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2009年12月28日 (月)

「パナ日立」という一炊の夢

今朝の日経新聞に、まさに“一炊の夢”の話が載っていた。でもゾッとする話・・。曰く・・・

「パナ日立」という一炊の夢
  客員コラムニスト 西岡幸一
・・・「こんなことになるのなら相手を日立にするべきだったか」。パナソニックの有力OBが笑いながらこういった。今月10日に三洋電機へのTOB(株式の公開買い付け)が成功、50%強の株式を取得した直後のことだ。投じた資金は4千億円強。・・・・
先の「こんなことに」というのは日立の株価。巨額の増資発表を嫌気してずるずると下落した。足もとでは反転し始めているとはいえ、10日ごろは230円台。ピーク時の10分の1に近く、三菱電機の3分の1という暴落状態だ。時価総額は8千億円程度で4千億円強もあれば過半の株式を取得できた計算。つまり三洋電機に投じた資金でそのまま天下の日立を支配できた。
よく知られたように・・・1000社近い連結会社を抱える。この子会社に対する日立持ち株を処分するだけで買収コストの4~5倍の資金を回収できるお買い得。売上高10兆円と日本最大の博士集団を含めた約40万人の従業員。これらがそっくり手に入ると思えば、三洋から日立に乗り換えるのは理にかなった話。
・・・・あくまで机上の計算だ。それでも破綻寸前だった三洋と日立の企業価値が“等価”になるという机上の空論は、日本企業への厳しい警告にほかならない。・・・日本経済の迷走をも象徴する。
初夢にもならないがパナソニックが日立を買収すればどうか。・・・苦境にあるエレクトロニImage04041 クスで17兆円もの売上高のメガ企業の誕生を想像すると一見、刺激的だ。・・・
しかし100年近い歴史を誇る総合企業の補完的足し算は広範な事業領域と企業文化の足し算だ。・・・・業績が優と優の「優優統合」でも人が離反すれば「憂憂統合」に化ける。ずうたいばかりの「パナ日立」では犬も食わない。まさに否定するための「帰無仮説」でしかない。
問題はこれを棄却した後にどんな選択肢があるかだ。先に創立40周年を迎えた韓国サムスン電子は2020年に売上高4千億ドルの目標を掲げた。ホラにせよ夢にせよ、自動車と共に日本経済を担う電機業界にこんな気勢を上げる企業はない。・・・・業界常識を超えた夢仮説を実現する合従連衡が必要だ。・・・・・」(日経新聞2009/12/28 p5より)

同じ今朝の新聞に、「韓国連合が、GE-日立連合に勝って、アラブ首長国連邦(UAE)から総額400億ドル(約3兆6千億円)にものぼる原発4基の受注に成功」という記事もあった(ここ)。

少し旧聞だが、先日の同じ日経新聞に「韓国企業 強さの秘密」という連載があり、韓国・現代自動車の今年の1~9月の新車販売数は341万台で米フォードを抜いて5位に浮上した、と報じていた。また09年度初期品質調査でも、現代自動車の「エラントラ」はホンダの「シビック」などを抑えて首位だったという。
韓国の品質の向上も目覚しく、ポスコの鋼材を取り寄せて品質を調べた日本の鉄鋼メーカの役員は「9割以上が日本製からポスコ製に切り替えて問題ないレベルに達している」という。
そしてサムスン電子が3月に発売した「LED(発光ダイオード)テレビ」。実はLEDテレビはソニーが04年に世界で初めて発売したが普及しなかった。・・・「ある日本企業幹部は「同じ液晶テレビなのに“LEDテレビ”というカテゴリーを作ってしまうとは」とサムスンの売り方に舌を巻く。」・・・(日経新聞2009/12/17 p9より)

最近の新聞を読んでいると、日本企業の不甲斐なさと、それに対する韓国や中国企業の元気の良さの話題が多い。この記事が指摘しているように、「安さ頼みから、品質やマーケティングを兼ね備えた総合力へ。韓国企業の実力を見誤ると、日本企業は利益の源泉にしてきた市場や製品をさらに失いかねない」。

話は変わるが、自分が唯一持っている韓国製品であるMP3プレヤー「アイリバーのiHP-140」。04年に買ったものだが初期不良を除くと壊れない・・・。MP3プレヤーも、もうHDDの時代ではなくフラッシュメモリーの時代。最大の懸案だったメモリ容量も64Gの製品がSONYから発売された。アイリバーが壊れたらこれを買おう、と準備万端なのだが、でもこれが壊れない・・・・。困った・・・!?
動いていて使い勝手も良く、困まってもいないのに新しい製品を買うほど、金は余っていない・・・

産業革命以来、自国語の英語を世界の標準語にしてしまった日本と同じ島国イギリス。長い間、何となく円熟した国と見え、企業競争の点ではあまり恐れられなくなってしまったが、日本もその後を追っているように見える。
こんな記事を読むと、バリバリの現役時代に還って、気がうずうずしてくるが、でも一方ではブータンの「国民総幸福量」というような生き方もあるので(ここ)、日本という国も、そろそろ一服するのも良いかもね・・・。(←リタイア(寸前)人間の、無責任発言だけど・・)

(付録)~実は自分は今日初めて「一炊の夢」の故事を知った・・・
「一炊の夢」=[李泌、枕中記](唐の盧生(ろせい)という青年が趙の都の邯鄲(かんたん)で道士の枕をかりて寝たところ、人生1代の栄華を夢に見たが、さめてみれば、たきかけの粟がまだ煮えきらないくらいの短い時間であったという故事) 人生の栄華のはかないことにいう。黄粱(こうりよう)の夢。邯鄲の夢。盧生の夢。(【広辞苑第五版】より)
(故事の詳細はここ

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