手仕事屋きち兵衛の「青春への手紙」
久しぶりに手仕事屋きち兵衛さんの歌の紹介。今日は「青春への手紙」である。この歌は 「安曇野」(これ)というミニアルバムに入っていた曲だが、CDは廃盤で手に入らないのが惜しい。
アコースティックギターが何とも心地良く、しみじみとした良い歌だが、還暦過ぎの我々にとっては、何かうら恥ずかしい歌詞である。
<手仕事屋きち兵衛の「青春への手紙」>
「青春への手紙」
作詞・作曲:手仕事屋きち兵衛あなたが言ってた 本当の生き方
それを探しに ぼくは旅立つよ
言葉ではなくて 体で感じる
生きがいってやつを 探してみるよ
そんなせりふで かっこをつけて
歩き始めた 青春だけど
遠回りして来て 見つけた答えを
今のあなたに
話してみたい気がするよ
昔を戻して 夜を戻して青春なんて 若いことだけで
全べて許された ひとつの季節
本当は何も 知らないからこそ
きれいでいられた 幼い季節
張り子の自分に 意地をつめて
人間らしく生き抜いてみせると
約束したのも本当のことさ
昨日の出来事
今でもあの日が見えるよ
若さの証しが あれも真実早いものですね もうあれから19年
あなたもきっと今は 幸せでしょうね
子供のこととか 天気のこととか
たわいもないことを 話しているだろう
あんなに嫌った 普通の暮らし
気がつけば今がそんな暮らし
不思議なものですね
人から言われて そう思います
今こそ自分が解るよ 探してきたもの
それが解るよ
ここで歌われている「本当の生き方」とは何だろう・・? 自己実現・・? 若い頃、「本当の生き方」を求めたか? どうも自分は自信が無い。真面目に将来の生き方を悩んだのは、意外と高校時代だったかも知れない。自分の場合、工学部という性格から、一旦大学に入るともうレールに乗ってしまい、考える間もなく自動的に全員がメーカーに入って行った。そして仕事に追われる毎日・・。そして今、リタイア寸前で振り返ってみると、「本当の生き方」って何だ?? そんな言葉があったっけ・・!?
時間に追われる世のサラリーマンは、殆どが「自分の生き方」が出来ていないように思う。会社という組織に組み込まれ、自由などない生活の毎日。でも最近は世の中が変わった。我々の時代は、長期休暇などとても取れる雰囲気でなかった。だから海外旅行なども(金が無いこともあるが)意識の外。それがいつの間にか、大会社はリフレッシュ休暇と称して数十年毎に長期休暇が取れるようになった。しかしその恩恵に浴せなかった残念な最後の世代が我々・・。でも、サラリーマンが定年近くなって時間の自由が利くようになったからといって、そんなに時間を自分で思うように使えないのも現実・・・。だいたい自由な時間の使い方など、訓練されていないもの・・・。(自分も、もしうまく時間を使えたら、こんなblogは書いていないかも・・・)
まあこんな歌でも聞きながら、若い頃にもし“自由”だったら“本当の生活”が探せたのに・・・、ナンテ“残念がる”ことにでもしようか・・・
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コメント
「青春への手紙」、凄くいい歌です。
アコースティックギターもいいですよね。
青春真っ只中の若い人より、40歳代以降になった人にはよく分かる歌だと思います。
自我と言うか(自我というと語弊があるけれど)自己主張が強い人間、自分を持っている人は誰でも同感するような頃があったんじゃないかと思えます。
歌詞は全て「そうだろう、そうだろう」と共感します。身につまされます。
私が男だったらこの歌詞にあるように、自分探しまたは自分の可能性を試すために旅立っていたかもしれません。
でも、「普通の暮らし」平凡な普通の暮らしが出来ることが一番幸せなんですよね。
私が子供だった頃、父が「平凡な生活が毎日送れるということは、非凡なんだよ。」と言っていたことを今ふと思い出しました。
投稿: ジャン | 2009年11月29日 (日) 01:31
ジャンさん
ウチではカミさんはよく「ウチは小さな幸せはあっても大きな幸せは無いね」と言います。
小さな幸せは「毎日、何事も無い平凡な暮らし」なのでしょう。さっきもカミさんが、いつも音信不通の九州の息子に電話していましたが、何も無いことを良しとしなければ贅沢なのでしょうね。
話題が無い位に平穏な暮らしが、いつまでも続くには、やはりどこかに「努力」が必要なのだろうという気がします。
投稿: エムズの片割れ | 2009年11月29日 (日) 22:39