセー」賞。テーマは「忘れられない思い出・心に残ることば」。2010年3月1日~4日に放送された入選作の朗読を聞いた。1433作品の応募の中から「こころのエッセー」賞3作品の他、佳作9作品が朗読された。その中でビックリしたのは、最年少が17歳だということ。しかもトップ3作品にこの(応募時)高校2年生の作品が選ばれている・・・。受験勉強をしながら、エッセーの募集を知ったとか・・。“朝青龍で有名”な脚本家の内館牧子さんが絶賛していたのが、この河合久美子さんの「ありがとう」という作品。朗読を聞いてみよう。

<「こころのエッセー」賞 河合久美子さんの「ありがとう」>

Netで検索すると、河合さんが在校している大阪の初芝富田林高校のHPに作品が紹介されていた(ここ)。この作品は、非常に短い文の中に色々な情景が凝縮されている。Wordで文字数をカウントしたら1125文字。原稿用紙3枚・・。短い文章の一つひとつに、情景が、まるで映画のカットシーンのように浮ぶ・・・。それに題が良い。「ありがとう」という題が・・

印象に残った言葉は「私はそこにちょこんと座る」。今までおばあちゃんが座っていただろうパイプ椅子に、今は孫娘が座る・・・。(高校のHP写真を見ると、“ちょこん”と座るには少し重たいようだが・・(←失礼!))

それにしても、つくづく“全ては才能が左右する”と思う。当blogは、何となく始めてから、もう3年半にもなるが、「記事が長過ぎる」「だから読むのを途中で止めてしまう・・」とは良く言われる。あるベテランブロガーさんは、「“1000文字が限度”と考えて、それ以内に納める」と言っていた。それは確かだ。読む人のことを考えると、そうしないといけないだろう。でも自分の場合、なかなか短くならない。それは、まさに自分に“文才”が無いため・・。

それに比べて、この高校生は頼もしい。
人間は褒められて成長する、とは良く言う。特に子供のときに何かのキッカケで褒められて、自分の一生の仕事を見つけることは良くある。この高校生にとっても、この表彰は人生の大きな出来事として心に刻まれることだろう。しかし幾ら有名な脚本家から「将来、文筆家を目指しているのかも?」といった事を言われたとしても、“それも選択肢の一つ・・・”位に考え、あまりそれに囚われることなく、自由に羽ばたいて欲しいもの。
(ここまでで丁度1000文字。そうか、自分もこの程度で止めれば良いのだな・・・)

今日は短い(?)ので、上の作品を高校のHP(ここ)より引用させて頂く。これが高校2年生の作品なのである・・・。“ただトシを取れば良い”というものではないのである。

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~第4回NHK「ラジオ深夜便 こころのエッセー」賞 受賞作品~
「ありがとう」
    河合久美子(17歳)
蝉の声がミンミン鳴いている。風はぬるく、空にはもう日差しが注いでいる。玄関を出て、
五歩でたどり着くおじいちゃんの店の裏口に行く。裏口の扉を開き、おはよ、と言う。
おじいちゃんはにっこりして、おはよう、と応える。

おじいちゃんは、もう店の陳列をし終わっていた。まん丸のメガネをかけて新聞を読んでいる。
おじいちゃんが座っているパイプいすの隣には、年季の入ったもう一つのパイプいすがある。
私はそこにちょこんと座る。きしきしと音が鳴った。

私のおじいちゃんは、小さな食料品店を経営している。私はこのお店が大好きだ。
こぢんまりしていて、お客さんは近所の人たちばかりだ。利益はほとんどと言っていいほどないけれど、このお店はおじいちゃんにとって 「生きがい」だと私は思う。

おじいちゃんとおばあちゃんは、昭和の戦争を乗り越え、出会った。食料品店を開き、
二人で一生懸命働いて切り盛りしてきた。おばあちゃんは、おじいちゃんより六歳年上だ。
親戚の人が、おじいちゃんにはしっかりした姉さん女房が必要だと考えたらしい。
そして、私の伯母さんと私のお父さんが生まれた。一階はお店で、二階は今は使っていないが、昔は皆で川の字になって寝たそうだ。だから、このお店はおじいちゃんにとって人生そのもので、思い出がいっぱい詰まった場所なのだ。

