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2009年11月26日 (木)

半藤一利の「幕末史」を読む~歴史の勉強

最近凝っている半藤一利氏の“語り下ろし”シリーズ。「昭和史(ここ)」「昭和史戦後篇(ここ)」に続いて「幕末史」(これ)を読んだ。語りの口調は前2作と同じ調子だが、自分なりに順位を付けるとすると、昭和史-戦後篇-幕末史という順かな・・。だから今回は意外と読むのに時間が掛かってしまった。
何でスーっと読めなかったか?半藤氏は全て証拠主義らしく、誰が何を考えたかを、現存する手紙や日記等の史料をもとに論じて行く。だから随所に昔の候(そうろう)文が出てくる。だから読みにくい。もちろん現代語に訳してくれてはいるのだが、古い文は面倒なので段々飛ばして読んでしまった。

論じている時代は、1853年の黒船来航から大久保利通が暗殺された明治11年(1878年)までの25年間。日本にとって革命が起きた一番の激動の時代。他国から侵略されないように気を使いながら、どんな国を作ろうかと悩んでいた時代。でも半藤氏はこれらキーマンが“何にも考えていなかった”と断じる。
しかし読み終わってみると心に残るのは、優秀な薩長の人材、勝海舟や西郷隆盛の人間的な魅力、徳川慶喜の不甲斐なさ、そして元侍たちの群集パワーと大久保独裁政治・・・。それに、かの龍馬はほとんど出て来ない。“反薩長”の視点の半藤氏なので龍馬を偶像視していない?
素朴に考えると、新政府は薩長の政府だが、他の藩に優秀な人材が本当に居なかったのだろうか。環境的(政治権力的)に、もし居たとしても活躍の場やチャンスがなかったのかも知れない。

ともあれ、先の昭和史と同じく、断片的に言葉だけ知っていた色々な「**戦争」が自分の頭の中で一本の流れにつながった。これから色々と勉強(?←本来自分は勉強嫌い・・)して行くうちに、少しは日本史も理解できるかも知れない。
091127nihonshi ・・と思って、つい山川出版の「日本史」と「世界史」を買ってきてしまった。つまり「もういちど読む山川日本史」と、「もういちど読む山川世界史」を・・・。

前に「「世界史の教科書を読んだ」と書けない事情・・・」ここ)という記事を書いた。

高校時代、“大嫌い”な「世界史」と“大いに嫌い(←世界史よりはマシ)”な「日本史」を改めて勉強しようと、意気込んで買ってきた高校の教科書。高校の時に、英語と同じく自分の“天敵”として悪夢まで見た歴史の教科書を、心を入れ替えて冥土に行くまでに人生の帳尻を合わせるため、買ってきた現役の高校の教科書。当時に比べ、カラフルな色刷りにビックリしたものの、少し読んで挫折。その教科書が、今度は大人用に同じ山川出版から発売されたという。それを、先の挫折の経験から躊躇しつつも買ってきてしまった、というワケ。
現役の教科書と今回の大人用とを比較してみて分かったことは、高校の教科書は、名前ごとに生きた年代がいちいちルビが振ってあったりで、ごちゃごちゃしている。また、暗記用の太文字も多く、決して“読書用”ではない。でも今回の大人用はスラッと書いてあって、まあ読書用。これなら挫折しないで読めるかな・・と思ってはいるのだが・・。

人生でやり残したことは幾多あるものの、自分にとっては語学=英語(ドイツ語はハナから外した)、歴史、古文・漢文(←これらも今更到底ムリなので外した)がある。兄貴は「オレが**大学を落ちたのは英語力が無かったため。よってもう一度英語を勉強し直して、**大の英語の入試問題で合格点を取る」と現役の受験用のテキストを勉強しているという。確かに何であれ、負けたまま人生を終わるのは残念。だから誰も認めてくれなくても、「今の**大の英語の入試問題で合格点が取れた」という自己満足は、“安心して死ぬ”ために必要かもね・・・

そんなワケで、自分の人生で今まで避けて通ってきた「歴史」。半藤さんからもらった「昭和史」からの“勢い”で、「この2冊の大人用歴史の教科書を読むぞ!」と意気込んではいるのだが、サーテ・・・。
「読み終わったぞ!」とblogに書くことを自己満足の目標に、自分に課す今回の歴史勉強だが、それもblogの効能の一つかも知れない。

(関連記事)
「世界史の教科書を読んだ」と書けない事情・・・

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