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2009年12月20日 (日)

フルトヴェングラーの「運命」~1947年5月25日と27日の演奏の違い

たぶん、世界で最も有名なベートーベンの「運命」の演奏会は、1947年5月25日から29日にかけて、フルトヴェングラーの指揮、ベルリン・フィルの演奏で行われたものだろう。その歴史的背景を少し確認しておこう・・・・
「1945年5月9日、ドイツ政府は降伏文書に署名。終戦となった。そして5月28日にはベルリン・フィルが戦後第一回目の演奏会を開いた。そしてフルトヴェングラーが戻るまで指揮をしたのが、弱冠当時33歳のチェリビダッケ。
フルトヴェングラーは1945年1月23日にベルリン・フィルを指揮したのが戦中最後の演奏会となった。ヒトラー暗殺未遂事件への関与で逮捕寸前だったが、1月25日ウィーンでのコンサートの為にウィーンに脱出。そして2月7日スイスに亡命。そして2月23日のヴィンタートゥーア管弦楽団を指揮したのが、戦中最後のコンサートになった。
フルトヴェングラーはカラヤンのようにナチに入党はしていなかったが、ナチ政権下のドイツ第三帝国の宣伝塔としての役割を充分に果たしていたことは疑いようのない事実だった。が、それは結果論であり、彼が意識的にナチの利益のために行動したわけではない。彼がユダヤ系音楽家たちを擁護していたのもまた事実だった。
フルトヴェングラーがオーストリアで無罪宣告を受けるのは1946年3月初めだった。しかし連合国としては結論を出していなかった。当時、彼のベルリン復帰に反対していたのはアメリカ軍だった。逆にソ連軍は早く復帰させたがっていた。1946年12月、ベルリンでフルトヴェングラーの非ナチ化審理が始まった。そして法廷尋問のリハーサルを行い、想定問答をフルトヴェングラーに教えたのがチェリビダッケだった。1946年12月21日、無罪が言い渡されたが、連合国側が承認しなかったため演奏活動への復帰はすぐには実現しなかった。そこにはアメリカ軍の消極的な姿勢があった。その遅れに対し、フルトヴェングラーは、悪いことをしたという意識が全くなかったため、被害者意識だけがあった。
フルトヴェングラーは、戦後初のコンサートはベルリンで、ベルリン・フィルと行いたいと希望していたが、食うためにローマでの演奏を決意し、1947年4月6日、フルトヴェングラーはローマで2年ぶりの指揮台に立った。この話がベルリンの連合国司令部に伝わると、フルトヴェングラーの無罪が急に正式決定する。1947年4月27日のことだった。(以上、ポイントを下記より引用)」

「フルトヴェングラーの復帰コンサートが5月25日に行われると発表された。それは聖霊降臨祭の日曜日でもあった。かつてのベルリン・フィルの本拠地であるフィルハーモニー楽堂は空襲で破壊されていたので、映画館だったティタニア・パラストが会場となった。プログラムはベートーベンの曲だけで構成され、「エグモント」序曲、交響曲第6番、第5番だった。切符はすぐに完売し、ダフ屋が横行し、なかにはお金だけではなく、家具や電器製品をつけて、ようやく入手した観客もいた。
5月25日、ティタニア・パラストは開演前から異常な熱気に包まれていた。切符を正規のルートで買えた幸運な人、ダフ屋に法外な金額を払って入手した裕福な人、家具を手放してでも聴きたいと思った熱狂的な人・・・・2000人の観客は、その時を待った。
オーケストラがステージに揃い、その瞬間がやってきた。長身のフルトヴェングラーを、オーケストラの団員は起立して迎えた。観客は総立ちとなった。拍手、歓声、まだ一音も発せられていないのに、まるで世紀の名演を聞いた後のようだった。演奏前がこうなのだから、終演後の拍手喝采はもっと凄まじいものとなった。終わった後の観客の熱狂ぶりは凄まじく、永遠にこのホールから帰らないのではないかと思えるほど長く、15分以上にわたり拍手が続き、指揮者は16回、指揮台に呼び出された。・・・同じプログラムで、翌26日も、そして27日、29日と開かれた。・・」(中川右介著「カラヤンとフルトヴェングラー」p159より

(2010/07/18写真追加)~ティタニア・パラストでの復帰コンサートの模様
(ドイツ EIKON Media 2007年制作「帝国のオーケストラ~第2次大戦下のベルリン・フィル~」より)~写真はクリックで拡大

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この時の演奏会の録音は、5月25日の初日は交響曲第6番と第5番が、そして27日はエグモント序曲と交響曲第5番が残されているという。先日、ふとこのコンサート初日の25日の演奏と、有名な27日の演奏を聴き比べてみる気になった。そこで先日オークションで「TAHRA FURT1016」という25日録音盤のCDを手に入れて聞き比べてみた。
まず初日の演奏会から・・・

