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2009年12月24日 (木)

昭和35年の出来事(13歳)~松尾和子の「再会」

自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの14回目。自分が12歳から13歳、つまり小学校6年生から中学1年生になった昭和35年(1960年)の出来事を調べてみる。
S351_2 この年は、安保反対闘争と浅沼社会党委員長刺殺があった年だ。
先ずは安保闘争だが、6月15日には全国で580万人が安保反対のデモを行ったという。そして全学連が国会に突入して警察と衝突、樺美智子さんが死亡した。これにより岸内閣が退陣して「所得倍増」と「私は嘘は申しません」の池田内閣が成立。(写真はクリックで拡大)
そして10月12日、日比谷公会堂での演説会で、浅沼社会党委員長が17歳の右翼少年に刺殺された。自分はなぜかこのとき学校から帰ってたまS35_2 たまテレビで見ていて、舞台の混乱の模様を見ていた。この時に新聞に載った写真が、その瞬間を捕らえた有名な一枚となった。メガネが外れ、ナイフが見える・・・。
明るい話題では、これに先立つ2月23日に皇太子に男子誕生(現皇太子)。

9月10日に、カラーテレビ本放送開始。我が家にもやっとテレビが入った頃だが、世は早くもカラー時代。映画では「青春残酷物語」「悪い奴ほどよく眠る」など、洋画では「太陽がいっぱい」「アラモ」等々。
歌では、松尾和子・和田弘とマヒナスターズの「誰よりも君を愛す」、橋幸夫の「潮来笠」、フランク永井の「東京カチート」、三橋美智也の「達者でナ」等々。
今日は、昭和35年(1960年)9月に発売になった、松尾和子の「再会」を聞いてみよう。いわゆるムード歌謡の代表曲だ。こんな味わいのある歌は、もう出て来ないだろうな・・・

<松尾和子の「再会」>


「再会」
  作詞:佐伯孝夫
  作曲:吉田 正

逢えなくなって 初めて知った
海より深い恋心
こんなにあなたを 愛してるなんて
あゝ鴎にもわかりはしない

みんなは悪い 人だと云うが
私にゃいつも 良い人だった
ちっちゃな青空 監獄の壁を
あゝ見つめつつ ないてるあなた

仲良く二人 およいだ海へ
一人で今日は来た私
再び逢える日 指おり数える
あゝ指さきに 夕陽がしずむ

もちろん、当時自分がこの歌を聞いたかどうかは忘れてしまった。でも歌詞は別にして、しっとりとした吉田正の旋律は心に沁みる・・・。歌詞から想像すると、お相手はヤクザなのかな・・・?

自分もこの年に中学に入学した。小学校高学年から中学にかけて「ラジオ」に熱中した事Image03991_2 は前に書いた(ここ)。
でも小学校5年生で茨城に引っ越してから子供部屋が出来、自分の机を持てた事は、自分の人生にとって非常に大きな出来事だったと今でも思う。3畳の部屋に兄貴と自分の二つの机。自分の机の周りを敷布のカーテンで仕切った。まさに“自分の城”だった。そこで自作のラジオで短波放送Image04021_2 を聞いた。そう言えば、ジューという半田ごての臭いに、カーテンの向こうの机で受験勉強中の兄貴からいつも「臭い!」と怒鳴られた。まあ今思い出しても、狭い部屋なので怒鳴られるのも仕方がなかったかな・・・。
狭いながらも楽しい“自分の城”であった。

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コメント

松尾和子の「再会」ここで吃驚したのは
このコメント欄が真っ白だったこと 1992年9月に不慮の事故で亡くなりましたが 実に味のある歌を歌う人でした もともとジャズ ポップス系からの人でしたが この再会などホントに見事に男女の感情の機微を歌い上げてると思います 実は私が最初に小遣いで買ったレコードが松尾さんの「グッドナイト」
だったもんで 思い入れが大きいんです

投稿: analogumann | 2012年11月12日 (月) 15:24

初めまして。『再会』は僕も大好きな曲です。
昔朝日新聞の夕刊に有名人へのアンケートが載っていて、その中の「理想の女性」という項目に吉田正さんは『再会』の女性と答えていました。あの曲にはそれだけの思い入れが込められていたんですね。

ずっと僕の中では『再会』と『愛と死のかたみ』がリンクしていたのですが、今調べてみたら『愛と死のかたみ』の発行は1962年ですから『再会』よりも後なんですね。

【エムズの片割れより】
コメントありがとうございます。『愛と死のかたみ』は知りませんでしたが、当時映画やドラマが作られたようですね。もう昔の話になりました・・・。
(昭和35年の記事にコメント頂き、昭和48年で止まっていたこのシリーズの続きを書いてみる気になりました。⇒昭和49年から再開)

投稿: ☆諒 | 2014年3月 2日 (日) 21:00

はじめまして。奥方のブログも保存させて頂いております。
学生時代のもくちんアパート住まい。
LPプレイヤーを衝動買いしました。目的はMJQのヴイブラ。真っ暗な天井を見ながら透きとおるような高音が慰めでした。
高音が好きで、土居さんの月見草の花、少年合唱のマリモの歌。
気分が滅入るときは、ジーン・シモンの悲しき願いを聴いたあとに、土居さんを聴いています。
小学生のころに、鉱石ラジオをつくりました。鉱石ラジオはバリコンやコイルが大きくて、蒲鉾板に薄っぺらなべニア板をフロントパネルにしたものでした。
我が家のラジオは、浪人中の「ラジオつくります」という札を軒先に出した叔父に依頼の5球スーパーでしたが、私はマイラジオで歌謡曲を聴きました。
今も記憶に残る歌は小林の「さすらい」です。ふてぶてし過ぎる高音ですが、ダルマウヰスキーの「夜がくる」と勝負はどうでしょうか。

夜がまたくる おもいでつれて
沈み込むような歌を、小林は声を張り上げて歌いました。
鉱石ラジオのおもいでであります。
ご無礼いたしました。

【エムズの片割れより】
キーワードが、自分とダブるようで・・・
鉱石ラジオといい、高音が好きといい、土居さんといい、マリモの歌といい・・・
どれも懐かしい言葉です。
たぶん年代的に同じような世代ですね。
コメントありがとうございました。

投稿: noir Fu | 2022年5月14日 (土) 05:32

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