小津安二郎の映画「秋日和」を観て~結婚とは・・・
先日、小津安二郎監督の映画「晩春」「麦秋」(ここ)を観たが、それに続いてNHK BSから録画してあった「秋日和」を観た。小津安二郎の映画は、いわば“日本の文化”だと思って一通り見ようかと録画したが、今回の3本は皆同じテーマ。つまり「娘の結婚」。しかも、「晩春」「秋日和」は、片親の娘の結婚を、親が再婚することで親を置いては結婚できないと思う娘の背を押す、という設定。
今日見た「秋日和」は、大学時代からの4人の友達仲間の1人が亡くなった。残った3人は、亡くなった友の未亡人とその娘の将来を案じ、結婚させるために奔走する物語。
映画の筋はさて置き、小津安二郎監督が生涯扱ったテーマが「父と娘(母と娘)」だったという。娘の結婚は、それほど重いテーマなのだ。
ある年頃になると当然のように結婚する。それが昭和35年当時の普通の姿。そして、亡き友人の娘を結婚させるために、まるで姪っ子と同じように付き合う友人たち。確かに家族ぐるみで長い間付き合っていると、こうなるのかも知れないが、何とも懐かしい交友関係だ・・・。
当blogでも何度か取り上げているテーマだが、少子高齢化社会。そして非婚化、晩婚化・・・。
今朝の日経新聞「U-29」の記事に晩婚化のグラフが載っていた。初婚年齢はぐんぐん上がっている。(日経新聞2010/2/20付けp24より)(写真はクリックで拡大)
なぜこんな社会になったかというと、女性の経済力が強くなったこと、つまり女性が高給を取るようになったことが原因の一つと言われている(ここ)。結婚を、生活力の無い女性の生活をするための手段として捉えると、なるほどとも思う。しかしそれだけではないはず・・・(と幾ら言ってみても仕方が無いが・・)
一方、見合い結婚が皆無になってきていることも非婚化、晩婚化の原因の一つだろう。(ここ)
なぜ仲人口が無くなったか?個人の権利の主張が強くなった?? もし口を利いて縁を取り持ったとしても、もしうまく行かなければ「責任を取れ」と言うことになりかねない。医療過誤の裁判と同じだ。そんなリスクを追ってまで、人の世話をするほどのお目出度い人は少なくなった、という事なのだろう。何とも寂しい世の中になったものだ。
昔の仲人口も、決して乱暴に口をきいていたわけではなかろう。それなりにお互いの家庭環境なり育ちなりを考え、バランスを考えて組み合わせを考えたもの。この映画にもそんなやり取りがあった。だからこそ、見合い結婚といってもそんなに破綻は無かったのではないか・・・。逆に最近の結婚の悪口を言うと、まるで“出合い頭結婚”のようだ。出来ちゃった結婚など、その良い例。事象から結婚に進むなど、乱暴極まりない・・。
もっとも「肉食女性」「草食男性」などという言葉が巷に溢れている現代社会・・・。こんな小津安二郎の昔の映画は、もはや時代遅れのテーマを扱った“過去の映画”なのかも知れない。でも本当にそうなのだろうか・・・・?
でも、サラリーマン川柳で「やすらぎが ほしくて結婚 しない僕」 (ここ)なんていう句が、我が家でも“絶賛を博している(?)”ようでは、まあ世の中、当分変わらないかな・・・・
初めて観た小津安二郎の世界と、現代社会の乖離に戸惑っているシルバー世代ではある。
(付録)今朝散歩した多摩川と近くの道端の梅・・・。そろそろ春。多摩川の水辺にも何か春の気配が感じられる・・・・
| 0
コメント