浅川マキの「赤い橋」
何とも不思議な歌がある。浅川マキが歌う「赤い橋」という歌である。この歌は、昭和46年(1971年)4月5日に発売された「港の彼岸花」というシングルのB面だったらしい。
この歌詞を読むと、この「赤い橋」は三途の川を渡る橋のような気がする・・・。
<浅川マキの「赤い橋」>
「赤い橋」
作詞:北山 修
作曲:山本幸三郎
不思議な橋が この町にある
渡った人は 帰らない
昔、 むかしから 橋は変わらない
水は流れない いつの日も
不思議な橋が この町にある
渡った人は 帰らない
いろんな人が この町を出る
渡った人は 帰らない
赤く赤く 塗った
橋のたもとには
赤い赤い花が 咲いている
不思議な橋が この町にある
渡った人は 帰らない
不思議な橋が この町にある
渡った人は 帰らない
みんな何処かへ行った
橋を渡ってから
いつかきっと 私も渡るのさ
いろんな人が この橋を渡る
渡った人は 帰らない
この詩のモデルが興味深い。「この町」とは何処だろう・・・? この橋の向こうは何処だろう?まるでタイムトンネルにつながっているような気もするが・・・・
調べてみると、青森の恐山には三途の川を渡る「赤い橋」があるという。もちろん自分は行ったことがないが、「恐山の赤い橋」とは、聞くだけでも恐ろしい・・・。(写真はクリックで拡大)
フト、こんな歌詞を書く人は誰だろうと思って調べてみた。作詞の北山修さんとは、かの「ザ・フォーク・クルセダーズ」の元メンバーだという。今は九州大学大学院人間環境学研究院教授という要職にある精神科医。
Netでみると、北山修さんがセルフカバーしたCDも出ており、また「雨のしのび逢い」というテレビドラマの挿入歌としても使われたという。
中島みゆきの「うらみ・ます」(これ)も別の意味(失恋)で怖いが、この歌は「理由」「背景」が分からないだけに、もっと怖い・・・
つまり「分からない」ことが怖い原因・・・。北山修氏がこの歌の背景を教えてくれると、少しは怖くなくなるのだが・・・・
話は全く変わるが、今日会社の事務所に、昔子会社にいたOさんという人が来た。自分宛に訪ねて来たわけではないが、打合せがあるとの事で来社され、ついでに挨拶に来た。会議が終わった後、また顔を出したので雑談を始めたら、「私は**(←自分)さんに九州に行けといわれて行ったんです」という。そうだった。思い出した。「まだ九州に居るのか?」と聞くと、「そうなんです。もう9年になります。九州で嫁さんも貰って、マンションまで買ってしまいました。実は**さんに感謝しているのです」と言う。
「オレは君の人生を変えてしまったのか・・。塞翁が馬だね」と笑ったが、九州に全く縁のない人間が、社命でほんの1~2年の予定で行ったのが、親会社の九州支社の女性と縁が出来、まさに現地にはまって、「九州は良いですよ。物価は安いし女性はキレイだし・・」とのたまう。
そう言えば「博多美人」という言葉があったっけ・・・
これはこじつけだが、O君にとって、東京と博多の間に「赤い橋」があったのかも・・・
この町を東京、橋の向こうの町を博多と思ってこの歌を聞いてみた。そうしたら、あまり違和感はない(かな?)。
北山修氏も九州大学の教授。ウン。これはイケル・・・。「東京から(転勤で?)九州に行った人は戻らない」という風にこの歌を聞こう。そうしたら怖さも無くなるぞ・・・・。
(あえて「いつかきっと 私も渡るのさ」という歌詞には目をつぶって・・・)
(2017/05/08追)
作曲者の北山修の歌でも聞いてみよう。
<北山修の「赤い橋」>
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コメント
北山先生、今九大ですかあ
知らなかった!
それまでは京都府立医大の教授でした。
投稿: ampouie | 2010年1月15日 (金) 01:41
この歌は、部落問題を歌ったものだとずっと思ってました。思い込みって凄いですね。部落から出た人は二度と戻ってこないというこかなって。高校生のときによく聴きました。
投稿: 眞澄 | 2010年1月16日 (土) 00:30
眞澄 さん
そうですか。でも「この町」はどこでも良いのでしょうね。しかし戻らない「故郷」というのも寂しいですね。まあそれぞれ事情があるから何とも言えませんが・・・・
北山さんは作詞当時、どこか戻りたくない場所でもあったのかな?
投稿: エムズの片割れ | 2010年1月16日 (土) 13:23
追悼!浅川マキ!
もう亡くなって半年以上たってしまいましたが。今、なぜか鮮明に。
新宿文化のステージも客席も無照明。ギターのつまびきがかすかに聞こえる中、裾から薄いスポットライトの中、小さな白い顔が。着ている物も全て黒だし、髪も被さっているから。”疲れ切ったこの体、でもまだ温ーもりーはあるさ・・・”「別れ」が始まる。
40年前。アングラにもぐり続けていた一晩の記憶。この衝撃の暗さから、すぐに「赤い橋」たちの暗く懐かしい時代へ入っていきます。
最近の彼女を聴かずに、通り過ぎてしまいました。
【エムズの片割れより】
エエッ?浅川マキが亡くなった??
あわててwikiを見たら、「2010年1月17日、ライブ公演で愛知県名古屋市に滞在中、宿泊先ホテルで倒れているのを発見され、搬送された病院で死亡が確認された。67歳没。死因は急性心不全とみられる。」とある!!
この記事を書いた3日後・・・・!!まさかこんなに早く赤い橋を渡るとは・・・
投稿: 三山sanzan | 2010年9月15日 (水) 04:09
そうなんです。ご存じかな?でないかな?と思いながら書いていました。舞台上ではありませんが、公演途上での「別れ」は、惜しいながら、ご本人は本望?とご推察申し上げるしかありません。カラオケで「別れ」を探しましたがありません。ユーチューブで聴いています。CDも探しています。特番、取り上げて頂けるとうれしいです。彼女もうれしいと思います。
投稿: 三山sanzan | 2010年9月16日 (木) 04:47
懐かしい曲です。私も部落問題を扱った曲と解釈していました。北山先生の曲ですか。野坂も逝ってしまいましたし。マキしゃんも逝ってしまいましたね。皆同世代の人ですね。長谷川きよしさんあたりが歌ってCD出してくれたらな。買うと思うよ。
【エムズの片割れより】
北山先生と言えば、NHK FMで「きたやまおさむのレクチャー&ミュージック」という番組がありましたが、終わってしまいました。
投稿: ZZYZX KZ | 2013年8月13日 (火) 09:57
子供のころから仲のよかった女の子がある日急によそよそしくなります,男の子は何故だか分かりません、女の子の家に誘いに行くと、お母さんが出てきて病気ではないけど遊べないと断られます、女の子が赤い橋を渡ったんですね、もし今浅川マキさんが生存していてこの歌を歌ったら、更年期を過ぎればまた一緒になれる事をどんな気持ちで歌ってくれるのでしょうか?
【エムズの片割れより】
あれ?浅川マキさんは亡くなったんだっけ?と調べてみると、2010年1月17日(満67歳没)とありました。
この記事を書いたのが、その直前の2010年1月14日だったので、これも不思議です・・・
投稿: ともともともだち | 2015年3月16日 (月) 02:32
悲しい歌ですが、初めて聞きました。
単調な歌ですが、そこに人生の悲哀を
かんじました。
【エムズの片割れより】
ぶっきらぼうな歌い方が、この歌には合うようで・・・
投稿: 三島敏雄 | 2016年10月10日 (月) 23:31