森繁久彌の「銀座の雀」~巨星墜つ
今朝新聞を広げてビックリ。昨日、森繁久彌さんが老衰のため96歳でご逝去とのこと。まさに「巨星墜つ」である。
森繁久彌の歌で先ず思い出すのが「知床旅情」だろうが、自分は「銀座の雀」の方が好きだ。少し聞いてみよう。
<森繁久彌の「銀座の雀」>
「銀座の雀」
作詞:野上 彰
作曲:仁木他喜雄
「たとえどんな人間だって 心の故郷があるのさ
俺にはそれがこの街なのさ
春になったら細い柳の葉が出る 夏には雀がその枝で鳴く
雀だって唄うのさ 悲しい都会の塵の中で
調子っぱずれの唄だけど 雀の唄はおいらの唄さ」
銀座の夜 銀座の朝
真夜中だって 知っている
隅から隅まで 知っている
おいらは銀座の 雀なのさ
夏になったら 鳴きながら
忘れものでも したように
銀座八丁 飛びまわる
それでおいらは 楽しいのさ
「すてばちになるには 余りにも明るすぎる
この街の夜この街の朝にも 赤いネオンの灯さえ
明日の望みにまたたくのさ 昨日別れて今日は今日なのさ
惚れて好かれてさようなら 後にはなんにも残らない」
春から夏 夏から秋
こがらしだって 知っている
霙(みぞれ)のつらさも 知っている
おいらは銀座の 雀なのさ
赤いネオンに 酔いながら
明日ののぞみは 風まかせ
今日の生命に 生きるのさ
それでおいらは うれしいのさ
Netで調べてみると、「この曲は昭和25年にラジオ番組”愉快な仲間”でスタッフの一員だった野上彰がバーの壁に落書きした詩に音楽担当の仁木他喜雄が曲を付けて”酔っぱらいの町”という曲名で歌手の藤山一郎が歌い、その後昭和30年に映画の主題歌として”銀座の雀”という曲名で森繁久彌が歌い、大ヒット曲となりました。」(出典ここ)とある。
この原曲も少し聴いてみよう。語りと歌詞が微妙に違う・・・
<森繁久彌・藤山一郎の「酔っぱらいの町」>
若い人は分からないだろうが、昭和25年~30年頃の銀座の風景を思い出しながらこの歌を聞くと、何となく納得できる。そこには戦後の、何となく寂しい姿がある。都会独特の冷たさか・・・。
森繁久彌と言えばNHKの「日曜名作座」だ。2年ほど前、自分がNHKラジオ深夜便を聞き始めた頃、30年も前の「日曜名作座」の再放送があり、何とも懐かしかった。(ここ)
森繁さんを追悼して、これから多分色々な番組の再放送があるだろうが、その中に「日曜名作座」の再放送が含まれることを祈りたい。
今日は、こんな歌でも聞きながら、森繁久彌さんのご冥福を祈る事としよう。
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コメント
命有るものはいつかは死にます。
森繁さんは新聞の記事によると正に大往生のようでした。
この「銀座のすずめ」大好きです。
人生の悲哀が感じられて、味のある
歌い方はとてもマッチしています。
戦争に出征したした父は
この人の歌う「戦友」を聞けば
いつも涙していました。
投稿: 兼太郎 | 2009年11月11日 (水) 22:10
片割れさんのブログを 毎日楽しみにして いちいち頷きながら読んでおります
森繁氏は名優でありことは認めておりましたが ケレン味が強くて あまり好きな俳優ではありませんでした
しかし森繁氏の「銀座の雀」は大好きな歌です
「日曜名作座」も 実に良かったです
再放送を希望しています
投稿: 森生 | 2009年11月12日 (木) 11:58
兼太郎さん、森生さん
森繁久彌は、存在感はありましたよね。それだけに、亡くなったという報にはビックリ。
でも96歳と聞くと仕方がないのですが、つい最近までTVに出ていた感じがするので・・・
あとは10歳下で現役で頑張っている三國連太郎さんには100歳まで現役で居て欲しいものです。
投稿: エムズの片割れ | 2009年11月12日 (木) 22:59
こういうものに書き込みをしたことがないのですが、私は銀座の雀の作詞をした野上 彰の姪です。
母の兄にあたります。叔父がなくなってもう随分経ちますが、銀座の雀を自分で歌いたいと思いながら、今日偶然ネットで調べていくうち、このブログに辿りついた、と言うわけで、もう誰も知らないのかなと、思っていたので、うれしくなりました。
喋りたいことことは山ほどありますが、こういう書き込みってどの程度かわからないので、今回はこれ位にしておきます。あんなに素敵な唄なのでなんとか自分で歌ってもっと知ってもらいたい、と、思いを伝えたかった、という次第です。
【エムズの片割れより】
作者のご家族からコメントを頂けるとは、光栄です。改めてこの歌を聴いてみましたが、実にしみじみとして良い歌ですね。
しかし野上彰氏は、JASRACに登録されているものだけでも391作品。大作詞家だったのですね。コメントありがとうございました。
投稿: 若山貴子 | 2012年8月27日 (月) 00:16