ひろ さちや著「ポケット般若心経」
ひろ さちや著「ポケット般若心経」(これ)。この本の、あるページ・・・
「不増不減
ある仏教学者が、隣家からの貰い火で家が全焼し、蔵書も研究論文も失いました。最初、彼は、それを被害者意識で、
――焼かれた――
と思い、相手への復讐ばかりを考えていました。
しかし、そのうちに、自分は仏教学者だから、相手を赦さなければならぬと考え、その火事は、自分で、
――焼いた――
と思おうとしました。でも、無理でした。
最終的に彼が達した結論は、あれは、
――焼けた――
のだといった考え方です。
「焼かれた」のでもなしに「焼いた」のでもない。ただ「焼けた」だけです。それが正しいものの見方だと分かったわけです。」(ひろ さちや著「ポケット般若心経」p42より)
この本は6年ほど前、友人から「般若心経」を教えてもらった時、勉強しようと2冊目に買った本。心経 の読経のCDが付いており、その中の「高野山金剛峰寺の修行僧76人」の読経は大好きで、当blogでも紹介した。(ここ)
この本の「まえがき」に、ひろ さちや氏が「般若心経を思い切って現代語に訳してみました。意訳も意訳、まさに「超」訳です。あるいは自由訳というべきでしょうか。」と述べているように、中身はカラー写真とページ毎の逸話。到底般若心経の訳とは思えず、読み出して直ぐに放り投げた。ページのタイトル(心経の言葉)と載っている逸話がマッチしていなくて戸惑ったこともある。
いつだったか、カミさんがこの本を読んでみるというので貸した。そうしたらエラク気に入ったと言う。書いてある「お話」に含蓄があるという。
それで久しぶりに自分ももう一度読んでみた。それで分かった・・。この本は、心経の一言ひと言を訳したり解説している本ではなかった。般若心経全体を捉えて、心経が言っていることを色々なエピソードで伝えている。そんな本だった。
そんな気で何度か読み直してみると、なるほど、短い「お話」の中に、心経の真髄がちりばめられているようだ。それに、後半は普通の解説が付いているのでそれはそれで納得・・・。
「般若心経」は非常に難解・・・。前に柳澤桂子さんの「生きて死ぬ智慧」という“心訳”もあった(ここ ←WMVファイル)。これも難解な心経を何とか分かり易く・・という“智慧”だ。
でもこの本は、第一印象は悪かったが噛めば噛むほど味が出る(?)という、自分にとっては珍しい形の本となった。カミさんとの間を行ったり来たりで、この本もだいぶん擦り切れてきたが、我が家の大切な一冊である。近い内に、貸して欲しいと言っているという近所の家にも出張する予定とも聞く。この本にはもう少し頑張ってもらうことにしよう。
(関連記事)
「般若心経」と「穏やかな心」
| 0
コメント