今、おばあちゃんは天国にいる。旅立ったのは六か月前。近くの入院先から電話があり、
おじいちゃんはすぐ病院へ向かった。おじいちゃんが来て安心したのか、おばあちゃんは
すっと息を引き取った。

おばあちゃんが亡くなる前日、おじいちゃんは夢を見たと言う。それは、病院にいる
おばあちゃんが家に帰ってきて、おじいちゃんの隣に座っている夢だったそうだ。
そして次の日、おばあちゃんは家に帰ってきた。

お通夜の日、たくさんの人が来てくれた。おじいちゃんは杖をついて、一人一人にお辞儀をした。
目は涙でいっぱいだった。告別式の日、火葬場へ出発するときに空から雪がはらはらと降った。

おばあちゃんは、私にいつもおむすびを作ってくれた。おなかがすいた、と言うと、
いつも作ってくれた。塩味と愛情の味がする、おむすび。温かくておいしかった。
お見舞いに行ったとき、おばあちゃんが好きな乳酸飲料をいつも飲ませてあげた。
亡くなる五日前、おいしそうに少しずつ飲むおばあちゃんは、元気だった。飲み終えると、
「ありがとう、ありがとう」と言ってくれた。

火葬が終わり、私はおばあちゃんを抱き抱えていた。また空からはらはらと、雪が降った。

お店を後にし、家に戻る。仏壇でほほえんでいるおばあちゃんを見ては、何回もありがとう、ありがとう、と思う。

おじいちゃんは、ぽっかり空いたパイプいすの横で、今日も新聞を読んでいる。

(関連記事)
NHKラジオ深夜便「こころのエッセー」賞から~第3回

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コメント

はじめまして、水戸のミッキーと申します。この1月に還暦を迎えました。昨年12月頃からほぼ毎日楽しませて頂いています。幅広いジャンルの中でも音楽関係や人の生き方というような内容に、特に共感を持って読ませて頂いています。この河合久美子さんの「ありがとう」は本当に素晴らしいですね。感傷的になりすぎず、具体的な情景を描き、心にしみいってきます。ただ「エムズの片割れ」さんが書かれた、このブログの「記事が長すぎる」とは、私は全然思いません。1000文字というのはあくまでも目安だと思います。私は今のままで、長いときも短いときもあっていいと思います。どうぞこのままで。

投稿: 水戸のミッキー | 2010年3月 8日 (月) 14:50

水戸のミッキーさん

“ありがたい”コメントをありがとうございます。勇気百倍です・・・。
水戸ですか・・・。偕楽園の梅が見頃でしょうね。実は自分も水戸には縁が深く、40年前には、大工町の「田園」という喫茶店に良く通ったものです。もうありませんよね・・・

投稿: エムズの片割れ | 2010年3月 8日 (月) 22:18

エムズの片割れ様

ご返事をどうも有り難うございました。偕楽園の梅は見頃のようですが、今日の雪でこごえていると思います。いつもは一冬にせいぜい2、3回しか降らないのに、今年はもう10回ぐらいになります。

私が水戸に赴任したのは34年前でしたが、その頃は「田園」はありました。今は大工町近辺はかなり変わったので、おそらくなくなったと思います。

私は生まれは千葉県ですが、父の転勤で中学3年生から高校3年生まで北浦和に住んでいました。その後東京へ行き、水戸で暮らすようになりましたが、時間差で「片割れ様」とは少し共通点がありそうですね。今後とも宜しくお願いします。

投稿: 水戸のミッキー | 2010年3月 9日 (火) 17:52

水戸のミッキーさん

本当にかすっていますね。自分は与野の大宮寄りで生まれ(大宮日赤の近く)、小学校5年から茨城に住んでいました。会社に入ってからは八王子ですが・・・。千葉はカミさんが住んでいたので、色々とかすっているようで面白いですね。

投稿: エムズの片割れ | 2010年3月 9日 (火) 21:55

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