<フルトヴェングラー/ベルリン・フィル 1947年5月25日の復帰初日のライブ録音>

次に定評のあるコンサート3日目、5月27日の演奏。今回は、次に定評のあるコンサート3日目、5月27日の演奏。今回は、DGの擬似ステレオで聴いてみよう。(詳細はここ)(オリジナルのモノ音源はここ

<フルトヴェングラー/ベルリン・フィル 1947年5月27日の3日目のライブ録音>~DGによる擬似ステレオ

結論から言って、25日盤はほとんどCDが無く、27日盤が売れている理由が分かった。

この時の演奏については、(ここ)の研究のように、非常に良く分析されているが、それとは別に素人の観点で勝手なことを書いてみる。

まず同じ会場。同じ環境で録音したにしては、音場が違う・・・。特にティンパニの音が違う・・・。Netで調べてみると、27日は「この歴史的復帰演奏会の3日目の場所は、従来は「ティタニア・パラスト」となっておりCDにもそのように記載されている。しかし、近年の研究により、27日の演奏会は「ベルリンのイギリス占領地区にあるソ連管轄の放送局」に聴衆を入れてのライヴ録音と訂正された。これはマズーレンアレーにあった戦前の帝国放送局のことである。」とのこと。(出典はここ) つまり、25日と27日は会場が違った?

よって録音環境(マイクの位置など)が違うせいか、音が全く違う。27日盤はフルトヴェングラーが足でリズムを取るクツの音がはっきりと入っているが、25日番では入っていない等・・。
そして、この演奏(録音)で非常に印象的なティンパニの音。27日盤は“ドロドロ”というように不明瞭に聞こえるが、25日盤は“パンパン”というように乾いた音に聞こえる。これはマイクの位置の違いか、それとも会場の残響の違いだろうか?
それに25日盤はテープヒスなどの雑音が見事に消されており、そのためか、会場の咳などの雑音が気になるほどに聞こえる。

演奏では、まず最初の「“ズ”ジャジャジャジャーン」だが、この低音が一足先に出る「ズ」について、あるNetの記事には「フライング」とあったが、25日の演奏も同じだ。・・という事はフルベンの確信犯だ、と言うことだ。この“ズ”は自分が子どもの時に聞いて以来耳に残っており、この演奏の非常に大きな特徴となっている。
もちろんこの両者、演奏のスタイルは同じ。でも自分の印象では、25日盤は指揮者とオーケストラがまだ不慣れで緊張感があるように感じた。反面、27日盤は“もう楽譜なんか見ないで、オレの言う通りに演奏しろ”というように、勝手と言うと失礼だが、自由に演奏している。よく「フルベンのライブならではの即興性」と言われているが、表現は悪いが27日盤は実に“ノッている”感じ。もう3日目・・・。お互い相手を分かってしまって、ノリに乗ってベートーベンの楽譜なんかそっちのけで、思う存分気分のままに演奏しているような感じがした。その結果が、場所場所でテンポが自由に変わる不思議な演奏になっている。
ふと昔、小泉首相が「郵政解散」をしたときの「国民に聞いてみたい!」とテレビで演説した時の熱弁を思い出した。本人も後に、あれだけの熱弁はもう出来ない、と言ったそうだが、27日の演奏はそれと同じように、二度と再現できないノリに乗った演奏なのではないか?

前にも書いたが、この27日の演奏のCDは色々なものが出ているが擬似スレテオ盤がない。Netでみると「独DGの擬似ステレオSLGM-1439」があったようだが、CD化されていないようだ(ここ)。
そこで見つけたのが、上記のantonさんの作成による音源。素人でもここまで出来るとはオドロキ。もちろんノイズも増えて、人によっては評価が得られないだろうが、自分に取ってはモノよりもよっぽど聞き易い。

とにかく、5月27日の録音は、クラシックレコード界の永遠の宝だという事を再確認した。
この盤、ピュアな音を追求されるのも良いが、ステレオ化も捨て難い。GDの擬似ステレオのCDが何とか発売されると良いのだが・・・

(関連記事)
フルトヴェングラーの「運命」聴き比べ
フルトヴェングラーの「運命」~擬似ステレオの音

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コメント

今手元に無いので定かでありませんが、25日盤のほうが演奏時間が30秒ほど短かったように記憶しています。
確かに27日盤の方が演奏慣れが感じられますね。

投稿: ペーター | 2010年4月 1日 (木) 12:49

ペーターさん

コメントありがとうございます。
演奏は個々人の好き嫌いの問題ですが、自分は27日の“ノッた”演奏の方が好きです。
先日本屋で立ち読みをしていたら、CDの名盤を紹介した本で、25日の演奏を押していました。やはり好き好きですね。

投稿: エムズの片割れ | 2010年4月 2日 (金) 22:04

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